◆◇◆ AFTER THE BOUT ◆◇◆


◇1◇


 ビリーが目覚めたのは医務室だった。
 脳震盪を起こしたせいか頭がふらふらする。

 「準優勝おめでとう」
 冷たい声がした。
 大会スタッフの一人が立っている。

 「テリーはどうした」

 「ギースタワーから迎えが来て行っちまった」

 「なんだと」
 …ギース様直々にテリーと戦う気か?
 いけない!
 身体の中から声がした。

 「ギースタワーに車をやってくれ」

 「おい。ビリー?」

 「頼む、急いでくれ」

 ビリーは控え室に行きロッカーから愛用の棍を取り出した。試合用のなまくらではない、警護に使う特製である。

 車の中でビリーは膨れ上がる焦りと不安に押し潰されそうになっていた。
 …何故こんなに不安なんだ?
 ギース様が負ける訳が無い。
 だが自分の中から声がするのだ。
 ギース様をテリーと戦わせてはいけない、と。
 彼は今まで勘などというものを信じたり、当てにしたことはなかった。
 が、今度ばかりはどうしようもなく圧し掛かってくる。

 タワーの前に止まると同時に、ビリーは車から飛び出した。
 試合の時に傷めたのだろうか、左足に感覚が無い。うまく走れない。

 「ギース様は?」

 受付近くに立っていたギースの秘書、ホッパーに尋ねる。

 「庭園だ」

 屋上に設えられた空中庭園。そこはギースのプライベートな空間であり、一般の職員の出入りは禁止されていた。そこが私闘のための場所であることは極一部の人間しか知らないことである。

 エレベーターが最上階に着くまでの間、ビリーは棍をきつく握り締めた。
 最上階と屋上を繋ぐ、細い階段の手前で立ち止まる。
 ギースが戦っている間は、何者であろうと屋上へ上がる事は許されていない。
 ビリーは一瞬躊躇した。
 勝負に水を注されることをギース様は好まない。それに、ギース様の芸術的なまでの強さを自分はよく知っているし、それを信じるべきではないのか。
 だが、今は…
 ビリーは一歩踏み出した。

 そのときエレベータ付近から騒がしい声音が聞こえてきた。
 警備員を振り切ってアンディ・ボガードとジョー・東が飛び込んでくる。

 「貴様ら、兄さんをどこへやった!」
 ブロンドの長髪を振り乱し、アンディ・ボガードが叫ぶ。

 「今この上でギース様が相手をされている」
 ビリーの顔が用心棒のふてぶてしい面構えに戻った。
 さりげなく自分の体で階段を塞ぐ。

 「兄さんに加勢する!そこを通してもらうぞ」

 「そうはいかねえ、あちらは一対一の勝負中だ。邪魔しちゃぁいけねえな。てめえらの相手はオレがさせてもらう」

 ビリーも二対一、しかも自分が手負いの不利は把握していた。
 …だが、今彼らをギース様のもとへやるわけにはいかない。
 ギース様がテリーとの片をつけるまで、時間を稼がねばならない。

 「アンディ、先に行け。ここは俺が引き受けた。」
 ジョーの声に応え、アンディが飛び出した、

 「させるかっ!」
 薙ぎ払う棍棒の切っ先を避けアンディは跳び退った。

 「だいたい、ジョー・ヒガシ、あんたにゃ何の因縁もないはずだぜ!」

 「義を見てせざるは勇なきなり、ってね!仇討ちには助っ人が付き物だぜ」

 「へっ、お調子モンが」
 ビリーは棍棒を風車のように回した。
 ヒュンヒュン…風切り音が立つ。

 「飛翔拳!」
 アンディの掌から気の固まりが飛び出す。

 チィッ!また気の飛び道具か。
 舌打ちしながら防御する。

 …二人を相手に二分間持たせたのは誉められるべきだろうか。
 アンディの跳び蹴りをまともに食らい、ビリーは壁に叩き付けられた。
 一瞬暗くなりかけた意識を必死に引き戻す。
 脳裏に妹の姿が一瞬浮かび、消えた。
 アバラがやられたのか息をすると激痛が走る。
 「ち、ちくしょう…」
 それでも、棍を構え直し、階段の前に立ちふさがる。
 …もう一撃食えば、終わり、だな。

 アンディとジョーがそれぞれに構えをとる。

 その時、ビリーの背中をぞくりと悪寒が走った。
 …今、何か聞こえなかったか?
 胸の中にどす黒い塊がこみあげる
 ビリーは後ろを敵に見せるのもかまわず、駆け出した。
 階段を足をひきずりながら上る。
 庭園へつながる扉を開けようとした時テリーが現れた。
 後ろでアンディらがテリーを呼ぶ声がする
 テリーはビリーの横を摺り抜け、駆け下りた。
 ビリーは振り向かず庭園へ飛び込んだ。
 そこには誰もいなかった。
 強い風が耳を打つ。
 必死に視線を巡らせると、木製の柵の一部が壊れていた。
 膝の力が一度に抜ける。
 ビリーは這うようにして柵に近づいた。
 下を見下ろす。

 「ギ・ギース…さ…ま…?ギース様ー!!」

 すでに夕闇が街を覆い、地上ははるか下であった。
 目を凝らしても様子がわからない。
 人が集まってきているようである。
 ビリーはエレベーターホールへ向かった。
 エレベーターは使用中であった。
 階を示す表示の点滅がゆっくりと移動していく。
 ビリーは駆け出していた。
 再び屋上に出るとビルの側面の非常階段を駆け降りた。
 カン、カン、カン、カン、カン、カン…
 一歩ごとに激痛が突き抜ける。
 頭の中は漂白されたように白かった。
 長い長い永遠と思える行程の後、最後の十数段を飛び降り、ビリーは地上に到達した。

 人だかりができている。
 救急車がすでに到着しているようだ。
 叫ぼうとするが息が切れて声にならない。
 駆け寄ろうとするが最早身体が気持ちを裏切り始めている。
 車の中に担架が運び込まれる。
 続いてホッパーが乗り込もうとして、ふとこちらに目を遣った。
 確かにこちらの顔を見たと思えたが、そのまま中に入り、扉は閉められた。
 救急車は行ってしまった。

 「Sit!」

 ビリーは舌打ちをすると、ビルの地下の駐車場へと身体を引きずっていった。
 彼のバイクがそこに停められていた。
 ノーヘルのまま、棒を握り締めたまま、彼はクラッチを踏んだ。
 足に力が入らないせいか、なかなかエンジンがかからない。
 やっとエンジンが音を立てると、ビリーは猛スピードで発進した。

 ブレーキングに失敗して転倒したバイクをそのまま打ち捨てて、ビリーはサウスタウン総合病院の自動ドアを潜った。
 中へ入るなり喚いた。
 「ついさっき救急車で運ばれてきた急患がいたはずだ!どこへやった!」

 「あなた、ここは病院ですよ。何を…」
 看護婦が一人駆け寄ってきて、ビリーを見るなり息を呑んだ。
 「すぐに治療しましょう。処置室へ…」

 「オレはいい!それよりもギース様はどうした!」

 「ビリー!」
 鋭い声に振り向くとホッパーが立っていた。

 ビリーは倒れ込むようにしてホッパーの襟首を掴んだ。
 「ギース様は!? ギース様の様子はどうなんだ!?」

 「今、処置中だ」
 ホッパーは短く答えるとビリーの手を外した。
 「お前はそれより自分の怪我をなんとかしろ」

 「なんだと!?」

 「今お前がここにいても何にもならないだろう!」

 ビリーは絶句した。

 ホッパーは冷静な口調でさらに続けた。
 「ギース様の事は我々が見届ける。お前はその身体だ。しばらく家で休んでいるといい」

 立ち尽くすビリーを尻目にホッパーは先程の看護婦に二言三言声をかけて立ち去った。

 看護婦がビリーの腕を取り、なにやら声をかけながら歩かせようとする。
 彼はなすがままに動いた。

 白衣の男の前に座らされ、身体中を触られ、注射を打たれ、最後になにやら紙を渡されたが、ビリーの耳には何も届いてはいなかった。

 他人からの借り物のように重い身体を棍で支え、ひきずるようにして歩きながら
 「オレは、肝心な時に役に立たなかったのか」
と繰り返し呟いた。
 虚仮のように。


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