うっそうと生える針葉樹の間を切り裂く坂道を、一台のバイクが駆けていた。
道はやがて、山と一体化したかのような峻厳な偉容を見せる城の前に辿り着く。バイクは道と城を分かつ深い谷の前で停まる。
古色蒼然とした城の門扉の上にキラリと光る物がある。監視カメラが突然の訪問者にその分厚いレンズを向けているのだ。
ややあって、ゆっくりと跳ね橋が降り、バイクは待ちかねたようにその上を渡る。
門の前に停めると、バイクの乗り手は首に掛けていただけのヘルメットを外し、ハンドルに引っかけた。
「ようこそ、ヘル・カーン」
出迎える老執事にビリーは言った。
「城主にお目にかかりたい」
謁見の間らしい、いつもの部屋に通された。そこでしばらく待つように言われ、ビリーはひとり部屋の真ん中に立ち、自分を取り囲む豪華な調度に所在なげに目を向けていた。
やがて、シュトロハイム家当主が姿をあらわした。どこまでもその場と異質なビリーと異なり、石造りの部屋と同じ空気をゆるりとまとっている。
ヴォルフガング・クラウザーはゆったりと「玉座」に腰を掛けた。
「待たせたかな」
「いえ。お久しぶりです、ミスター」
ビリーは立ったまま、頭を下げた。
「ご苦労だったな」
「いえ…」
ビリーはクラウザーの顔を見据えながら口を開く。
「日本の柔道家山田十兵衛に続いて、香港の太極拳使いチン・シンザンも倒しました」
目を細め、口の端を歪める。
「ま、いささか苦労しましたがね。」
左の目元に痣がわずかに残り、頬にはかさぶたが張り付いている。
「次の試合の舞台はイギリスだったな。結果の情報は全て届いているし、電話での報告も既に受けている。わざわざここまで出向かなくてもよかったのだぞ」
「自分の口で仕事の始末を報告するのが、用心棒のけじめですからね」
「なるほど…。律儀なものだな」
「お手間を取らせました。それでは、これで」
「ともかく、ゆっくりと身体を休めるといい」
ビリーは会釈すると、そのまま退室した。
ビリーは石造りの階段をゆっくりと降りていった。
突き当たりの重い扉を押し開け、手探りで照明のスイッチを入れる。強い明かりに照らし出されたのは最新式のトレーニングマシンの群だった。奥にはサウナ室とシャワー室もある。ビリーはロッカーを一つ開け、彼の得物と無造作に脱いだシャツを放り込んだ。
古めかしい城の中でここだけ異質な近代的トレーニングルームで、ビリーは黙々と運動をこなし始めた。
カシャン、カシャン、カシャン…
ひんやりとした空気の中を乾いた金属音とビリーの吐く息だけが響く。
一セット終わりに近付き、汗が身体中から噴き出してきた頃、誰かが入ってくる気配がした。
クラウザーだった。
この異様に充実した施設は城の主のためのものだとビリーも気付いていたが、実際に鉢合わせしたのは初めてだった。
ビリーはシャワー室に向かい、クラウザーとすれ違いざまに会釈をする。
ビリーも一見それほど大柄ではないわりに、胸にも腕にもみっしりと筋肉をつけているが、初めて見るクラウザーの裸の上半身は見事に筋骨隆々としていた。
シャワーを浴び着替えて出てくると、クラウザーはさっきまでビリーが使っていた機械を負荷を増やしたうえで、軽々と扱っている。
「お先でした、ミスター」
声をかけるとクラウザーは手を止めた。
「頑張っているな」
「いえ」
「…よくやってくれている」
ビリーは目を細めた。
普段いまひとつ表情の読みにくいクラウザーの口から、初めて賞賛とねぎらいの色を含んだ声を聞いたためだ。
ビリーはニヤリとした笑いを浮かべて見せた。
「帝王に捧げる獲物は吟味しなくちゃいけませんからね」
クラウザーの薄紫の瞳を覗くようにする。
「違いますか?」
「…いや」
クラウザーはほんのわずかに驚いたような顔をした。が、ゆっくりといつもの鷹揚な微笑を浮かべる。
「私はまがいものは嫌いだ。キング・オブ・ファイターズを名乗るからには、それにふさわしき力を持つものでなければならぬ。子供騙しの大会で、名ばかりの勝者になったからといって、それで王者のつもりとは片腹痛いからな」
ビリーはくっと喉を鳴らした。首をやや反らしながら、にんまりとした笑みを浮かべる。
「それじゃあ、前にその子供騙しの大会の優勝者だったオレは、名ばかりのまがいもんのファイターってことですかね」
クラウザーは表情を変えなかった。
「お前には真の名声を伴った闘士となる機会を与えている。すでに、我が配下の闘士としてのお前の評判も聞こえ始めているぞ」
ビリーは軽くまばたきした。
「…それはそれは」
「名実ともに最強の闘士を決める大舞台で、せいぜい己の地位を高めるといい」
ビリーはふっと肩をすくめた。
「どうも、余計なことにくちばしを突っ込んだようです。大会で勝ち進み、テリー・ボガードと戦うこと。それがミスターのご要望であり、オレの望みでしたね。それ以上のことは…」
口を閉ざし、首を横に振る。
クラウザーは薄紫の瞳でまっすぐビリーを見た。
「目標に向かい邁進すれば結果はおのずと付随する。そういうものだ」
「…ご期待に添えるよう努力しますよ、ミスター」
ビリーは背を向け、トレーニングルームを出た。
クラウザーは満足げに目を細めた。
「…そうだな。お前には期待させてもらおう…」
コツコツとブーツが石の階段に音を響かせる。
湿った髪に指を差し入れ、風を通しながらビリーは呟いた。
「最強の闘士ってのも悪くないが…あんたの餌食になるのは、ごめんこうむるな」
to be continued...
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