◆◇◆ WILD ENCOUNTER ◆◇◆


◇1◇


 サウスタウンで最も高い建物の所有者ギース・ハワードは最上階の部屋で窓を向いて座り、東洋風の巻物を手にして呟いた。

 「八極正拳の奥義秘伝書か…命を懸けて守るほどのものでは無かったのだよ、ジェフ・ボガード」

 さしたる熱意も無く片手で弄んでいたが、やがて無造作にガラスケースの中に収めた。
 その時デスクの電話が鳴った。

 「系列会社のハワード鉄鋼の工場長からの連絡で、工員の喧嘩で怪我人が出ているので警察に連絡したものか指示を仰いでいます」

 「工員の喧嘩だと」

 「はい、もう十何人も怪我をしていて、まだ取り押さえられないそうです」

 「…喧嘩ではなく暴動ではないのか」
 ギースの声が低まった。

 「いえ、それが暴れているのは一人だけだということで…」

 「……」
 ギースの蒼い瞳が輝きを増した。

 「わかった。今から私が向うから警察への連絡はしばらく待つように伝えろ」


 なぜこんな事になっちまったんだ…
 鉄パイプを杖代りに肩で息をしながらビリー・カーンは自問した。
 愛用のバンダナも作業着代りのオーバーオールも返り血で赤く染まっている。
 両親がいない事や子どもの頃ストリートギャングまがいの事をしていた事で蔑まれるのは慣れていた。慣れていたつもりだった。
 しかし、まだ幼い妹に客を取らせているのだろう、と言われた日には話は別だ。ビリーのあまりの剣幕に先に手を出してきたのは向こうのはずだった。
 だが気が付くと何時の間にか自分の手に鉄パイプが握られていて、相手とその取り巻きが血を流して倒れていた。
 呆然とする暇も無く、周囲が襲いかかってきた。
 いつも彼を馬鹿にしていた連中も無関心だった奴等も皆牙を向けてきたのだ。
 ただひたすらに薙ぎ倒し、血河が築かれていった。
 何時の間にか工場の奥に追いつめられていたが、最早誰も自ら怪我人の一人に加わろうとはせず、遠巻きに取り囲むばかりである。
 このまま捕まれば即刑務所送りでしばらく出て来られないだろう。
 「こうなったら一人でも多く道連れにしてやる」
 ビリーのアイス・ブルーの瞳が揺らめいた。


 「ビリー・カーン、白人、18歳か。今までにも問題を起こした事はあるのか」

 ギースの問いに些か肥満気味の工場長は冷や汗をかきながら答えた。

 「い、いえ。特にこれといった報告は受けていませんが…」

 「仕事はとりあえず真面目にしていましたが、よく反抗的な目付きをしていました」

 現場監督らしい男が後を受ける。

 「まったく、ダウンタウン出身者は…」
 工場長の呟きにギースは軽く鼻を鳴らした。
 それだけでこの小太りの男は縮み上がった。

 「まず現場に案内しろ」


 ギースの眼前に広がったのはまさしく修羅場であった。
 何人もの男達が頭や腕などから血を流し呻いている。

 …なんという見事な力の浪費だ
 ギースは呟いた。
 これだけの相手を叩き伏せながら、致命傷がほとんど無い。攻撃の効率が悪く、まず狙うべき場所を理解していない。
 今まで自分の力に無自覚だった男が突然の力の爆発に戸惑っているといったところか。
 ギースの口元に笑みが浮かぶ。


 「ビリー、もう隠れていても無駄だ、出てこい」
 顔に明らかに脅えの色を見せながら精一杯の虚勢を張って工場長が呼びかける。

 「うるせえ!オレに指図するんじゃねえ!」
 機械の影から即座に怒声が返ってきた。

 「フフン、傷つき追いつめられた獣といったところだな」

 「誰だ、てめえは」
 ビリーの視界にスーツ姿の長身の男が入る。

 「ギース・ハワード。このハワード鋼鉄のオーナーだ」

 「あんたがジェフ殺しのギースか。道理でそっちの工場長より偉そうだ」

 …この男、ギース・ハワードの名前を聞いても怯まない。
 その目に宿っているのは怒り…おそらく目の前の自分に向けられたものでは無い。
 そしていささかの戸惑いの色だ…


 ギースは事も無げにビリーに向かって歩み寄る。

 「オレに近寄るんじゃねえ!」

 馬耳東風とばかりにギースは至近距離まで歩を進めた。
 「初めて思い切り力を振るった気分はどうだ? 相手を打ち負かすのは気持ち良くはなかったか? …まだそんな余裕は無いかな」

 「何を言ってやがるんだ?!」

 「さあ、お前の強さを私に見せてみろ」

 「イヤーッ!」
 ビリーは鉄パイプで打ちかかった。切っ先が鋭い風切り音を立てる。
 ギースは体を軽く捻っただけで躱した。
 ビリーは体勢が崩れそうになるのを踏みとどまり後ろ手に薙ぎ払った。
 がこれも躱される。

 「動きに無駄が多いな、だが勢いはかなりのものだ」

 「なにを!」

 構え直して飛び掛かる。
 今度こそ相手の中心を捕らえたと思った。
 が、ギースの伸ばした手が鉄パイプに触れたかと思うと、打ち下ろした勢いそのままにビリーの体は宙を舞い、地に叩き付けられた。
 「ぐはっ」
 息が詰まりむせるビリーの視界に飴のように捻じ曲がった鉄パイプが写った。
 何事が起こったのか咄嗟に理解出来ないうちに、ギースの左腕が伸びてビリーの首根を掴んだ。
 鷹に捕らえられた獲物の格好だ。
 「ち、畜生ぅ…」

 ビリーの顔を覗き込むようにし、ギースは厳かに宣告した。

 「傷つき逆上した野生の獣は取り押さえるしかない」

 突然生まれて初めてといってよい恐怖がビリーを襲った。
 この男には自分は決して敵わない…

 「哈!」
 ギースの右掌から気の固まりが放たれた。ビリーの体を激しい衝撃が貫通する。
 「ぐああっっ!」
 動きの止まったビリーをギースは静かに見下ろす。


 「やった…!」
 遠巻きに眺めていた工員たちがぱらぱらと駆け寄ってきて騒ぎの元凶の男を取り押さえようとした。

 「待て」
 ギースは一瞥で工員達を制止した。
 「この男の身柄は私が預かろう。……立てるな?ビリー・カーン。私についてくるがいい」

 ギースの言葉に応じるようにビリーはよろよろと立ち上がった。
 ハワード鉄鋼のオーナーは背を向け、何事も無かったかのように外へ向って歩き出した。
 血まみれの若者はひざをがくがくさせながらその後に続いた。
 工員たちは息を飲み、黙ってその姿を見送った。

 製造区域の外に出ると、ギースの部下の黒服の男二人がビリーの腕を取ろうとした。

 「…お、れに…触るんじゃ…ねえ」
 ビリーの目はひたすらギースの背だけを追い続けていた。


 もう数歩で工場の外に出るという所でビリーの脚がもつれ、その場に倒れ込んだ。
 ホッパーが覗き込んだが既に気絶していた。
 ホッパーとリッパーは舌打ちをしながら男を車の座席に運び入れた。

 帰路の間、思いがけず手に入れた獲物を眺めながらギースは満足げな笑みを浮かべていた。


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