「××区、○○ビル駐車場付近にて、アンノウン発見」
ただ、その一言だけの情報が、無線で警視庁にもたらされたのは、市民からの通報により出動したG3−Xがアンノウンを取り逃がして13分後のことだった。
別件の捜査で○○ビル近くの現場に赴いていたはずの北條刑事の姿が消えた、と連絡が入ったのは、それからまもなくだった。
どうやら、まだ死んではいないようだ。
息苦しさのせいでぼんやりする頭で、北條透は考えた。
生きてはいる。
だが体はピクリとも動かない。
閉じた瞼を持ち上げることさえも。
なぜこのような事態となったのか。
北條はゆっくりと記憶を整理しはじめた。
自ら前線へ赴きアンノウンと戦うのではなく、後方からもっと広範囲かつ多角的に取り組み、事態の解明を図ることを自らに課していたのに…。アンノウンとは無関係な事件で出かけたはずの現場で、近くでアンノウンが逃走したという情報を受け、北條は思わず一人で飛び出してしまった。偶然か必然か、さほど探さなくてもアンノウンは彼の視界に飛び込んできた。かつて彼がV1システムで排除したのと同じ、ハチの姿のアンノウン。ほんのわずかの間の、輝かしい成果の記憶。
無線でアンノウン発見の連絡を入れた瞬間、アンノウンが羽根を震わせ飛び立とうとした。北條は無線を切り、車の外に飛び出した。拳銃を取り出し、銃口を宙に浮かぶアンノウンに向けた。通常の拳銃がアンノウンに対し無効であることは承知していた。だが、体ではなく、薄い羽根ならば。ほんのわずかでも傷つけることができれば…。
狙いはたがわなかった。アンノウンはバランスを崩し、旋回しながら地表に近付き、ビルの壁に激突した。北條は再び拳銃を構え、アンノウンの透明に光る羽根を4発の銃弾で根元から吹き飛ばした。
これで足止めは出来た。後は…武装戦力に任せるしかない。
だが、次の瞬間、アンノウンが北條に向かって突進し、彼の体を建物の壁に叩きつけた。息が詰まり、崩れ落ちそうになる彼の頭をつかみ、アンノウンは壁に押しつけた。
ずぶずぶと、北條の耳はあり得ないはずの音をとらえた。
固いはずのコンクリートが柔らかく自分を受けとめていく。
北條は、氷川と共に眺めたアンノウンによる殺人現場を思い出した。被害者はまるで解けたバターに頭を突っ込んだように、体を建物の中にめり込ませていたのだ。
北條は夢中で引き金を引いた。だが、至近距離で銃弾をうけても、黄色と黒のまだらな貌をしたアンノウンは一度のけぞっただけだった。もう一度引き金を引いても、既に銃弾は無い。アンノウンはますます乱暴に北條をコンクリートの中に押し込め、彼は一時的に意識を失った。
つまり、自分は今、コンクリートの中に閉じ込められてしまったということか。
現状を認識し、北條の中を戦慄が駆け抜けた。
あのむごたらしい死体と、同じ立場に立たされているのだ。
だが、なぜ、生きている。
わずかだが、外気が届き、かろうじて呼吸することができる。構えたままの拳銃の、空の砲身の先が外部にはみ出しているのだろうか。
だが、体を全く動かすことが出来ないのが苦しい。みしみしと痛みを感じる。
G3−Xは、今度こそうまくやるだろうか。
自分は、発見されるだろうか。
出口のない焦燥が駆けめぐる。
身動きできず、痛む体。暗闇の中の息苦しさ。
そういえば、以前にもこのようなことがあった…
霞のかかりかけた頭に浮かぶものがあった。
小学校5年の時。同級生に、教室の掃除用具入れに閉じ込められた。ウサギ小屋の当番に当たっていた男子数人が、世話をさぼっていたことを北條が担任の教師に告げ、担任は彼らを叱った。その日の放課後、彼らは北條を掃除用具入れに閉じ込め、そのまま下校してしまった。いくら叫んでも誰もやっては来なかった。狭い空間の中で、いくら足がだるくなっても、しゃがみこむこともできなかった。背中を預け少しでも腰を落とそうとすれば、つっかえる膝が体重を受け、痛む。やがて、体の痛みよりも、徐々に感じてくる空腹よりも、激しい苦しみが彼を襲った。尿意を催したのだ。歯を食いしばり、相当な時間を耐えた後、ついに北條は漏らした。言いようのない開放感と、濡れた服の気持ち悪さと、激しい恥辱と悔しさに、北條は涙をこぼした。
次の朝、足が痺れてとっくの昔に感覚が無くなり、頭が朦朧としてなにも考えられなくなっていたころ、扉が開いた。
突然のまぶしさに、北條はただ目をつぶり、顔をそむけた。
「わー、こいつ、モラしてやがる〜」
「きったね〜!」
嘲りを含んだ声を聞き、はっとした北條はよろよろと外に出ると、その場にへたりこんだ。彼を閉じ込めた男子たちが、笑いながら鼻をつまんでいた。
首をゆっくりめぐらせると、女子たちが嫌悪感をあらわにしてこちらを見ていた。学級委員の仕事をともに行い、親しく言葉を交わしていた女子も、汚いものでも見るような引きつった顔を向けていた。その視線が、まだはっきりとしていなかったはずの北條の頭に焼き付いた。
北條を閉じ込めたことについて、担任の教師は犯人たちを叱責した。が、それだけだった。その日の放課後には、北條は「しょんべんたれ」という不名誉極まりない呼び方で囃したてられながら、帰途についた。
両親は、北條が無断外泊したことを問いつめた。北條は答えなかったので、激しく怒られた。後日、担任から話を聞いた父親は「情けない」といって、また北條を叱った。
まもなく、学校のウサギは野良犬に襲われ全滅した。古くなったウサギ小屋の鍵がこわれてしまったせいだとされたが、誰かが鍵をかけ忘れたのだろう、と北條は思った。
いわゆるいじめられっ子となり、小学校卒業までは苦渋と忍耐の日々が続いた。
地元の公立ではなく、進学校の私立中学に進んだ彼は、それまでの自分を捨て、生まれ変わることを決意した。それからは何事も順調だった。高校、大学と一流校へ進み、警察キャリアとしての道も問題なく歩いて行けた。
アンノウン事件が起こらなければ。
突然体に響く振動に、北條の思考は中断した。
断続的に伝わる衝撃に体を千切られそうになり、北條の口から悲鳴が漏れそうになるが、動かない体は声を出すこともできない。
再び、意識が途切れそうになる。
「…さん、……うさん、ほおじょおさん!」
突然耳が音を拾う。
と同時に瞼越しに眩しい光が目を刺し、肺に新鮮な空気が流れ込んでくる。
北條はゆっくり目を開いた。
「北條さん!」
G3−Xの姿がそこにあった。中に入っているのは氷川誠。人を脅かす恐るべき存在に対抗するための力、G3システムの装着員の地位を北條から奪い去った男。この無骨漢は、北條を取り出そうとコンクリートを叩き崩したらしい。G3−Xの腕が振り下ろされ、再び走る衝撃に、今度こそ北條は悲鳴を上げた。
「大丈夫ですか!北條さん!」
支えるものがなくなり、がくりと前にのめる北條の上半身をとっさに抱え、氷川が叫ぶ。
「…あなたは、私を殺す気ですか…」
やっとの思いで言葉を絞り出す。
「…すみません!」
自分の動作が乱暴過ぎたことに気付いた氷川は、マスクを外し、今度は慎重に、道具を使って切り崩し始める。
まもなく、北條はその場に膝から崩れ落ちる。
「北條さん、大丈夫ですか!」
「大丈夫です…それより、アンノウンは」
「…撃破しました」
「…そう…ですか」
氷川が北條の体を抱きかかえようとするのを、ほとんど動かない腕で払おうとする。
「…大丈夫です…」
「でも…」
ふと、視線を動かすと、小沢澄子がその大きな目でこちらを見ていた。アンノウンによる事件の発生以来、何度となく北條に屈辱を味あわせた小沢の、実力に裏打ちされた自信と誇りに常に満ちあふれた目。北條の最も惨めで恥ずかしい姿を、蔑みとともに見たはずの目。その目が、こちらを見つめている。
見るな。その目で見るな。
この惨めな、情けない姿を見るな。
「私に構わないでください!大丈夫ですから!」
のどから声を絞り出し、北條は氷川の腕から身をよじると、近くに停めた自分の車に向かって歩いていった。
「なによ、あれ!せっかく氷川くんが助けてあげたのに、礼ひとつ言わずにあの態度!いつものこととはいえ、腹が立つわね!」
Gトレーラーに戻り、小沢は怒りの声をぶちまけた。
「まったく、そうですよね。何べんも氷川さんに助けられてるのに、恩知らずな人ですよ」
尾室が相づちをうつ。
氷川は黙って俯いていた。
結局、車まで辿り着いたものの、座席に着いたとたん北條は気絶し、結局救急車騒ぎとなった。
「ほんっとに、もう。今度こそ、あの馬鹿男がやられてても助けちゃだめよ、氷川くん」
氷川は顔を上げ、かすかに微笑んだ。
「何よ」
「いえ」
入電により再び駆けつけ、今度はなんとかアンノウンを撃破することができた氷川が、建物に半ば埋め込まれた北條の姿を見つけ、思わず呆然と立ちすくんだとき。
『何してるの、氷川くん!まだ間に合うかもしれないわ。さっさと掘り出しなさい!』
スピーカー越しに聞こえた小沢の叱咤の声に含まれた、切羽詰まった響きが耳に残っているから。
北條が向けた視線の先にあった小沢の顔の、その瞳に心配の色が映っていたから。
「何よ、男ならはっきり言いなさいよ」
「いえ、ただ、北條さんも必死だったんだろうなって…」
アンノウンを撃破したと聞いたとき、北條の声に確かに安堵の色と、氷川のことを認めるような調子が含まれていたのに。
小沢の方を向いたとたん一瞬にしてどこか怯えるような、悲しげな表情になった。
「何が必死なものですか。今さらカッコつけてどうするっていうのよ。あの馬鹿、今度会ったら、氷川くんのぶんまでいじめてやるわ」
小沢ならきっと一度口にしたうえは間違いなく遂行するに違いない。氷川は北條の未来のために瞑目した。