「…失礼します」
小沢澄子は一礼すると、静かにドアを閉めた。
「どうでした、小沢さん」
部屋の外で待っていた、尾室隆弘が駆け寄ってきた。
「上はなんて言ってました?」
だが、小沢は彼の顔を一瞥すると、黙ったまま歩きはじめた。
尾室はあわてて、その背に追いすがる。
小沢は真っ直ぐ前を向いたまま、靴音高く歩き続けた。口元はきつく引き結ばれている。
上層部との「話し合い」が不本意な結果に終わったことは一目であきらかだった。
だが普段、上の命令だろうと何だろうと、不満があるときは周りを憚ることなく、大声で言い捨てる小沢としては、このような態度は珍しい。
Gトレーラーに戻った小沢は、その大きな目で中を見渡した。
「氷川くんは?」
「あの…G3−Xが修理中で出動できないこともあるし、最近ちょっと過労気味だからって、午後から半日休を取ったじゃありませんか」
「ああ、そうだっけ」
「小沢さん…」
尾室は普段と様子の違う上司をいぶかしげに見た。
小沢は尾室の顔をキロリと一瞥し、くるりと背を向ける。
「ちょっと飲み物買ってくるわ」
尾室がまだ何か言いたそうなのを無視して、小沢はトレーラーの外へ出た。
自販機の前に立ち、小沢はゆっくりとコインを入れた。正面のボタンを押す。
ゴトンと音を立てて落ちてきたコーヒーの缶を取り出すと、黒ビニール張りの長椅子に腰を下ろした。
小さく息を吐き、そっと目を瞑る。
ヴゥゥゥ……ン…
自販機の音が、かすかにその場の空気を振るわせている。
手の中の缶から、冷たさだけが、指に染み入ってくる。
ふと、カツカツという小気味のいい靴音が小沢の耳に届いた。
近付いてくる靴音に対し、小沢は嫌な予感、というより確信を抱いた。
「小沢さん」
案の定、聞き慣れた声が背後からかけられた。
小沢は振り返り、北條透の顔を見上げた。
「何の用」
いつも以上に不機嫌を固めたような声を投げつける。
北條は例の薄ら笑いを浮かべるだけだ。
「缶コーヒーが口に合わない人が、こんなところに用はないでしょう」
北條は唇の端を軽く歪めた。
「…例の件は、自衛隊の手に委ねられたそうですね」
小沢が目を見開くと、北條はゆっくりと小沢の正面に回りながら言葉を続けた。
「上層部に掛け合いに行ったそうですが、その様子だと…うまくいかなかったようですね」
「何よ。何が言いたいわけ」
「別に。ただ、天下の小沢澄子が今度ばかりは落ち込んでいる、世にも珍しい姿を拝見できるかと思いましてね、足を運んでみただけですよ」
小沢はさっと立ち上がった。北條の顔を正面から睨み上げる。
「誰が落ち込んでいるものですか。あいにくだったわね」
「おや、それは残念ですね」
北條は眉を動かして見せると、すっと体の向きを変え、小沢の視線を逸らした。
「あなたの可愛い可愛い部下の氷川さんの方は、ずいぶんと参っていましたよ」
「氷川くん…?」
「ええ、さっきお会いしましたらね」
「さっき…ですって?」
小沢は再び目を見開く。
「彼、どこにいたの!?」
勢い込んで聞く小沢に、北條はさらりと答えた。
「事件現場ですよ」
「…あなた、氷川くんに何したの」
小沢の声が低くなる。
「別に。ちょっと発破をかけただけですよ」
小沢は北條を疑わしげに睨んだが、北條は顔を背けたままだった。
「彼に手出しをしたら承知しないから」
小沢の硬い声に、北條は吹き出すように笑い、ようやく彼女の顔を見た。
「ひどいですね、小沢さん。私に何ができるっていうんですか」
再びくるりと背を向けた。
「氷川さんは…、死に取り憑かれた男の毒気に当てられていましたよ。自分が迷ってばかりだ、とね」
北條は視線を宙に漂わせる。
「だが、私に言わせれば、氷川さんだって自分の命を惜しんだりはしていない。むしろ後先を省みずに、命を投げ出すような無茶ばかりしている」
「命惜しさに逃げ出すよりは、ましだと思うけど」
北條は小沢の顔をちらりと見たが、その皮肉は予想できたらしく、声の調子は変わらなかった。
「自分の命を大切に出来ないような人間が、他人の命の重さを語る事なんてできませんよ。…まあ、システムそのものが、人命尊重とは、ほど遠いですけどね」
「なんですって!?」
小沢の叫びを、目を細めてやり過ごし、北條はおもむろに口を開いた。
「G4システムですが…」
小沢の肩がぴくりと揺れる。
「いくら機械が進んだところで、情報の伝達は人間の神経にはかなわない。効率を追い求めた末に、人間そのものを機械の回路代わりにしてしまった…」
「…あなた、どうしてそれを…」
「私の情報収集能力を見くびらないでください。とにかく、だ。あなたは戦う人間のための機械を作るのではなく、機械のための機械を作ってしまった。G3−Xもその流れを受け継いだものだった。…私も、もう少しで殺されるところでしたよ。まったく、たいしたシステムだ」
小沢は、わずかに視線を落とし、瞳を揺らめかせた。
だがすぐ、きっとした目を北條に向けた。
「違うわ…」
北條は、今度は小沢の視線を正面から受けとめた。
「違う。G3−Xは人のためのシステムよ。そして、氷川くんも機械の部品なんかじゃなくて、人として、人のために戦っているのよ。あなたなんかに、いいかげんなことは言わせない」
北條は軽く肩をすくめた。
「わかりましたよ。…まったく、誰も彼も…」
「何よ」
「いえ、氷川さんにも言ったんですよ。G4はたいしたシステムだ、とね。ですが、どなられました。そういう意図で作られたものではないし、あれは使い方を誤ったのだと、ね。まったく、部下をよく仕込んでいることだ」
「氷川くんが…?」
驚く小沢の顔を眺め、北條はにやりと笑った。
「さて、無駄な時間を費やしてしまいました。あなたもいつまでも油を売っていないで、トレーラーに帰ったらどうです」
「何よ!あなたが勝手に話しかけてきたんじゃないの!」
北條はもう一度肩をすくめると、靴音を響かせて歩き去った。
「ああ、も〜う〜はっらのたつ!あの馬鹿男!ほんっとにむかつく!」
ようやく帰ってくるなり、罵詈雑言をまき散らす上司を、尾室は呆然と見やった。
「あの…北條さんと何かあったんですか」
「何かもなにも、あんの馬鹿!いいかげんな難癖ばっかり!自分はまともに戦えもしない、ろくでなしのくせに!」
尾室は溜息を一つつくと、ふっと笑顔を浮かべた。
「何がおかしいのよ、尾室くん!」
「あっ、いえ、別に何もおかしくなんて」
尾室はあわてた。
「ただ、いつもの小沢さんだなって思って…」
「いつもの…?」
小沢はふっと首をかしげた。
やがて大きな目が見開かれる。
「まさか…ね」
「小沢さん、どうかしましたか?」
たずねる尾室に、小沢はきっとした目を向けた。
「ところで、『いつもの』ってどういう意味」
「いえっ、そのっ」
思わず頭を抱える尾室の横を素通りし、小沢はオペレーティングシステムの前に座った。
「もうすぐG3−Xも戻ってくるわ。名誉挽回のためにせいぜい頑張りなさい、尾室くん」
「は、はいっ」
小沢の細く長い指が、キーボードを叩き始める。
尾室はその背中を見ながら、もう一度そっと笑顔を浮かべた。