(十五)

その夜町子は家に帰ってこなかった、高木もその方がよかった、あの後よく考えればこちらも
言い訳がなかった、もしあの夜顔を合わせていればどうなっていたか彼にも全く予測がつかな
い。
男のことを問いただしていたか、或いは京子のことを問いただされていたのか、京子とのこと
はある程度解っていたはずだが、そうかといって、あのように面と向かって二人で歩いていると
ころを見せ付けられると、穏やかな気持ちでいられるはずがない、ただ、また関係が復活して
いたとは知っていなかったかもしれない。
一方、高木はまさか男と二人で町子が歩いていたとは考えもしなかった、やはりあのように見
てしまうとジェラシーは沸く、今まで自分の女性関係ばかり心配していただけに、町子のことま
で神経が回らなかった、あのようにことあらためて、男と歩いている姿を見せ付けられると穏や
かな気持ちではいられない。
「もうだめかもしれない」
あれからこの言葉が何度出たか、いつも心配していたことがいよいよ現実になるのかと思っ
た。
しかし、一度ならず二度までも離婚の嵌めに陥る、なんと愚かなことか、考えれば考えるほど
自分の不甲斐なさに愛想が尽きる、
今度こそよい家庭を造ろうとしたのではなかったのか、町子やみどりと朗らかな家庭を造ろうと
したのではないか。
もうだめだという気持ちと、いやまだそんなことはないという気持ちが交叉した。

高木はそのあくる日から一週間家に帰らなかった。
母や養女のみどりのことは気になったが、それ以上に家に帰って町子と顔を会わせるのが嫌
だった。
おそらく町子はつらい気持ちを持ちながらも家に帰っていたと思う。
いつかは話し合わなければならないのは分かっていたが、まだそんな気持ちにはなれない、時
間が頭を冷やす。
会社にはいつも通り出勤した。
京子はあれ以来、顔を合わせても何処かよそよそしいかった。
三人が三人ともそれぞれ心に一物持ちながら何も言うことが出来ないでいる、もしこの事情を
知っている人間がいたら滑稽にうつっただろう。
一週間を過ぎてから高木は一度家に帰ることにした。
母やみどりの顔を見ることは辛かった。
二人に何かいわれないか、ドキドキしながら家の扉を開けたが、二人はそれぞれ部屋に閉じこ
もったように出てこなかった。
部屋に入り着替えていると母が部屋まで来ていった。
「隆彦ご飯は?」
「ええわ、食べてきたさかい」
母の気持ちはこの一言で分かった、やはり母親である、子供のことが気になっているのだろ
う。
会社から帰るとき、戸惑いがあった、五時頃から仕事もなかったため早く帰ろうと思ったが、な
んとなく一週間も帰らなかったのかと思うと、今更のように白々しくて素直にそのままかえること
が出来なかった。
部屋でぼんやりと、することもなくいると、京子が気になったのか一言いった。
「今日はどうされますの?」
その後のことは彼女には何も言っていない。
高木の家庭がどうなっていたのか気になっていたはずである。
「ああ、、、」
ただ、相槌だけを打って、他には何も言わなかった。
というよりも、あれ以来自分の家庭のことを京子に説明する気がしなかった。
二度も離婚になるのかと思うと、情けなさが先にたって、何も言うことが出来ない。
良子のときはこれ程のことはなかった、初めてだったからなのか、それは分からないがここま
で悲壮感はなかったように思う、
しかしあれから随分時間は経っている、今更あの時の気持ちは正確に思い出せない。
着替えた後、リビングで暫くテレビを見ていた、その間にみどりが冷蔵庫を開けに来た、ふりか
えりざま目が合ったがみどりは何も言わない。
瞬間に町子から何か聞いているのかもしれないと感じた。
テレビもたいした番組もしておらず、何となく間が持たない、冷蔵庫からビールを出したり、この
一週間のことをあれこれ考えてみたりしたが、どうも神経が散漫になっている。
寝室に入る前に風呂に入り、それからウイスキーの水割りを作り、ベッドでテレビを見ながら横
になっていると、いつの間にかうとうととしてしまっていた。
玄関でカチッと、ドアのカギが開く音がして意識が戻った。
町子が帰ってきた。
廊下を歩く音がして、寝ている寝室の前を通り過ぎた。
何気なく時計を見ると十時を回っていた、中途半端な時間だと思うと、やはり先日の男と会って
いたのかと考えてしまう、ジェラシーが沸いたわけではなかったが、やはり気になる。
食事はまだだったらしく、キッチンでごそごそしている音が聞こえてくる、起きていこうかと考え
たが、なかなか勇気が出てこない。
三十分ほど過ぎたが、寝室に入ってくる様子もない、高木が帰ってきていることを、分かってい
るのは何となく感じた、町子もどおすればいいのか、戸惑っているのかもしれない。
高木は思い切ってダイニングに行くことにした、廊下を歩き、キッチンを覗くと町子が洗い物を
しているのが目に入り、思わず声を掛けた。
「お帰り」
「、、、」
無言で、こちらを見もしない。
「中途半端な時間やったなあ」
別に嫌味を言ったわけではなかったが、言ってからとっさに、余計なことを、と思った。
「ええ」
町子から返事が返っただけで、ほっとした。
テーブルの上にあったタバコをとり、火をつけ、次に掛ける言葉を考えていた。
キッチンの方に顔を向けると、まだ俯いて片付け物をしている、その姿にやつれを感じた。
これ以上声を掛けることに戸惑ったが、それでもやはり話はしなければならないだろうと思う
と、憂鬱になってきた。
また日を改めようか、否それでは逃げていることになる、そんな思いが何度も繰り返された。
そうこうしているうちに、片付けが済んだのか町子は寝室に行った、ほっとしたものの、話をす
るきっかけをそがされたような気分になり、手持ち無沙汰になった。
「まあええか」
仕方なくテレビをつけた。
お互いに気まずい思いはあったが、なんとなくいつもの生活パターンに戻ったような気分で、ほ
っとした部分はあった。
そのうち、町子が風呂に入いり、お湯を流す音を聞いていると、先日の出来事が嘘のように思
えてきた。
「あなたビール飲まはります?」
町子が風呂から出てきてキッチンで何かごそごそしていると思っていると、グラスを二つ持って
きてテーブルの上に置いた。
「ああ、おおきに」
注がれたビールを飲み、グラスをテーブルにおいて、町子の顔を見た、今夜始めて目が合っ
た。
「今日は早かったの?」
「うん」
「久し振りね」
「うん」
「一緒になってから始めてね、こんなに顔を見なかったの」
「うん」
「どうしてたの?」
「うん」
「うんうんばかりね」
「うん」
「うふふっ」
「何がおかしい」
「だって」
町子の笑顔をみて少し嬉しかったが、照れくささもあり機嫌の悪いそぶりをした。
「怒ってるんやろ?」
「ええ、まあね」
「お互いさんちゅうことか?」
「、、、」
「ほんまやったらもっときつう怒るわなあ」
笑顔を見たのだからもう少し言い方はあったのだろうが、口を開くとどうしてもこんな言い方に
なってしまう。
「誰やったんやあの男?」
「、、、」
「都合悪うなるとすぐ黙る、まあええわ誰でも」
ジェラシーよりも会話がすれ違うとどうしても腹がたってくる、笑顔を見て嬉しかったのだからも
う少し優しく言えばいいのにと思う反面、イライラがつのる。
「あなたは誤解してるわ」
「誤解?」
「ええ」
「何を?」
「この前の鴨川のことでしょ」
「ああ」
「あの人はなんでもないわ」
「うそやろ、なんでもないような雰囲気じゃなかった」
「あなたがそう思ったのなら仕方ないわ、でも本当よ」
俺だけじゃないと心の中で言った、京子も同じように感じていた、しかしまさか京子もいってい
たなどとは言えない。
「それよりもあなたはどうなの?」
「どうなのって?」
「京子さんのことよ」
「ああ」
「そういって誤魔化すの?」
「別に誤魔化す訳じゃない」
「じゃ言って」
「何を?」
「また」
「、、、」
「いつからなの?」
「いつからって、、、」
「知ってたのよ、私と知り合うずっと前からだって」
「、、、」
「でも、私と一緒になってからは何もなかったんでしょ?」
「ああ」
「じゃ最近また復活したのね」
「、、、」
「この前わたしの友達が伏見で見たあの時、家に帰って来なかったあの時、京子さんの家に泊
まったのでしょう?」
やはり知っていたのだ、そりゃそうだろう、あれだけはっきりと二人を見られていたのだから。
返す言葉がなかった、何とか落ち着こうと思ったがこれだけはっきりと知られていればどうしよ
うもない。
「いいのよ、もう」
「もうって、どういうこと?」
「分かっているでしょ?」
「終わりってこと?」
「そお」
「そおって、そんな簡単なこと?」
「簡単じゃないわ、でももう終わりよ」
「未練がましくいうわけじゃないけど、そんな簡単にいわれると、この六年余りのことはなんだっ
たんだと思う」
「私だって同じよ」
「ほなもうちょっと言い方があるやろ」
「言い方が悪かったのなら誤るわ、でもあなたももう終わりだと思っているでしょう?」
「そりゃそやけど、そんなに簡単に割り切れんわ」
「同じよ」
「少なくとも、今度はいい家庭を造ろうと思ったことに嘘はなかった」
「、、、」
「やっぱり、まゆが死んだからこんなんになったんやろか?」
「、、、」
「前はここまで思わんかった」
「良子さん?」
「うん」
「年齢もあるんかもしれんけど、なんや今度は堪えるわ」
「まゆちゃんが生きてればね」
「、、、」
まゆが生きていても同じことになっていたのかもしれない、もしそうだったら、二度も子供と別れ
ていることになっていた、なんと子供と縁が薄いのだろう、そんなことは考えもしたくない。
「しかし、もう元には戻れんなあ」
「ええ」
「お前も冷たい女や」
「、、、」
「もうこれ以上言わんから、最後にもう一度聞くけど、あの男は関係ないのか?」
「ええ」
「そうか」
「おばあちゃんのこと嫌やったんか?」
「、、、」
「そうか」
最後の無言の返事がすべてを物語っていた、もうこれ以上話しても無駄だと思った。



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