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(十四) 去年の暮に証人尋問があってから、弁護士の菊池とは言葉を交わしていなかった。 梅雨に入ってから菊池から電話がかかって来た。 「あなた、菊池先生からです」 高木の部屋に京子が電話をつないだ。 「高木です」 「ああ高木さん、ご無沙汰しております」 「こちらこそ」 暮に大津で別れて以来だった、あれ以来特別会って打ち合わせをしなければならないこともな かった、訴訟はこちらの都合には関係なく進んでいた、必要なことはその都度、菊池から送ら れてくる書類で解っていた。 先日も送られてきた書類をみて、あと一、二回で一審の口頭弁論も終わりそうなのが予測出 来た。 「そろそろ大詰めですので、経過の説明をと思いまして」 菊池は一審ももう終わりなのでこの辺りで打ち合わせをしたいと言ってきた。 「私のほうはいつでも」 「じゃ、来週の火曜日辺りはいかがでしょうか?」 「ええそれで結構です」 今更何の打ち合わせかとも思ったが、勝ち負けは別にして、控訴の件もあった。 「あなた如何でした」 「何が?」 京子が菊池からの電話であったため、心配をしたのか、高木の部屋まで上がってきた。 「裁判どうなりますの?」 「もう今度で終わりそうや」 「勝てますの?」 「そんなん解らへん」 「解らへんて、、、、」 彼女は彼女なりに心配しているのだが、高木の応対が気に入らないのか、少し気を悪くしてい る。 「今度で口頭弁論が終わるだけで、判決はまだ二ヶ月程先や」 「勝てますの?」 「だから解らへん言うてるやろ」 「そんな言い方せんでも」 京子の家に泊まって以来、彼女は高木と二人きりになると、あなたと言い出した、それが高木 には負担になる、(いったいどういうつもりや)と思いつつ、それをやめてくれとはなかなか言い 出せなかった。 「そんなに心配せんでもええって」 「でも気になります」 「首にせいへんって」 「それ本気で言うてはるの?」 「冗談や」 「言うてええことと悪いことがあります」 「なんや怒ったんか?」 あなたと言う言葉に引っ掛かりがあったため、つい逆らってしまったがこれ以上言うと本当に怒 りそうだった。 「私の寝られへん気持ち解ってはるの?」 「大袈裟やなあ」 「ほんまに解ってはらへんみたいやねえ」 しかし、女って何故にこうも変わってしまうのだろう、颯爽としていた京子のイメージがあるだけ に、どうしても今の京子は別人のように思ってしまう。 「この頃変わったなあ」 つい言わなくてもいいことを言ってしまった。 「誰のせい?」 「結局俺のせいやと言うたい訳?」 「いうまでもないでしょ」 まだこうして抵抗するだけでもましなのかもしれない、町子のことを考えるとそう思ってしまう。 「ところで来週菊池先生のとこまで行くけど、一緒に行く?」 「行ってもよろしいの」 言葉が変わった。 「うん」 「じゃその予定にしておきます」 現金なものである、すっかりいつもの京子に戻った。 それにしても、社員達は気がついているの か、最近は京子に遠慮をしているように見える、少しは慎重にならなければならない。 町子はあれ以来相変わらず帰りが遅い、京子とは反対に益々距離が遠のいて行く、この頃は 何を考えているのかも解らなくなって来た。 みどりの希望であった旅行は結局町子の仕事の都合で行くことは出来なかった。 寂しそうにしているみどりを見ていると、見るにみかねて近くのデパートに連れて行った、母も 行きたいと言った為三人で行くことになった、しかしやはり二人とも女である、デパートに入ると 旅行に行けなかった事などすっかりと忘れ生き生きとしていた、みどりには服と靴を買い、母に はバッグを買った、バッグといっても何処へいくためのものかそれは分からない、ただ母のた めに買ったことが重要なことである。 その日の夕食はデパートのレストランで摂り、結構長い時間を過ごした。 家に帰ると町子は先に帰っており、デパートに行ってきたことを言うと、ありがとうと言っただけ で、言葉ほどには感謝した様子に見えなかった。 「ところであなた、この前伏見へ行かはった?」 突然町子が伏見へ行ったのかと聞いた。 あれから少し時間がたっていたため、京子の家に泊まったことはすっかり忘れてしまっていた、 そんな時いきなり伏見へ行ったのかと聞かれたのである。 「何で?」 「私の友達があなたを見たって言ってたわ」 その言葉を聴いて一瞬あの時の情景を思い出した、というのも、京子と歩いているとき近所の 家から出てきた知らない女性が高木に会釈をしたことである、あの時から何気なく気にはなっ ていた、それ程よく知っている女性とは思はなかったが、あの時以来なぜかあの情景が頭の 隅から離れなかった、縁とは不思議なもので、やはり何処かに虫の知らせをするものなのであ ろう、今はっきりとあの時の女性が町子の友達だったのを思い出した。 「そうかあの時の女性は町子の友達だったのか、、、」 口の中でぶつぶついっていたのだろう、町子が聞いた。 「何か言ったの?」 「いや、ええんや、ところでいつごろのこと?」 「日まではわからないわ」 「土地を見に行ったときかなあ」 「、、、」 その話はそれで終わった。 だが、何となく京子の家に泊まったのがばれているような気がした。 町子はわざと、知っていながらとぼけて聞いたのかもしれない。 翌週、高木は菊池の事務 所へ行った。 菊池の事務所は御池通りにある、上下八車線の広い通りだが駐車禁止である、菊池が入って いるビルの五階に行くにはちょっと車を置いて行く訳にはいかない、もっともそのために京子を 連れた来たのである。 「ほな行って来るから車を頼む」 「ええ」 京子に車の番をしてもらって、菊池の事務所に上がった。 「高木です」 受付で告げると、事務員がすぐにとりついでくれた。 「どうぞ」 奥から声がして、そのまま事務員に案内され、菊池の部屋に入った。 「久しぶりですなあ先生」 「そうですねえ、いつからお会いしてませんでした?」 「暮れ以来でしょう」 「そうでしたか」 「早いもので、もうすっかり春です」 「そうですねえ」 通り一遍の挨拶をしながら応接のソファーに座った。 「もうそろそろですか」 「ええ、一度この辺でお互いの考え方を整理しなければなりません」 「ええ」 「ところで会社の経営の方はいかがです?」 「といいますと?」 「いえ、こんな裁判をかかえると経営にも差し支えるでしょう」 菊池はいつになく突っ込んだ話をする。 「まあ、今回のことがなくても、こんなものでしょう、何処も大変らしいようですし、取り立ててうち だけが苦しい訳ではありません」 「それならいいんですが、私としても少し心苦しいですし」 他に意味があるわけではないのだろうが、素直に菊池の言葉を受け取ることにした。 「車は大丈夫ですか?」 「はあ、運転手がおりますので」 「それはよかった、この辺りは何処も駐車禁止ですし、有料駐車場もありませんので皆こまって います」 「そのつもりでしたので、先生もご存知の事務員を連れてきました」 「ああ、暮れに会ったあの方ですね」 「ええ」 「お元気ですか?」 「はあ」 どうも話の展開がいつもと違う、敢えて聞くわけにもいかず、話の流れに合わせているが、何 が言いたいんだという気持ちは拭えない。 「先生、あの法務局の調査書は結局どうでした?」 「ああ、あれねえ、今回は間に合いませんでした、次回の弁論が最後ですので、もう一審では だめでしょう」 「はあ」 「まあ、それでいろいろ検討してみたんですがね、高木さんは最終的にどう考えられます?」 どうと言われてこちらに話を振られても、どのように答えて良いのか分からない。 行くとこまで行くしかない訳だし、一審で全面勝訴でもなれば別だが、それ以外であれば、結局 銀行との対面上も裁判を引き続けて行くしかない。 どうも菊池にはこの辺の考え方が理解できないようである。 物事にけじめをつけるのは分かる、だがつけない方がいい場合もあるのだという事がもう一つ 分からないらしい。 どうやらその辺のことが、先程らいの言葉尻となって現れているようである。 「まあ、何度も聞いておりますので、訴訟の結果はともかく、二審まで行ってしまうでしょう」 「、、、」 「それとも、認諾とでも、、、?」 「そこまでは考えておりません、ただ最初のころにも、申しましたように、相手が国などの場合 の民事訴訟はやはり民間には不利ですから」 菊池の考えは以前と全く変わっていないようである、やはりこの辺りで一度はっきりと主張をし ておいた方がいいのかもしれない。 「先生、申し上げにくいことですが、この際はっきりと私の考えを申し上げます」 「はい」 「先程の経営上のことで申しますと、以前にもいいましたが、この裁判、全面勝訴以外には結 論を出す訳にいかないのです、ご承知のように、今の金融情勢で行けば国あいての訴訟その ものでも銀行は逃げ腰のところ、万一はっきりと敗訴などとなってしまえば、おそらく即座にうち から引き上げるでしょう、今銀行に引き上げられればそう時間をおかなくても、早晩行き詰るの は目に見えます、分かっていただけますか?結論を出す訳にいかないのです、先生の立場から みれば、勝てそうにない訴訟をいつまで引きずるのだと思われるでしょうが、我々の立場はそ んなところです」 これに似たことは以前から言って来ている、ただ立場の相違がすっきりと理解しあえないのだ ろう、或いはプロとしての弁護士の立場上、一体何を無駄なことをしているのか、ということに なるのかもしれない。 「勝てないのは理解できます、またはっきり言えば敗訴となるのかもしれません、それはプロで ある先生の立場からすればそうなるのかもしれません、しかし、今ここで、でははっきりと敗訴 ですか、とお聞きすれば先生どう答えられます、おそらく分からないでしょう、それとも何か先生 の方に、こうしろ、といういいアイデアがありますか?もしあるのであればそれに従ってもいいん ですが」 「いや、それはありません」 「じゃ先生、この際そう難しく考えずに、結果見て判断ということにしましょう、いずれにしても、 控訴になるでしょう、こちらがしなくても」 弁護士としての責任はあるのかもしれない、菊池が気にしているのは本当のところそこなのか もしれない、どちらかと言えば、あまりはっきりと物事を言わない菊池である、 高木の言葉に押されたようになってしまった。 「それじゃあ、高木さんのおっしゃる通りその方向で準備しておきます」 「申し訳ないですねえ先生、何か我侭を言ってしまったようで」 「いえ、どちらにしても行くとこまではいきませんとねえ」 それが分かっているのなら、何も勿体をつけた言い方をしなくてもいいものを、と思いながら、 いやこれは最初から自分の責任になるのを回避しているのだと思った、はっきり言い過ぎて菊 池のペースに嵌ってしまったかなと思いながら事務所を後にした。 いっぱい食わされたようだが、しかし、何だか言いたいことだけ言って、さっさと引き上げてきた 気がしてすっきりしない気持ちが残った。 「お待たせ」 京子の待っている車に乗った。 「如何でした?」 京子が聞いた。 「うん、同じや」 気になるのだろうが、それ以上答えなかった。 「そんなことより食事に行こう」 「はい」 難しい顔をして出てきたためか、京子は素直に「はい」と答えた。 まだ食事には早かったので店が開いているか心配だったが構わず烏丸通りを上がり、丸太町 通りを岡崎に向かって走った。 「岡崎の和食でいいか?」 「ええ、私はどこでも」 近江商人が金にあかせて作った別荘を店にしている、落ち着いた庭と数寄屋造りが年月を経 て独特の美しさを醸し出している。 何故かそのような落ち着いたところへ行きたくなった。 店の近くまで来て、そこで良子の実家の近くだったことを改めて思い出した。 「まさか出会わへんやろな」 独り言を言っていると京子が不思議だといった顔をして聞いた。 「何言ってはるの?」 「うん、、、」 疎水に面した駐車場に車を置き、店に入ると、その日の第一号の客だったらしく、張り切って 迎えられた。 わりとあっさりとした造りの庭だが、新緑に映えて美しく輝いて見える、八畳の和室に落ち着い たが広縁を通して庭に下りることが出来る、広縁の下に縁石がありそこに下駄が一組あった。 「ちょっと下りてみるわ」 もみじや花の散った桜の木、それに北山杉、他に名前の知らない木が何種類も植わってい る、そのどれもが長い年月、この庭で生きてきたのが分かる、春の暖かさで一挙に新芽を噴 出し、新たな息吹きをしている。 「綺麗ね」 「うん」 京子も広縁に立ってこちらを見ている。 「下駄が一つしかないから、もう一つもらったら」 「私はいいわここからで」 池の鯉が跳ねた、池の石橋の上に立ったため、餌でももらえると思ったのだろう。 「新芽が綺麗どっしゃろ」 初老の賓の良い店の人が、お茶を運びながらこちらに向かって声を掛けた。 「ええ」 「ここへは以前から何度かお越しやしたお方どすなあ」 「覚えてくれてはりますか」 「へえ」 「一年に一、二度ぐらいしか来ないから覚えてはらへんと思てましたけど」 初老の女性はこちらを見て、笑顔をつくっている。 「お料理はお任せでよろしおしたか?」 「はあ、少し量は少なめで、京子もそれで、、、?」 「ええ」 「じゃ少な目いうことでよろしおすか」 「お願いします」 座敷に落ち着くと暫くして料理が運ばれてきた、飲み物は冷酒を頼み、まだ明るい日差しのな か、食事をした。 京子は、もう菊池とのことは聞かなかった。 「とにかく、訴訟のことは流れに任せることにしよう、情勢が好転しない間はじたばたしてもしょ うがない」 「そうですね」 「ところで、この前家へ行ったとき近所の家から出てきた女性のこと覚えてる?」 「私の家ですか?」 「うん」 「石田さんの家から出てきやはった人?」 「石田さんか何処か知らんけど、あの四、五軒手前の家」 「ええ、それが?」 「いや、あの時の女性、何処かで見たような気がしてたんやけど、あの人、町子の知り合いや ったらしい」 「ええっ!!」 「驚いた?」 「、、、」 京子は咄嗟に全てを察知した。 「そう言うことや」 言葉に出さなくても、その後の状況は理解出来た。 「それで何かいうてはりました?」 「ああ」 「どう?」 「いや、たいした事あらへんけど、伏見行ったか?、って」 「そう」 「もうばれてるなあ、、、」 「そうね」 「まあ、そんなことがあったわ」 「それ以上は?」 「あれは誇り高い女やから、解かっててもそれ以上は言わん」 ある程度は、いつかこんなことになるのじないかと、二人とも心の隅で予想はしていた、だか ら、こと改めて慌てはしないが、それでも、さてそうなると今後の展開が心配になる。 「まあこれも、なるようになるということにしよう」 「、、、」 黙っていた、しかし京子にとれば決して悪い話ではない、いよいよ思いが達成される時に来 た、と思っているのかもしれない。 だがそんな顔をするわけにもいかない、また町子に一言いわれる恐怖心もあるだろう、案外京 子のほうが立場上辛い立場にあるのかもしれない。 美しい庭を見ながら落ち着くと、色々な出来事がもうどうでもよくなって来る、ぼちぼちと出され る料理を口にしながら静かにしていると、全てのことが第三者的に見られるようになる。 京子も同じようなことを考えているのか、黙って料理をつついている。 「車どうしょう?」 「おいていかはったら」 「そやなあ、飲酒運転になるしなあ、でも取りに来るのがじゃまくさい」 「私が明日の朝ここまで来て会社まで乗って行きます」 「そうしてくれたらありがたいけど」 結局店の人に車を明日の朝まで置く承諾を得て、七時前に店を出た。 陽はまだ暮れていなかった。 肌に心地いいそよ風が川面を吹いていた。 店を出てから二人は家へ帰るのがもったいない気がしてタクシーで三条まで来た。 三条大橋の袂から鴨川に降りて畔を歩いた。 「気持ちいいわね」 「うん」 大津に暮らしていると、京都とは何かにつかて行き来がある、京都は千年の都、世界中に有 名な都市である。 だが反面大津の町は日本でも知らない人が多い、県庁所在地が隣同士の町というのも全国で はめずらしい、というよりもないのではないか、詳しく調べたことはないが。 大津と京都との間に逢坂山という峠と言えるかどうか分からないが小さな峠がある。 その峠が京都の町と大津が行き来できる唯一の場所である。 大津の西にあたる、京都でいえば東側との境目はそれほど高くはないが、全てが険しい山に 隔てられる。 昔から僅かにこの峠が行き来できる場所であったのであろう、もしこの峠がなければ京都と大 津を区別できるものはなかったのではないだろうか、大津の人間は意識をしなくても自然にこ の峠を越えることにより、京都に入ったことを意識する、おそらく京都の人間も同じだろう。 高木は京都に対しては特別な思い入れがある、母の実家が京都であり、また最初の妻が京都 である、そして町子も京都であり京子までもが京都である、そこには大津の人間は誰もいな い。 しかし、その縁の深い女性とうまくいかなくなるのが大津である、まあこじ付けと言えばそうかも しれないが、どうしてもそれを意識してしまう。 そんな訳で京都の町に対してはいい思いでが多く、懐かしい感情がどうしても大きい、 高木にとればこの逢坂山の峠は大きな峠であった。 「京都はええなあ」 「そお?」 京子は生まれたときから京都だから今更改めて京都の町を意識はしないだろう、ただ故郷の 意識は東京に居たときはしたかもしれない。 「京都の町ではあまり悪い思い出がない」 「そお」 「若いときから祇園にも来てたし、花見の時分などあの美しさは他所では見られないやろ」 「そうね」 「こんなところと思い出を共有できるのは幸せやと思うわ」 「まあ、大袈裟ね」 「ほんまやて」 京子は笑っていた。 「俺は所詮舞鶴の人間や、田舎もんや」 「そんなこと意識してはんの」 「京都の人間には分からへん」 ユリカモメの群れが二人の近くを勢いよく通り抜けて行った。 「ほんまにええとこや」 適度な水量の流れがこの鴨川の美しさである、普段何気なくこの流れを見ていると、いつもこう なんだろうと特別意識をしないが、この流れが大雨のあとになれば一変する。 昔は随分この流れも氾濫したらしい、今はもうそんな話は聞いたことがない。 横を見ると京子の姿がなかった、あれっ、と思い後ろを見ると立ち止まって先を見ている。 「何や?」 聞いても返事をしない。 高木も同じようにその先を見た。 二、三十メートル先に男女の二人連れの姿が目に入った。 京子に「あれか?」と目配せをすると、「うん」といった仕草をする。 何や、と思って改めてもう一度先を見て驚いた。 町子である。 二人の少し先で川面を眺めている女性が町子だった。 町子はまだこちらに気がついていない、京子は後ろで立ち止まっている。 一瞬高木はどうしていいのかわからなかった。 まさかこんなところで町子と会うなどと考えもしなかった。 そのうちゆっくりとした仕草でこちらに歩いて来た。 町子は俯きながら、男はその町子を見ながら歩いている。 高木はどうすることも出来ず、ただその場で佇んでいた、京子は後ろにいたためどうしている のか分からない。 そして町子が顔を上げた時、視線が合った。 一瞬何が何だか分からない視線を投げ掛けたが、直ぐに我に返り高木の顔を眺め、視線がす ぐに後ろの京子に行った。 「やあ、、、」 町子は何も答えず少し頭を下げ、川面に視線を移した。 「知り合い?」 男が町子に聞いた。 町子は戸惑ったが静かに言葉を開いた。 「主人です」 男は驚いた顔をしてもう一度高木の顔を見た。 それからどおしていいのか狼狽した顔を町子に向けた。 町子は相変わらず川面に視線を落としている、男の狼狽が返って高木を落ち着かせ、その男 に声を掛けた。 「どうも」 男はどのように答えていいのか、ただ頭を下げただけである。 気まずい空気が流れた、よく考えれば複雑な関係である、互いに交わす言葉もないのが当然 であった。 京子は後ろであったためどんな顔をしているのか分からない。 しかし町子が男とこんな場所を歩いているなんて考えもしなかった、自分のことは横において 叙所に腹が立ってきた、町子もまた同じように思っているのだろう、怒りが姿に表れている。 居たたまれなくなったのか後ろの京子が高木の腕を突付いた、咄嗟に「もう行きましょ」と言っ たと思った。 「じゃ」 高木は川面に視線を投げ掛けている町子に声を掛け歩いた。 町子は顔も見ず頭だけ少し下げ歩き出した、慌てて一緒に歩き出した男を見ながら足を速め た。 それから無言のまま何処を歩いたのか覚えていない。 京子もよほどショックだったのか黙って後ろをついてきていた。 我に返ると河原町通りを歩いていた、賑やかな通りを難しい顔をした二人が歩いているのを意 識してみると面白いかもしれない、しかし、誰も他人のことなど意識もしないだろう。 高木は少し疲れを感じ、通りの喫茶店に入った、京子も黙ってついてきた。 気分よく歩いていたところ、とんでもないことになってしまった、ここまで来る間、頭の中を同じこ とばかりがぐるぐると回っていた、おそらく京子も同じなのだろう。 「もう終わりやなあ」 コーヒーをスプーンで掻き混ぜながら誰に言うともなく口から言葉がついて出てきた。 コーヒーカップを口に運びながら高木の顔を見ている京子も無言だった。
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