小屋の中だろうか、薄暗くて辺りがよく見えない。
多少夜目が利くとはいえ、実際はほとんど母親の血を強く受け継ぐパステルには、それはたいして役に立つレベルの物ではなかった。
夜の間に連れてこられて…気が付いたのはついさっき
感覚からしてまだそれほど時間は経っていないはずだ、実際夜明けはまだ遠いようで
板の隙間から青白い月明かりが差し込んでいる。
やっとの事で、閉じられたままだった扉が音を立てる。
「ホレ、食い物もってきたぜ」
目の前に放り投げられる、一切れのパン
「わたしをどうする気?」
視線は合わさないままに尋ねた。
「さあな、ただまともにやり合ったんじゃ、面倒くせぇだけだし…まだ死にたかねーんでな」
パンをくわえたままごろんと横になる
「あんたどうやら 随分と大事にされてるみてぇだし、せいぜい利用させてもうらうぜ」
…まあ、それまでひと休みだと瞳を閉じる
「 不用心ね、いまここでわたしがあなたを殺すかも知れないのに」
虚勢なのは自分でも判っていたが、精一杯いきがってみた
「ばーか、おめぇがそんなこと出来るタマかよ、まあ魔物の中には見かけに寄らない奴も多いけどな、こちらとりゃもう10年ちかくこの商売ついてんだぜ、馬鹿にすんなよな」
むくりとおきあがり、パステルの鼻に指を突きつける。
直ぐ目の前に迫った顔に思わず顔が赤くなってしまう、なにせ父親以外の男性と会話をするのは使用人のキットンくらいのもので…それ以前に人間と会話をすること自体4年ぶりなのだ、
そんなパステルの様子に気が付いたのか、付かないのか、トラップは再びごろんと横になった。

「それに、逃げようたって無駄だかんな、この小屋には何重もの結界を張らせてもらった」
見た目には何も変わった様子は見受けられないものの、実際にこの小屋中が何か不思議なもので包み込まれているような感覚があるので、実際にそうなのだろうとパステルは思った。
「それと、お前、何者なんだ?」
突然投げかけられた疑問
その意味が分からなくて、パステルが聞き返すよりも早く、トラップの腕が首に回されていた。
「ダンピールにしちゃあやけに…血は吸ったことはないのか?」
さっきよりもずっと近くで見つめられていたのだが、それよりも質問の真意が解らない。
「不思議な臭いなんだ、注意深く見れば確かに魔物の臭いもする」
臭い…一体何のことなのだろう
「だけどこうしてみるともっと別の何か」
そう言ってトラップはまたパステルの唇に割り込み、下でそのちいなさキバをゆっくりとなぞった。
今度は抵抗するパステルの体を力で押さえ込みつつ、他の部分をもゆっくりと吸い込んだ。
そのまま行為を続け、パステルの体から力が抜けたところでやっと解放する

「そうだな、もっとそれとは違った強い力を感じる」
力無く崩れ落ちたパステルの耳元に唇を寄せ、再び尋ねる
「お前は何者だ?」
「……そんなの…しらない」
息も切れ切れにパステルが答えると、トラップはさも楽しそうにパステルの耳を噛んだ
「いいさ、ならおれが全部解明してやるさ」
手を伸ばし、乱れた寝間着の裾から覗いた白い足をなで上げながら
「ついでに、あんたの体もな」
いつもの調子で体をのしかからせた。
悪い癖だと思いながらも、本人にちっとも直す気がないのでどうしようもない。

「…どうして…」
身を震わせているのは恐怖の為なのか、パステルが小さく呟いて、トラップは首筋に埋めていた顔を上げた。
「…とうさま…お父様…」
ぽろぽろとこぼれる涙を拭おうともせずに、ただひたすら愛する父親の名を呼ぶ。
「おっ、おい、泣くなよ…」
普段ならいくら女が泣いたところで意にも介さないのだけれども、
まるで、幼い少女のように泣きじゃくるパステルを見ていると、妙にうろたえてしまう。
少なくとも自分は幼女趣味ではないはずだ
どうすればいいのか解らなくて、とりあえずそっとその金髪をなでてやった
「なぁ、おれが悪かったから、もう泣くな?」
自分でも信じられないくらいに優しい声が出た、今夜の自分はどうかしているらしい、
らしくないことばかりだ。
そのままそっと引き寄せて、両腕で包み込む、びくり、とパステルが身を震わせた
「大丈夫、なにもしねーよ…」
こうすればこの少女の泣き顔を見なくてもすむ、そう思っただけだった。
しばらくして、嗚咽が聞こえなくなったところで、何となく尋ねてみる。
「おめぇ、名前なんてんだ?」
「……パス…テル」

夜明けは、まだ遠い

 

翌朝、朝食の時間を15分過ぎても食卓に現れないパステルを不審に思ったクレイとキットンは 全く使われた形跡すらないベットを目の辺りにして、一気に目の前が暗転した。
どうして、どうして気がつかなったのかとついクレイはキットンに強く責めてしまう。
屋敷のすべての管理を任されているこの小柄な男は人狼で、人一倍の感覚を持ち合わせていたはずだ。
ちょっとした侵入者なら直ぐに追い払うことが出来る。
ただ、それが普通の相手だったらの話ではあるが、
昼間にハンターがやってきたと聞いたときどうしてもっと警戒しておかなかったのか、
どうして。
「旦那様こそどうしてお気づきになられなかったのです!」
気付くも気付かないも 、昨夜は例のサキュバスと対峙して屋敷を抜け出していたのだ。
今から思えば、昨夜の彼女は妙にクレイを屋敷から遠ざけようとしていた。そんな気すらする。
「まさか、彼女が…?」
一旦思いついたものの昨夜彼女は特に何か仕掛けてきたようなそぶりはなかった、
しかし、もし彼女が他の何者かと手を組んでいたとしたら…??
ヴァンパイアロードたるクレイから見ても彼女は強大な魔力の持ち主だ。
それ故、プライドも高く、他の存在に屈することなど無いはずだ。
誰の言いなりにもならない、何者にも縛られない。
それが彼女の生き方

「…とにかく、なんとしてでもパステルを見つけだす、部屋には全く痕跡はないのだな」
キットンにもう一度確認を取ると昨夜の記憶を必死に辿り寄せる。
おそらくパステルは自分の部屋に戻る途中にさらわれたのは間違いない。
侵入者の形跡をそれこそ髪の毛一本のがすまいと屋敷中を丁寧に調べる。
こんな所でじっとしていられない、いくら痕跡を探したところで彼女はここにいないことだけは確かなのだ
いてもたってもいられなくなり、クレイはマントを羽織ってパステルの探索に出ようとする。
「旦那様!死ぬ気ですか!」
キットンが大慌てしながら引き留めた
「あなたはお嬢様とは違って純粋な吸血鬼なのですよ、こんな時間に表を出歩く何て自分から滅びを望むような行為です!」
まだ太陽は昇りきった直後で、森の奥深くとはいえ、木々の隙間からこぼれる日差しは彼の魔力を吸い取るには十分すぎる力を持っている。
「だからといってパステルが浚われたんだぞ!のんびりと眠っていられるわけが無かろうが」
「いいえ!なりません!ただでさえ旦那様はもう何年もの間吸血をなさっていないではありませんか!」
たとえ、神祖吸血鬼とはいえ、補給もなしに何年も活動していては自分の命を削ることになるのは当然のことだろう。
「 これ以上弱体化が進めば、それこそあのサキュバスの思惑通りではないのですか?」
「頼む、キットン」
そんなことは重々承知しているのだとクレイは苦しげに呟く
「あれをなくしたらわたしはこれから何を頼りとして生きていけばいい?パステルもやがてはわたしの歳を追い越し、やがては土へと還っていくだろう。長い長いこの時の流れのほんの一瞬。あれの幸せを願うことだけが今のわたしのすべて、妻との最後の約束なのに」
約束、そう、今の自分に残されたのはもう記憶の中にだけ残っている約束だけなのだ
黙り込んだままだったキットンがゆっくりと顔を上げ、一本の薬瓶を手渡した
「絶対に無理はなさらないで下さい、この薬はあくまで一時的なもの、 ヒトでいう滋養強壮剤のようなものです」
「ありがとう、キットン」
一気にそのちいさな薬瓶を飲み干すとクレイは屋敷の門をくぐった。
パステルをさらった者の目的が自分であるならば、それほど遠くには離れていないはず。
おそらくこの広大な森のどこかに潜んでいるはずだ。
しかし、普段ならば自由に駆け回り、己の一部のように感じていた森が、今はこんなに自分の前を遮ることになるとは。
生い茂る森の木々の向こうが全く解らないのだ

一体この森に何が起きたのか、おおよその予想は付いている。
やはりハンターはこの森のどこかに潜んでいるのだ

古典的だが古き昔より使われてきた結界と、護符が森の各所にちりばめられ、魔の属性であるクレイの視界をさらに狭くする。
それを無理矢理に破ろうとするから、どんどんと魔力は消費していくのだ。

日に日に消耗は激しくなり、キットンの薬もほんの気休めにしからならない。
加えて夜になると例のサキュバスがやってきてはクレイを魅了しようとするのだ
「何をたくらんでいる?」
彼にしては珍しい苛立った調子で尋ねる
「それはあなたが一番よく知っているんじゃないの?」
昼間に手に入れたという銀の髪飾りを指先で揺らしながらニッコリと笑う、彼女の美貌にそれは少し幼いデザインのように感じる。
「ルーミィ」
クレイは女の名を呼んだ。
「もし、何かを知っているなら教えてくれ、頼む」
ヴァンパイアロードとしてのプライドなど全く気にしないようにクレイは頭を下げる
「わたしが何かしたと思っているの?」
ますます面白そうにルーミィは笑った。
彼女はとりあえずクレイが相手をしてくれることの方が嬉しいのかクレイの首にまとわりつく
「……そう答えると言うことは君が何かをしたわけではないってこどだな。」
「さあ?わたしのお願い、きいてくれる気になった?」
「それは断る。」
すべてを捨てても守りたいものがあるように、すべてをおいて、守らなければならないものも、ある。
「いいわ、時間はまだまだあるんだもの、気が変わるまで待ってるわ」

時間などほんの少ししか残ってないさ、
クレイの心のつぶやきは、誰に向けられたものなのか。

「ちょっと!こっち見ないでよね!」
とても囚われの身分とは思えないセリフを吐きながらパステルは渡された冷たい濡れタオルを手で絞った。
汲み上げられた冷たい水が両手を濡らす。
「…この状態でどうやって見ろってんだよ…」
目隠しをされたまま、トラップはごろりと横になる。
はたから見るぶんには完全に立場が逆転してしまっているようだ。
「本当は髪も洗いたいんだけど…」
「終わったのか?」
気配を感じ、目隠しを外す。
本当は手も縛られていたのだが、そんなものはとっくに外してしまっていた。
「…ばかっ!」
途端、顔面めがけて飛んできた濡れタオル。
軽く受け取れると盛大にため息を付いた
「んな、貧弱な体型見てもなぁ」
今度は部屋のすみにおいてあった樽が飛んできた、一体どうやって持ち上げたのか
「ちょっ、ちょっと待てっ!」
「待たないっ!」
流石に焦って制止した、どうやらパステルは随分気にしているのか、体型のことに触れると途端に真っ赤になって怒り出す。
今だってこうなるとは解っていたのだけれども、実はそれが楽しくて仕方なかったりするから質が悪い。
完全に実のところわざとなのである。

「まぁまぁ、お前の胸が小さいのはお前のせいじゃないもんな」
「それは悪うございましたね!あなた好みのナイスバディじゃなくて!」
「そうなんだよなー後これでもうちょっと胸があれば完璧なんだけど」
さらっと口にした言葉、その意味に気が付いたのかパステルの頬が再び朱に染まる。
手慣れた調子でその体を引き寄せた。
「ずっ…随分と調子がいいんじゃないのっ…」
「ふふん、まっ女の扱いにはちょっと自身があるんでね」
そのまま髪に顔を埋め、体に回した腕に力を込めた。
いつもならここでそのまま押し倒すところなのだが…
…震えてるでやんの
確かに自分は魔族と呼ばれる彼らの天敵で、
この世の魔物すべてを滅することが己らの使命で…

けれども、この少女は今まで自分がその手に掛けてきたどんな魔物達とも違っている気がしていた。
半魔族というのはそれほどめずらしいものでもなく、トラップ自身何度も対峙している、
今、腕の中で警戒心丸出しに震えているこの少女は、そのどの経験にも当てはまらず、その姿はまるで幼い少女そのままだった。
彼女に触れていると、心の中で何かがねじ曲がるような感覚に陥ってしまうのに、手放したくないと思うのは何故なのだろう。

当然、父親以外の男性に抱きしめられるのも初めてのことだった。
自分よりずっと広いその肩に包み込まれているとついつい自分が何故ここに今いるのか忘れそうになってしまう。
彼は自分の父親の命を狙っているのに、
でも何故か憎むことが出来なかった。
それは、彼の悪意が自分自身には向けられていないから。
彼にとって自分は「人質」であり「客人」そして、「興味の対象」であることをパステルは敏感に感じ取っていた。
たぶん彼は自分が半魔族であることに気がついたのだろう、しかし、母親が何者であるのか、それがわからず不思議に思っているのだ。
パステルはそう思った。
母親であるマリーナはたぐいまれなる聖なる「血」をもって生まれてきたのだとパステルはクレイから聞いていた。
当時、まだ「お盛ん」であったクレイは当然その「血」に目を付けて彼女の元へと忍び込み…………
彼女に出会ってクレイは変わったのだという。
二人は恋に落ち、そしてパステルが生まれた。
ヴァンパイア達の長と聖女の血を引く娘。
その肩書きとはうらはらに、パステルには何の力もない。
何もできない、守られるだけの自分。
今の自分にできることは自分の身を自分で守るだけ。
父様に心配をかけてはいけない。わたしは大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせ、すぐに不安でいっぱいになりそうな心を奮い立たせ…
けれども、どうしてこの男の両腕はこんなにも暖かいのだろうか。

抱きしめた腕に力を込めたまま、トラップは考え込んでしまった。
この3日間、例の雑貨屋には毎日のようにあのキットンと呼ばれていた男が買い物に現れていた。
色々と薬草などを購入しているらしい、
そして夜な夜な屋敷から飛びたつ黒い影。
確実にあのヴァンパイアは弱体化している、そう確信していた。
「そろそろ、仕掛け時か」
抱えたままになっていたパステルへと視線を戻す。
不安と戸惑いが入り交じった表情、彼女は本当に解りやすい顔をする。
純粋、と言う言葉は彼女のためにあるのかも知れない
心がちくりといたんだ。
さらってきた夜、さっさといただくだけいただいてしまって、殺ってしまおうかとも考えた。
魔物達はすべて滅ぼす、幼い頃からたたき込まれてきた教訓。
その存在は見た目で人を惑わす、騙す、陥れるから。利用することはあっても決して気を許してはいけないのだと何よりも強く言われている。
この少女だって、違和感があるとはいえ、魔族の血が流れているのは確かなことで、無垢な姿も自分を騙すためのものなのかもしれないのに。
けれども、自分はパステルを殺めることも、汚すこともできなかった。
なぜだか、彼女がそばにいると心が安らぐ。
あのヴァンパイアを倒したら、彼女はきっと泣くのだろう、おれを憎むのだろう、

それを思うとひどく心苦しくなる。

「トラップ、?」
不意に名を呼ばれ、その澄んだ瞳が自分を見つめ、
ぞっと何かが背筋を駈け登る。
それは、彼女の純粋さにくらべると余りにどす黒い欲望。
答えない自分を不思議がったのか、パステルは軽く身じろぎ、こちらを見つめる。
どうして彼女はこんな無防備な仕草でおれを誘惑するのだろう。
その瞳が瞬きをするたびに、己の名を呼ぶ、そのたびに…

慣れた手つきで彼女の頬を捕らえる。
びくりとその体がふるえた。
そっと口づけを交わす。今までで一番優しく。
生まれてから今までで一番そっと。
彼女は逃げなかった。
おれを哀れんでるのか?
急にそんな考えが浮かんで、無性に腹が立つ
そのまま乱暴に後ろへと押し倒す。
唇を首筋に這わせ、上着をはぎ取った。
両手をつかんで押さえ込むと口で現れた白い乳房をまさぐり続ける。
それでも、パステルは黙ったまま。
「……何とか言えよ」
泣き出しそうな弱々しい声で呟いた。
「…あなたは、何を望んでるの?」
慈愛にみちたその声に、
いたたまれなくなり部屋を飛び出した。

表に飛び出し、
火照ったままの体を冷やそうとするが一度上ってしまった血液はなかなか下がらずに己を締め付ける。
「どうすりゃいいんだよ、」
何も考えたくない。
何も知りたくない。

捕らえたつもりで捕らわれた自分自身。
わけのわからないまま涙がこぼれ落ちてくる。
ふと、目の前に気配を感じて空を見上げた。
宙に浮かぶ細い影

「……見ぃつけた」
にっこりとその女、「ルーミィ」は笑った。

男を喰らう美しきサキュバス、そしてヴァンパイアロードクレイにただひとり対抗する者───

「初めに礼を言っておくわ、あなたのおかげでずいぶんと動きやすかったの」
ほとんど普段着としてしまっていた漆黒のコートとシャツを脱がせながらルーミィは言う。
しっとりと、汗ばんだ肌が冷気に触れ、白い湯気が上がる。

「だから、あなたは特別気持ちよくしてあげる」
はだけた胸へと唇を這わせ白い手を下腹部へと滑らせる。
トラップはただなされるがままに崩れ落ちて、背を小屋の脇の一本の大木に預けるように倒れ込んだ。
それに、覆い被さるようにして、女は身を屈めた。
先刻の名残でまだ熱いそれを握りこまれ、一気に極限へと責め上げられる。
ふるえるそこに唇を寄せて根本から嘗め上げられた。
「強い力も持った男は好きよ、あなたは満足させてくれる?」
サキュバスは男の精を喰らって魔力を高める。

今まさに、彼女は新しい力の糧を得ようとしていた。

わたしは彼のことが好きなのだろうか……?
パステルはふとそう思う。
生まれてからこの方屋敷からほとんど出たこともなく、初めて出会った人間の男性。
強引に奪われたキスと肌への愛撫。
わたしはどう感じていたのだろうか、疑問符が浮かんでは消える。
一人きりになった部屋の中、急に冷え始めた両肩を抱きしめた。
それとほぼ同時にひどく嫌な予感が全身を襲う。
どうしようもない不安感に追い立てられるように窓枠に張り付いた。

見たくなかった光景。
火照った肌は少し赤みをさし、噴き出す汗が白い湯気になる。
うつろな瞳の彼と、しなやかに躍動する細身の女

何をしているの?
心の中で必死に否定する。
目の前で繰り広げられるその光景に、手足ががくがくと震え始めた。
頭が真っ白になり何も考えられない。

ちがう、ただ一つのことで埋め尽くされる
「嫌だ…」
理由なんてどうでもよくて、ただ嫌だった
いやだいやだいやだいやだ、
彼を、わたしから奪わないで。
「やめて!」
絞り出した声は、かすれるような小さな嗚咽だったのだけれど、それに呼応するかのように女が視線をこちらに向けた。
そして、驚いたように目を見開く。
「…………マリーナ」
呟かれた母の名が苦しく響く

強力に張られていたはずの結界がガラスの様に砕け散った。
その名がまるでひとつの呪文のように。
「あなたは、どうしてわたしの邪魔をするの!!」
女が泣いていた、悲痛な表情で叫び続ける。
「あなたさえ、あなたさえいなければ!!」
ふらふらと、うわごとのようにそう呟きながら、歩み寄り、
女の手がパステルの首にかけられ、力が込められる
締め付けられる苦しみはほんの一瞬。

直ぐにその手は首から離れた。
「悲しませる…のなら……」
じっと、パステルを見つめる顔は、今にも泣き出しそうで、視線が逸らせない。
淡い碧色の瞳に吸い込まれると、世界が一瞬彼女と同じ碧色に染まる。

次にパステルが気が付くと、その姿はもうどこにもなかった。
訳もなく悲しくなってパステルはその場に崩れ落ちる
振り返れば眠るようにそこに横たわるトラップの姿
肌に残った無数の痕。
パステルは泣きながらその跡を唇でたどる。
そして、口づけをしたところでゆっくりとトラップの瞳が開いた。
「何、泣いてんだよ」
「知らない」
トラップの腕が体に回された。
「女の扱いにはなれてるんじゃなかったの」
ぽろぽろと流れ落ちる涙は一向に止まる気配がない、止めようとも思わなかった。
ただ、今はこの男に触れられることが嬉しい。
ここにいることが、生きていることが、
「逃げるなら、今のうちだぜ、魔力、ぜんぶもってかれちまったみてーだし」
「逃がしてもいいの?」
自虐的に笑うトラップをギュッと抱きしめる。
「これじゃあ勝負にならねーからな」
投げやりに、片手をひらひらさせた
パステルはどうしてもいま、彼のそばを離れたくなかった。
目の前にいる一人の人間の男。
彼はお父様を狙うヴァンパイアハンター
お母様の仇。
だけど、今この自分の気持ちはなんなのだろうか?
パステルは彼の首筋にそっと唇を押しあてやさし髪をくなで始める
「パステル……?」
驚いたようにトラップが呟く
無言のまま彼を見つめ続ける、一呼吸置いて、唇が舞い降りてきた。
うごめく舌と、絡まる吐息。
ガードルが外されて、身に纏ったドレスがそのまま毛布となる
求められるままにパステルも彼を求めていた。
体勢がひっくり返され、体に重みがのしかかる。
膝が割られ。彼の胸が間近に迫る。
まだ新しい小さな痕を見るたびに、胸が苦しくなる
重ねて強く吸い込むと彼が小さなうめきをあげた。
すべてを覆い隠すように、なんども、なんども
彼の冷えた手がそっとパステルの中へと差し込まれた。
やけにすんなりと進入したそれはゆっくりとそこを広げ、陰湿な音を立てる。
パステルがきつく唇を結んだ、それまで続けていた肌への愛撫が一時停止する。
直ぐに手は暖かみを増して、情熱のままに動き続けた。
パステルの口からも小さなうめきが漏れ始めて
トラップはふいに手の動きを止めて小さな声で囁いた。
「もっと…」
甘い音を立てて、指は吸い込まれる。
初めて感じるその感覚にパステルは体をしならせる。
軽く腰が中に浮いた。自ら愛撫を求めて動き出す。
「うんっ」

貫かれる、その感触。つなぎ止められたこころと、こころ。

一段と大きな息をついて、2人の動きが一度、止まった。
「わたしだけを見て」
どんなに、上から塗りつぶしてもよみがえる光景。
「過去は全部忘れてよ」
全部忘れさせてやる、わたしだけのものにしたい、ほかのだれにも渡したくない。

だから、今はわたしに溺れて。
わたしだけを見て
わたしだけを愛して
わたしだけを求めて

わたしのすべてをあなたに捧げるから。

 

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