踏みつけられた背中、口から溢れる血のせいで、呼吸すらままならない
「お前の犯した罪、それ相応の償いはしてもらわないとな」
ずっと黙ったままだったクレイがやっと漏らした一言。
落ち付いたテノールとは裏腹に、込められているのは計り知れない深い憎悪
「せめて一滴のこらず搾り取ってやるよ」
そんなことをしても失われた物が戻らないことくらいクレイ自身も十分に解っている、 けれども、どうしても許せないのだ、この十数年間心の頼りとしてきたたった一人の娘、

愛した女性の忘れ形見。
約束
決意

それをこの男は踏みにじった。
何も望まず、ただささやかに残りの命を過ごして行く、ただそれだけだったのに!!
彼女が残した最後の遺言、
娘を守ること、人と共に生きること。
犯した罪はいくら時を重ねても消えることはない、
人はそれを忘れはしない、命が続くその限り、語り継ぎ、どこか心の奥深くに刻み込まれて行く幾つもの伝説。
償いをしなければならないのは己の方、
だから、すべての力を封じた、純粋魔族であるこの体は吸血行為を止めれば後はだんだんと弱って行くだけ、ゆっくりと、いつかは必ず彼女の元へと行けるはずだった。
ただ、娘を残して行くわけにはいかない。
何も知らない純粋な少女、その身に宿った未知の力に潰されてしまわないように、
一人で時を紡ぐ寂しさに壊れてしまわないように。

…かわいそうよね、親の保身のためにずうっと軟禁状態で

違う、そんな事は考えたことなど無かった
ただ怖かった、外の世界に出したとき、パステルは自分を捨ててしまうかも知れない 。
知られてしまうかも知れない、
この男は危険すぎる、放っておけば奪い取られてしまう予感がする
自分を、未来を残らずすべてを

ずっとつきまとっていた孤高の冠、
乾かない飢えを抱えたまま食い散らかしていたあのころ
満たされない、こころ

踏みつけていたかかとにさらに力を込めた
久しく経験の無かった恍惚感が体を支配し始める
柔らかい感触のその入れ物は、案外と強くて、でも、壊れやすい。
ひゅうひゅうと苦しそうに呼吸するトラップの様子にやや満足げな笑みを浮かべ、少し足を浮かせた。
一気に流れ込んだ酸素を逃すまいと大きく胸の動いたその瞬間を狙って思いっきり踏み下ろす。
そのダメージは肺にまで届いたのか、口元から一気に流れ出す赤いもの、
その真紅に近い赤色がクレイの琴線をさらに刺激していく。
それでもまだまだ足りない、満たされない
幾度も幾度も無言のままかかとを踏み下ろした、
止めなく流れる血は大地に吸い込まれ、森特有の黒ずんだ土をてらてらと輝かせた。

いくら、自己修復機能が身に付いたとはいえ、これだけの大量の血が失われると視界は白濁し、指の先にさえ力が入らない。
それでも、何とか意識を保っているのはたいした物だと感心できた。
「…思い…りに…か…やらねぇ」
無理矢理に紡ぎだした言葉。
「まだ、そんな余力があるのか?」
開き直りとも取れるその態度が妙に勘に触る、
「…やはりここは首を落とすに限るか」

この男のたわごとにつき合う気は無いのだ。
くびり切ってやろうと体を拾い上げて首に手を掛けたとき

背中になにか熱いものをクレイは感じた。

そこにパステルがたどり着いたとき、彼女はこれが夢であればとどれだけ願わすにいられただあろうか。
予想されるなかでどこまでも最悪に近い事態
地に広がった赤い血の海に、どす黒い障気が行く手を遮る。
「……やめて…」
本能的に体がその場から逃げようとするのを必死に押さえつつ、少しずつ、そこへと近づこうとした。
一秒でも早く、この状態を何とかしたいのに、足に枷がつけられたのかのように重くてうごかない
「ムダよ」
急に後ろから声を掛けられ、ぱっと振り返るといつぞやのサキュバス
「ああなってしまったらもう誰にも彼は止められない…止めてはいけないの」

…わたしは見届けなければいけないの
そう付け足して再び視線を2人に戻した。パステルもつられたかのように視線を戻す

「お父様!」
必死に声を振り絞り、叫んでみたけれども彼女の言ったとおり、聞こえないのか、届いてはいないのか、全く反応はない。
その間にも血の海は広がり、トラップがどんどんと弱っていくのが伝わってくる 。
その痛みが、苦しみが、まるで同調したかのように伝わってきて
「お父様、お父様!」
「あきらめろって言ってるのが解らないの?」
ルーミィが間を遮るように立ちふさがった
「それで諦められるわけがないでしょう!」
その体を押しのけようとして、手を掛けた途端。

ほんの少ししか力をかけていないにも関わらず、ルーミィの体が大きく跳ね飛ばされていた。
「…え?」
思いも寄らなかった出来事に驚き、つい目の前の光景から一瞬気がそれた。
「やっぱり、…やっぱりあなたもわたしを捨てるんだ」
ルーミィは跳ね飛ばされ、崩れ落ちたままそう呟いている。
うつむいているので良くは解らないが、もしかしたら泣いているのかも知れない。
「一体、何を言っているの?」
「前だってそうだったじゃないの、どうせ捨てる気なら初めから優しくしないで」
訳が分からなくて、ただ見下ろすことしかできない。
明らかに自分が原因であろうコトは容易に想像できるのに、思い当たる節がない
それは、いままで自分が何も見ようとしなかった証拠にほかならない

でも、それよりも、今は
だからこそ、今こそ

「お父様!」
駆け寄ろうとした脚がとてつもなく重く感じられる。
本当は今すぐにでもここから逃げ出してしまいたいけれども、
もし今自分がここから逃げ出してしまったら、何もかもすべて失ってしまう気がする。
何も教えようとしなかったお父様と、何も尋ねようとしなかったわたし。
いつか来るこんな事を、無視していたわたしたちへ罰が当たったのかも知れない
恐れるばかりで目を向けようともしていなかったから、
出ようと思えばいつでも屋敷なんて飛び出せていたはずなのに
すべての理由をお父様に押しつけて、閉ざされた世界に甘え、浸りきっていた。

そんな、わたしの背中を押してくれた、大切な人
「……トラップ!」
口にしたところで改めて気が付く、自分の欲しかったもの、それを与えてくれる存在。
無くしたくない者を

どうすればいいんだろう、わたしはあのひとをなくしたくないのに
わたしはどうすればいいんだろう
わたしにできることは?

それから先のことは、自分でも良く覚えていない
ただ、次に気が付いたとき、初めに感じたのは手に流れる暖かいもの
鼻についた臭いが頭をクラクラさせる
それから、かすかな、恍惚感

それが自分の中に流れる魔物の血のせいであると言うことに気が付くには余りにも現実は残酷すぎて

『パステル…?』
自分の名を呼んだのはどちらだったのか
それすら判断できないほどに麻痺してしまった全感覚の中で
わたしに覆い被さるように倒れたお父様の体温だけが妙に暖かかった。

すべて計算のうちだったんじゃないの?
とっくに覚悟は決まっていたはずなのに、いざ目の辺りにした途端、そんな自分を滅してしまいたくなる。
今まで何度も自らの命を絶とうとしたことがあった。
こんな思いをするくらいなら消えてしまいたかったのに。
それでもこの命はたった一つだけ、あの人がわたしにくれた贈り物だから
切り裂くような心の痛みにも耐えて来れたんだ。

ねぇ、わたしにそんな資格がないことくらい解ってるけど
あなたに少しでも近づきたくてここまで来たのよ?
お願い、だから…
わたしの願いを叶えてよ

 

「…おとう…さま」
パステルは自分の腕の中でぐったりとしているクレイを見つめるわけでもなく、抱きしめることも出来ずにただ呆然とするしかなかった。
未だ深く突き刺さったままの短刀からしたたり落ちる血は止まることなく彼女の膝と手を濡らし続けている。
自分が、クレイを刺したのだという事を理解するよりも早く体と精神がそれを拒絶したのだ
パステルの頬を包む白い手、機械的に見上げるとそこにはすっかり落ち着きを取り戻したルーミィがいた。
かつてのように妖艶に微笑むわけでも、涙を流しているわけでもない
強い意志を宿らせたその瞳がパステルの意識を現実世界に引き戻させる
「う、あ、あああああああああああっ…」
思わず未だ握られたままだった短剣を一気に引き抜こうとして、その手を押し止められた。
「ダメ!今抜いたらかえって血が止まらなくなる」
妙にてきぱきと応急処置を施すルーミィにパステルも少しずつではあるが落ち着きを取り戻してきていた
「…どうして?」
「…ごめん、としか言うことは出来ないけど、こうするしか思いつかなかったの」
止血をして、体勢をそっと直す。それでもただでさえ弱り切っていたクレイの命はおそらくもう長く持たないことが見て取れた。それなのにルーミィは簡単な止血の後、彼の頬を軽く叩いて気をつけさせようとする
「何をするの!」
つい、止めに割り込もうとしたところを今度は後ろから、少し回復したのか何とか起きあがってきたトラップに止められてしまった。
「トラップ…」
振り返ってその顔を見たとき、急に今まで忘れてしまっていた涙が一気に溢れ出してくる。
「…お前はよくやったよ」
明らかに重傷と思える体を引きずって来たのだろう、流れ出た血が道のようだ。
パステルの頬に手を触れようとしたものの、その血にまみれた手を見つめ、ためらう。

もうお互い泥だらけにもかかわらず、この手では触れていけないような気がして、それでも声も出さずにひたすら涙を流し続けるパステルに衝動を抑えきれなくなり、抱き寄せる。
髪をなでながら耳元で呟いた。
「でも、アイツの気持ちも少しは分かってやれ」
「…アイツ?」
くいっとトラップがあごで指し示した先にはクレイのそばに跪くルーミィの姿。
クレイをじっと見つめては言葉を紡ぐ。
「ねぇ、もう意地張らないでよ」
「……」
「ねぇ、もう選択の余地なんて無いでしょう?」
「……」
「ねぇ、もうわたしを1人にしないで」
「…君には、すまないことをしたと思っている」

やっと聞けた彼の声

「謝って欲しい訳じゃない!」
目が開いた途端今度は顔を背けて答える。
「…それでも」
「わたしはただ、あなたと一緒に生きたかっただけなの!」

それがルーミィのただ一つの願いだった、

初めて彼に出逢ったのはもうそれこそ気の遠くなるような昔のこと。
と、いうのかルーミィにとって「始まりの記憶」がそれだったのだ
気が付いたときにルーミィはひとりぼっちだったし、何故自分がそこにいたのかすら記憶になかった。
ただ、一つだけ解っていたのは「もうすぐ自分は死ぬのだ」と言うことだけ
不思議と恐怖はなかった、もしかしたらまだ幼かったルーミィには恐怖という感情を知らなかっただけなのかものかも知れない。
寂しいとも思わなかった、寒いとも思わなかった。
ただ、どうしようもない空腹感だけがそこにあって
自分は今ここで餓えて死んでいくのだろうと思った。

大きな木の幹に身を預けて永い眠りにつきかけたその時、聞こえたのだ、彼の声が
「…珍しいモノが落ちているな」
うっすらと閉じたばかりの瞳を開いて、目に映ったのは大きな黒い影
すべての生けるもの達を芯から凍らせるような存在感と、それでいてすべてを包み、覆い尽くしてしまいそうなほどの圧倒的な力。
「捨てられた…訳はあるまいな、奴等はやたらと自分たちの世界に閉じこもろうとする」
延ばされた腕が余りにも大きくて力尽きたはずの体が思わず震えた。
「はぐれたか、もしくは逃げ出してきたのか…まあ、どちらでもいいか」
彼は子猫でも拾ったかのようにルーミィを抱き上げて、その瞳を覗き込んだ。

「力を持て余すも、使い道を知らないのも、どちらも同じかも知れないな」
そう言って自虐的に笑う。
その腕に抱かれ、初めて人の体温が暖かいものだと知った。
「名前は?」
初めに感じた威圧感からはとても想像できないような優しい声
「…ルーミィ」
ぽつりと出たそれは、自分でも忘れていた名前
「わたしはお前に今ひとつの選択を与えようと思う、今ここで死ぬか、闇に生きるか」
どうしてそんなことを、と尋ねようにも、知ってしまった暖かみは何よりも居心地が良くて。

「私はお前に力の使い方を教えることが出来る、お前はそれだけの力を持っている、ただそれだけだが?」
自分の戸惑いの表情を疑問と感じたのか彼はそう答えた。
答えは考えるまでもなかった。
与えられた魔族の契約はごくごく簡単なモノだった。
ほんの、一粒ほどの彼の血。

あまりに巨大すぎて制御できなくなっていた魔力を彼の持つ 「高位魔族」の血を分け与えられることで
自らの力に変えることが出来るようになったのだと知ったのはぞれから随分と後のことだった。
契約が終わった途端体が軽くなる、エルフとしてのキャパシティを遙かに越えてしまっていた魔力も、 魔族となってしまえばこれ以上ない自分の力となる。
見上げれば、冬の澄んだ青空は今にでも届きそうで、日差しは自分の体に鈍い痛みとなって突き刺さる
まるで、わたしの心のようだ
ルーミィはそう感じていた。

力を手に入れたルーミィが、まず初めにしたこと。それは「飢え」を満たすことだった。
森の実りを食べ尽くし、人家を襲い。それだけではまだ物足りなくて、魔物となった現在の主な糧である
ヒトの精気も。
それは、生来持ち合わせていた強大な魔力と相まって。ルーミィをさらに強大な、高位の魔族へと近づけていく。
力のある物にはそのおこぼれを狙う、夥しい数の小悪魔たち。
彼らを除外しようとは思わなかった
弱い物が強い物にこびへつらうのは当たり前のこと
しかし、残り物をあさるだけしかできないくせに、彼らは顔を合わすたびこう吐き捨てるのだ。

この、出来損ない、と。

弱者の負け惜しみだとは判っていても。それは判らない自分の出生と相まって心の奥底にじわじわと
その痛みは蓄積していった。
そして、それに耐えきれなくなったある日、とうとう知ってしまったのだ。
薄々感じていた、けれどもどこかで否定し続けていたこと
わたしの本当の両親…………
元々エルフは森の奥深くに住み、人前に出るようなことは滅多にないのだ。
それがどうして1人でいるようなことになったのか、
考えられる原因は、多くはない。
そして現実は一番過酷な…

「両親は優しい人だった、生まれながらにキャパシティをとっくにオーバーしてしまったわたしを、 それでも誰よりも愛してくれた」
元々仲間意識の強い種族だったとはいえ、
ルーミィの持つ制御不能の強大な魔力はさぞかし持て余す物だったであろうに。
彼らは必死にルーミィを助けようとしたのだ、たとえ自らの身を危険にさらそうとも。
しかし、そんな彼らの深い愛情がさらにルーミィを苦しめる結果になったのだ。
最後まで側を離れなかった彼らが…その強大な魔力の初めの犠牲者となってしまった。
制御不可能な魔力は、肉体を滅ぼし、その精神すらもすべて飲み込んでしまう、飲み込まれた精神がさらに彼女の魔力を高め、自体は最悪の状況になった。
近づく物はすべて飲み込まれ、彼女の回りは死の世界と化した
何者をも寄せ付けない、凍り付いた世界。
ただ1人、彼女をも上回る力を持つ者を除いては

魔族となり、 失ったと思っていたはずの思慕の念が真実と共に蘇ることとなった。
いや、失ったと思いこんでいただけで本当はずうっと胸の奥底によどんでいたのだ。
自分はもう愛される資格は失ってしまったけれども、1人で生きるにはあまりに愛されて育ちすぎた。
許されることなどありはしないと思いつつ、かすかな望みを抱いて彼女はもう1人の「親」に合うことを望む。
わたしと同じ、他者の立ち入ることが出来ない孤独な力を持つあの人を。

探し当てるのは簡単だった。自分と同じ力の波動を求めるのに手段などは何もいらない。元々、自分の引かれる方に進めばいいだけなのだ。
そして、たどり着いた先に見たものは、孤独などかけらも感じさせない幸せそうな彼の姿。
本来、誰も近寄れることすらかなわない彼の腕には幼い少女が抱かれ。その隣には同じように微笑む美しい女性。
彼女には私達を越える力があることは直ぐに判った。
それも他を除外するのではなく、包み込むことが出来るほどの力が。
同じ力を持つ者なのに、どうして私だけが孤独と共に生きなければいけないのか、
そんなやり場のない憤りよりも

なぜだか、嬉しいとその時は感じたのだ。
もう、既に自分のしあわせを諦めていたのかも知れない。
両親からの充分すぎる愛情を裏切った自分にはこうなるのが当たり前だったのだと。
だから、力の及ばない遠くから、見ているだけで満足だった。
どんな孤独も彼らの笑顔があれば癒された。
そんなささやかな幸せを糧に1人生きていこうと思ったのだ。

「……我慢しなくて良いことまで我慢しなくて良いのよ?」
不意に声が掛けられた、その時までは
「どうして…?」
気が付かれないように充分な距離を取っていたはずなのに、彼女はごくあっさりと当たり前のように側にいた。
「だって、私は怖くないもの」
理由にならない理由をのべて、マリーナは微笑む
それは、聖女…と呼ばれるにしては随分と乱暴な笑顔で、まるでごく普通の町娘のように見える。
「わたしは…わたしが怖い」
じりじりと後ずさると、その手を不意に取られた。
「ほら、全然平気」
そのまま自分の頬にその手を当てる
「あの人と同じ、優しい手」

あの人には言わないで
そう頼んだのはいつだったか、言わなくてもこれだけ近くにいたら気が付かれてしまうだろうとは思ったけれども、「受け入れてくれる」という現実が何より嬉しかった。
それ以後たびたびその屋敷に通った。
どんな飢えも、やるせなさも彼女の腕に抱かれ、彼の姿を眺めると不思議なくらいに癒された。
本当は他人の精気などを糧にしたくないの。
奪い続ける生はもういやなの。

叶わぬ願いと知りつつも、ここに来ればそんな望みがわずかながらも満たされる。
その喜びに我を忘れ、自分がいかに取り返しの付かない過ちをしてしまったのか、気が付くことが出来なかった。

気にしないことに慣れてしまっていた。足元に群がるクズ魔族ども。
どうせほっておいてもたいしたことなどできはしない、そう軽く考えておいたことが最大の原因だった。
無力に近いものとはいえ、それだけに力不足の3流どころか5流以下であるハンターたちの薄っぺらい世間体と、無意味に高いプライドを満足させるには、格好の獲物になりえたのだ。

「へぇ、たしかに魔力がぷんぷんしてやがる」
彼らの未熟な感覚では、魔力にも格があるということなど、言葉でしか知らなかったであろう
森を掻き分け、群がる雑魚を駆るうちにいつのまにか人の目にさらされることとなった古い屋敷。
「こいつらを教会に突き出せば俺たちもご立派なダークストーカーハンターってわけだ。
ただ、どうせならもうちょいと見栄えのするやつがほしいよな」
大きな麻袋からは赤とも紫ともつかない何者かの体液が染み出していた。

「ここはあんた達みたいなのがくるところじゃあないんだけど?」
見上げると、張り出した木の枝に腰掛けた一人の女。
その目を奪われるまでの美貌に男達は一瞬見蕩れ、ついつい気を緩ませた。
こんな森の奥深くに、という違和感も忘れて。

「あーあ、つまんないの」
ルーミィは足元に崩れ落ちた男達を興味もなく置き捨てると、いつもそうしてきたように屋敷に向かった。
偶然だろうと思っていた、屋敷から彼女の悲鳴が聞こえてくるその時までは

今まで、決して近寄ることのなかった屋敷の中でも奥まった一室。
彼の書斎と、あの少女の部屋。
悲鳴にまじって聞こえてくる泣き声はどんどんと大きくなっていく。
自分が、見逃してしまっていたということは明白だった。
「パステル!」

無意識のうちに駆けつけようとして、屋敷の角、同じようにして走ってきたのだろう、息を切らしたクレイとばったり出会ってしまった。
あれほど会いたかった相手。
けれども

「貴様が、呼び込んだのか」
普段ならその深い洞察力で間違いに気がついたであろう彼も、気が動転していたためにルーミィに否定する余裕を与えることはなかった。
一瞬のうちに、視界が暗転する、たたきつけられた背中がぎしぎしと悲鳴をあげる。
「…そんな、場合…じゃないでしょ」
それだけ言うと、クレイも気がついたのかつかんだ手を離して無言のままルーミィを床に叩きつけ、
そして走り去った。
彼の姿が廊下の向こうに消えるよりも早く嗚咽が漏れる。
なぜ泣いているのかなんてわからない。
ただ、涙が止まらなかった。

「あ、いやぁっ…おかぁさんっ、おかあさん!」
男達に喉元を押さえつけられながらもパステルは必死に抵抗を続けていた。
「まぁまぁじょうちゃんよ、もうちっと静かにしてくれないかなぁ、俺達はこれから大切な仕事があるんでね」
半妖、というのは珍しくはあったが前例がないわけではなかった。
かえって下手に親子の情とやらがあるぶん、かえってやりやすい時もあるのだ。
つまるところ、人質はいつの時代でもハンターたちの常套手段だった。

形式上は人類の味方という形を取っているハンター達であったが、どこぞの自治体に所属でしてもいない限り、その実態はとことん町のごろつきやらと何の変わりもない。
本当の生まれながらに訓練を受けたハンターというのはそれこそ一握りしかおらず、その大半は、ただ、腕っぷしに少々自信があるだけのろくでなしが殆どなのである。
そして、このときパステルの体を押さえつけていたのもそんな輩であった。

「そそ、おまえさんの命までとろうってわけじゃあないんだ。ただちょいと俺達の金儲けを手伝ってくれりゃあいいんだよ、その後はまあ、できる限り金持ちのおっさんに売っぱらってやるからあとは自分で媚びるなり、取り入るなりすればこんな森深くにいるよりよっぽど楽しい人生送れるぜ?」
3人組の男達の一人がちっとも気休めにはならない台詞を吐く、まぁパステルに意味が通じていたとはとても思えないのだが、あまりに泣き止まないこの少女に男はかなりうんざりしかけていた。
いっそ、気絶でもしてくれればどんなに楽か知れないのに。
それとも、多少値は落ちるが死なない程度に…
そう思い、パステルの喉にかけた腕に力を込めた、そのとき
「いいかげんにして貰おうか」
気がつかれないうちに男の首を跳ね飛ばしてやろうかとも思った。
が、それではこのかわいい愛娘の部屋を汚らわしい血で汚すことになる。
クレイは音もなく重い扉を開け放つと、男達を睨み付ける。
交渉ですむのであれば、できる限りそうしたかった。
「命がほしければ、さっさとこの屋敷から出るんだな」
「命もほしいが金もほしいんだけど」
男の一人がなれたように答える。
力の差すらわからない、だからこそ取れる態度。
泣きじゃくるパステルの口にナイフを差込み、構える。

生半可な脅しては一瞬の隙にやられるということだけはよく知っていたようだった。
少しでも動けば、彼女の口内は血まみれになる上に…おそらくは毒も塗られているはずだ。
多少ならば、パステル自身のもつ力で浄化できるはずだが。
一体それにどれくらいの期待をかけていいものか。

「おひょうはん…」
さすがにびっくりして泣き止んだのかパステルがじっとこちらを見つめる。
「パステル、じっとしてるんだ、もうしばらくの辛抱だからな」
「へぇ、親父のほうは物分りいいじゃんかよ、あの女とはえらい違いだな」
「あの女…?」
壮絶に嫌な予感が胸に広がる、いくらなんでも、でも、まさか、
ぐるりと部屋の中を見渡して、一番見たくなかったものをクレイは見つけてしまった。
薄暗くなった部屋の隅、うずくまる小柄な影…

「…マリーナ」
「後ろから斬りつけたらあっさりと動かなくなっちまった、せっかく久しぶりの上玉だったっーのに」
うずくまる小柄な影、微妙に上下する背中…
まだ、息はある、それなら助かる可能性は十分だった。
男達は彼女を只の人間だと思っているが、実際はそうではないのだ。
彼女は、自分に匹敵するほどの力を持った

 

急に部屋の空気が変わった。
さすがの男達も気がついたのか微妙に体がこわばる
「お前一体何したんだよ」
震える肩を必死に抑えて男達が言う、しかし、クレイは何もしていない
原因は空いたままだった扉の向こう、廊下にたたずむ影が放つ圧倒的な気配であった。
「君は…」
それに気がついたクレイが振り返り、その姿を目に止める。
先刻廊下で会ったサッキュバス。
さっきは気が動転していて気がつかなかったけれども、その体から放たれる強大な魔力は…

「かえして頂戴」
うつむいたまま、表情は読み取れない。ただ、ゆっくりと歩いてくる。
クレイは知らなかった、彼女達の間にどんな言葉が交わされ、約束がされたのか。
そして、思い出した、彼女のもつ魔力の波動を。
ある意味、彼女は自分の分身でもあるのだ。
同じ高位魔族の位を頂くものとして、

同じ彼女を愛したものとして。

ルーミィは知らなかった、マリーナが持つ力を。
だから悲観した、彼女がもう二度と立ち上がらないと思ったから。
それは、やっと手に入れた安息を奪われた悲しみとなり、ただでさえ溢れそうな魔力を暴走させるだけの十分な要因になり得た。

一瞬の間
それは、思っていたよりも静かにやってきた、
部屋に入ってきたと同じ、優雅な足取りで奥へと進み、すれ違い様にパステルを押さえつけていた男のほほに軽く触れる。
魅入られたように 男は立ち上がり…そして倒れた。
他の男達はなにがおきたのか理解すら出来ない、おそらく倒れた男が息絶えていることにすら気がつかなかっただろう。
触れるだけですべてを奪ってしまう、かつての力。
それに耐えられたのはただ一人だけ

「やめるんだ!」
一人だけ、事態を把握していたクレイが後ろからルーミィを羽交い絞めにした、
このままでは男達はともかく、パステルにまで危険が及びかねない。
「だって、だってマリーナが、マリーナがっ」
体を震わせ、泣きじゃくる姿ははじめてであった頃となんら変わりがなく、クレイはこのサッキュバスがかつで自分が魔力を分け与えたエルフの少女であることを確信させる、
あのとき、気まぐれで助けたひとつの命、
孤独に生き、孤独に消えていく己に愛想を尽きかけていた自分と同じ目をしていた少女。
彼女は今また自分と同じひとりの女性を愛していたのだ。

「妻なら大丈夫だから、だから落ち着くんだ」
魔族の契約とともに彼女は彼の配下でもあることになる。
だから、それがまったく根拠のないものだっったとしても、この言葉にルーミィは従うしかないはずだ
けれども、そんなしがらみなど関係ないようにルーミィは涙で溢れた瞳でクレイを見上げる
「ホント??」
「ああ、大丈夫だ、しばらく安静にしてればちゃんと元通りになるさ」
この、懐かしい再会に気をとられて、クレイは気がつかなかった。
男の銃口がこちらを向いていたことに。

 

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