響き渡った銃声
崩れ落ちる影

「そうだ、思い出した、思い出したわ」
トラップの腕の中から彼の姿を見つめ、パステルは呟いた。
「どうして今まで忘れていたんだろう」

果たして、その銃口が狙っていたのはどちらだったのか今となってはそれは誰にもわからないことだけれども、彼女は、それがどちらであっても彼女は同じ行動を取ったであろう。
放たれた銀の弾丸を受け止めたのは、先刻まで部屋に倒れていたはずの母、マリーナだった。
銀の弾は、彼ら魔族へ致命傷を与えることの出来るもっともポピュラーな武器。

「あなた達には、もう何一つ奪わせない」
震える肩を押さえながら、それでも確かに力強い視線を向けると、その美貌と相まって恐ろしいまでの迫力を発揮する。
それは、パステルにも同様だったようで、ナイフを吐き出したまましばらくあっけに取られてしまっていた。
先刻軽くナイフに触れた舌がピリピリとしびれている。
勿論残った男達が動けるはずもなく、すぐさま音もなく背後へと回り込んだクレイに一撃のもと、その場に沈められた。
そのまま、マリーナの元に駆け寄りすぐさま抱きかかえた、と当時に手にべっとりとついた血を見てギョッとする。
本来ならこの程度の出血はもう止まりかけていてもいいはずだ。
「何故、力を使わない!」
愛しい妻の体が段々と冷えていく

「…なのよ?あなたに逢えてわたしはただの女になれた、母親になれた、…人間になれたの」
「……」
「 あなたはわたしの望んだものを全部くれたわ、」
「それは…おれもだよ」
クレイは汗で貼りついた前髪をかき分けてその瞳を覗き込もうとしたが、瞳は閉ざされたままで、彼の姿を映すことは不可能だった。
一人でいることを望むのかのように。
生まれたときからマリーナの周りは、彼女の力を求める人間達であふれかえってきた。
生神として、聖女として。
そして彼らの望むままに、彼女は力や慈悲を与え続けてきたのだ。
聖女の力は無限に、そんな思い込みを信じて人々はさらに彼女の力を求めた。
彼女の力の代償は彼女自身だったということは、おそらくマリーナ自身も知らなかったのだが、 己を殺すこと、相手に尽くすこと、そんな思いが力の根源だった。

与えることを当然とされ、与えられることを知らないままに、彼女が彼女自身であるために必要とされるものはその力だけで、
「今もとても、幸せよ?…だから泣かないで?」
クレイは泣いていた。遠い昔に、彼女とはじめて出会ったときと同じように、声をあげることなく、ただ熱い涙だけが彼の頬を伝い、彼の妻を濡らしていた。
「でも駄目ね、わたし、あなた達が泣いてくれることがこんなに嬉しいなんて、ひどい人間かも」
そう言われ、初めてクレイはいつの間にか自分の両脇に寄り添うようにして泣きじゃくる二人の少女に気がついた。
娘と…彼の娘が彼の分れた半身とすれば、もう一人の彼自身とも言える彼女もまた、彼と、そして彼女の娘とも言えるのかもしれない。
「でも、わたしは、そんな人間になりたかったの」
顔をべしょべしょにして泣きながらマリーナの腕にすがりつくパステルと、 その場にへたり込み、ぼおっと眺めているルーミィ。
「約束、破ってごめんね…」

それが、最期の言葉だった。

「お母様が亡くなってしまって、お父様はどんどん弱っていったの、わたしにはお母様のようにお父様へ力を分けてあげることが出来なかったから」
堰を切ったように話し続けるパステルをトラップはただじっと抱きしめたまま聞いていた。
「いろいろと考えたの、何か方法は無いかって、でもいくら考えても、屋敷中の本を読んでも何もわからなかった、きっとお父様がそういったものを全て隠してしまっていたから」
「だから、何度も家をでて、それを調べに行こうと思った…でも…言い訳にしかならないって事はわかっている、本当はただ怖かっただけなんだって、でも、どうしてもお父様をあの大きな屋敷に一人残すことが出来なかった」
「もういい、お前はなにも考えるな」
いつか、そうしたように抱え込むように抱きしめ、耳元でささやく。
いつだって、パステルの涙は苦手だった。
「お父様は、助かるよね…?」
助ける手段は無いことも無かった、
でも肝心の本人がそれをどこまでも拒否している。
だからこそ、こんなまどろっこしい茶番を演じる羽目になったのだ。

「おい、おっさん、いい加減覚悟決めたらどうなんだ」
ルーミィに抱えられたまま半死半生のクレイに呼びかける。
「さっさと喰っちまえ、それで円満解決、何も問題はないんだ、これ以上パステル泣かせるようなら俺がとどめ刺してやる」
「なによ、あんただって半死じゃないの!」
すかさずルーミィが言い返してきた。
肝心のクレイはすでにもう言葉をつむぐだけの力も無いのだ…が
「 言ったろう、私は誰も傷つけたくはないんだと、」
「クレイ!」

息も荒いまま、応急処置だけ施された傷はいまだ赤い血がにじみ出ていた。
なにせ「聖女」であるパステルに刺されたのだ、いくら彼の回復力をもってしても力の及ばぬ傷を直すのは不可能である。
今すぐにでも動力源である魔力を補給しなければ大変危険な状態で、
そして、ここにはおあつらえ向きの魔力の持ち主がだ一人。
「ルーミィ、私…おれは君も守ると、そう決めたんだよ」
ルーミィの望みはただひとつ
生きて…生きてほしい、ただそれだけだった
そのために自分を贄にと願ってきたのだ。

何も知らないパステルでは彼を完全に復活させることは不可能だったし、もうひとつの手段をとらせるわけにも行かなかった。
それでは、ただ同じことの繰り返し、彼の苦しみを取り除くことは出来ない。
そして、今の彼女はその条件も満たしていない。
「誰かの犠牲の上で生きていくのにはもううんざりだよ、おれも、マリーナもそうだった」
「でも、でも!」
「マリーナとの約束だけで吸血を止めたわけじゃないんだ、勿論、彼女にはもう約束を守るくらいのことしかおれには出来ない、でもこれはなによりもおれ自身の決意だったんだよ」
「お願いだから…」
それまでおとなしくしていたはずのトラップがふらふらと歩み寄ってきた、あわててパステルも支えるように寄添ってやってきて

そして横たわったままのクレイの頭を思いっきり蹴り飛ばした!
「トラップ!」
パステルが信じられないといった視線で見上げるが、そんなことにはかまいもせずに、パステルにつかまり立ったままクレイを見下ろした。
「だぁぁぁぁつ、お前はなんなんだよ!言いたいこと言うだけいいやがって、そんなに大切なら泣かすんじゃねぇよ、 約束がなんだ、決めたからどうだってんだ、女のワガママの一つや二つ軽くこなしやがれってんだ」
完全に自分のことは棚に上げてはいるものの、それは間違いなくトラップの本心でもあった。

「そうだよな…」
「おう、わかったかよ」
「娘の選んだ男に間違いなどあるはずが無かったんだ…」
「おい、聞いてんのか!」

「どうか、娘達を…幸せに…」
「お父様!」
「クレイ!」

次の瞬間、彼の体は崩れ去った

 

 

どれくらい時間がたったのだろう。
皆、なにもいわず、呼吸すら止まってしまうかのような沈黙の中
小さな灰の小山を見つめていた。

薄々、こうなる予感はしていたのだ。
彼は疲れ果てていて
求めるものは得られず
ただ、その強い責任感だけが彼を現世につなぎ止めていたに過ぎない

果たして彼は安息を得られたのだろうか?

「誰だ!?」
背後からの気配にトラップが振り返った。
少しの間をおき、森の木々が音を立てて一人の男が姿を現す

「お嬢様から手を離すんです!!」
屋敷の執事、キットンだった。
姿の見えない主を捜してずっと森をさまよっていたのだ 、
そして、やっと見つけたお嬢さまはよりによって仇敵であるハンターの腕の中。
ふるえる体を必死に押さえつけ彼の最大の武器である牙をむき出しにしていた。
だから彼らの様子がおかしいことにキットンはなかなか気づけなかった。
「ちょうどいい、こいつら見てやってくれ」
警戒心むき出しのキットンに対してさらりとトラップは抱きしめていた少女と…もう一人、座り込み、石のように固まってしまった少女を指さす。

この人狼に医師の心得があるということは以前の調査でわかっていた。
もし、彼がいなかったらとうにあの主人は動くことすらままらない体になっていただろう
予想外の反応にキットンは一瞬、何かの罠ではないかと疑ったものの、ここに来て初めてこの現状が何か異質なもの…
すべてが終わった後だということを悟らせてしまった。

「まさか、旦那様…??」
「いいから、おまえは医者なんだろう!?とっととこっち来やがれってんだ!」
今はまだ触れられない、触れてほしくなくてついつい言葉がより乱暴になる。
「おい、おまえ」
キットンをこちらに呼び寄せておいて、トラップはルーミィのほうへと歩み寄る、
「ケガは?」
「……」
ルーミィも、パステルも、見た目こそ汚れてはいたが、これといった外傷は見受けられない、どちらかといえばトラップ自身の方が自己治癒能力を上回る出血でふらふらなくらいだ。
けれども、彼にはまだその強い意志を宿した瞳が残っている。

一瞬のとまどいの後キットンがパステルの方へ駆け寄ってきた
「お嬢様、キットンが来ましたからにはもう大丈夫です、大丈夫です」
「…キットン…お父…様は 」
トラップの腕にしがみついたまま、パステルが顔を上げる
「大丈夫です、お嬢様」
キットンは再び言った 、そして深呼吸の後、足下を見下ろす。
そこには、彼の予測が正しければある物があるはずで、しかし、実際に目の当たりにするにはやはり多少の抵抗があった。
一握りほどの、白い灰の小山
彼のなれの果て

風が吹けば今にも吹き飛んでしまいそうなそれは、けれども盛られた形のまま
ただ静かにそこにあった。
さっきまで、確かにそこにいたはずなのに。
ぬくもりも、鼓動も、血塗られていたはずの両手にも何もなく
「旦那様は神祖ヴァンパイア、たとえ一度肉体が滅びようとも、お嬢様の力さえあれば幾度でも復活できるのです」
小山と、パステルの顔を見比べながらキットンが続ける。
「無理よ」
ルーミィがそれを遮り、視線をすぐ隣で事の成り行きを見守っていたトラップの方へと移す。
「だって、パステルにはもうその条件が当てはまらないんだもの」

それが、どんな意味を表すのかわからないキットンではなかったが、すぐには信じられるはずもなく、ただかぶりを振り続ける
「まさか…そんな」
当のパステルは今までのショックと、事の事態が理解できないのとの両方からか不安げにトラップの腕に張り付いたまま動かない。
「わたしは嘘は いわないけど?」
すねた子どものような言葉使い、 泣きたいのを必死にこらえての、めいいっぱいの強がりだった。
元々、結末をのぞいて、元々はすべてルーミィの仕組んだことだったのだ。
彼の周りで派手に動き、ハンターたちを呼び寄せる。
あとはルーミィの魔力をもって、彼らの後押しをほんのしてやればいい、この弱り切った魔王は簡単に衰弱してしまうだろう。
後は、彼の切り札であると思っていたパステルを無力化すること

殺めるか、操を奪うか、連れ去るか

けれども、ルーミィはパステルに対して複雑な思いがあった。
同じ親を持つ物として、姉妹のような気持ちと、それに嫉妬…
だからあえて己では手を下さずにこのような回りくどい手段をとったのだが。
選択肢を一つずつ減らしていけば彼はわたしと共に生きてくれる、そう信じて。
そして、ルーミィの思惑通り、クレイはパステルを奪われ、力も残りわずかに追い込まれた。
ルーミィの願いは彼への贄になること、そうすれば彼は再びかつての強大な魔王の姿へと戻れるはずだった

けれども彼はわたしを選んではくれなかった
ちっぽけなわたしを助けるために

キットンは何も言わなかった
過ぎたことを彼女に告げても自分の責任だと彼女の重荷になるだけだ
彼の主君はクレイであり、その愛娘パステルなのだ。
しかしトラップはそれを許さなかった
「他に何かないのかよ、親戚呼ぶとか」
真実を隠されて、訳も分からず慰められるなんて、主義にあわない
すべてを知った上で、後悔だけではなく、前を向いていかなければならない。
それにパステルなら大丈夫だと思っていたし、もしいつまでも泣いて暮らすようだったら自分が後ろから蹴っ飛ばしてでも立ち上がらせてやるつもりだった。
「連帯責任、いやおれがパステルを抱いたせいならおれの責任だろ、それなら俺が何とかしてやるよ」
仕事上、神祖ヴァンパイアが近親者の生娘による儀式で復活できるということをトラップは当然知っていた。
あてなど全くなかったけれども、そこで諦めきれるほど物わかりのいい人間でもない
ふと、抱きしめたままだったパステルを見下ろす

…真っ赤だった

「ぷっ」
思わず引き出しそうになるのを必死にこらえる。
腕の力を緩めてやると、 パステルは腕から飛び出し、指を突きつけてきた
「そうよ!あなたはプロなんだからなんとかできるんじゃないの?」
魔物を倒すことに関しては確かにプロだけれども、魔物を復活させるハンターなど聞いたこと無い。
…さすがに口には出さなかったけれども
「やってみる価値はあるかも知れない」
ずっと黙っていたルーミィがぽつりと言った。
「何か思いついたのか!」
皆の視線がこのサッキュバスに集まる
「思いついた訳じゃなくて…まだ試してないことがあるの、でも成功するかどうかはやってみないと」
「まだ手があるのならそれ、やって見ろよ!」
実際わらにもすがりたい気持ちであったのだか、悲観的になればなるほど可能性は少なくなるような気がしてたまらなかったのだ。

「わたしみたいな女を信用してもいいの?」
今更ながら、自分を卑下するようにルーミィは尋ねる
「んだよ、お前が一番クレイの為を思ってることくらいわかってるんだよ」
「わたしに出来ることがあったら何でも言ってね」
「悔しいですが、あなたに頼るしか術はないのです」

 

「ありがとう」
目の端に涙を浮かべてルーミィは笑った

 

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