椎の木会の変遷
 椎の木会 趣意書から

 
糸賀先生並びに斎藤謙蔵氏の筆作により、趣意書や成立の経過等がつくられたが、言辞表現に現在では使われないものもあるが、ここでは呼称、用語やそれに基づく言及ついては、歴史的資料を尊重し、原著作のまま掲載した。)
 

椎の木会関係綴り 糸賀先生墨書

近代戦に於ける人間生活の破綻を味はされたわれ等にとって、殊に可憐なる少年の群れが寄る辺なくして堕落してゆく姿は悲痛である。到る所にその蕭條枯落、罪悪の巷にさまよひ動もすれば凍餓の死線に追い込まれ行く無援の児どもたちが、捨てられた石のような運命に弄ばれて行くのを我等は座視することが出来ない。
 戦禍の陰に家を失い両親と離れた戦災孤児がそれである。全く世から顧みられざる精神薄弱児わけても白痴児のの痛ましい人生がそれである。その無智の故に又ゆがめられた性情の故に陥り易き犯罪の誘惑がある。これらの無惨な現実の姿を眺めて我等は心から祖国の前途を憂ふるものであ。
 わが近江学園は実にこれらの「問題の児ら」のために敗戦の灰燼の中から立ち上がった。近江の国石山南郷瀬田川に沿つた美しい丘の学園がそれである。既にして百名の園児を抱え、自己の凡てをこの児らのために捧げようとする職員たちの同志的結合は、踵をついて押し寄せて来るあらゆる困難と闘いながら新しき構想をもってより高きものへと精進を続けてゐるその椎の木かげに慕ひいよる児らはいづれも嬉々として暗い過去を忘れ、ひたむきに希望の未来に輝いてゐるのである。

椎の木会発会準備書
荒野の開墾に鍬を振るう男職員の額よりしたたり落ちる玉の汗も、拗ねて駄々をこねる放浪児を、あるいは泣き喚く白痴児をじっと抱きしめる姆母の祈りも、昨日も今日もまた明日も遠い道を重い荷車を挽く事務職員の頬のやつれも、或いは医局や炊事のめまぐるしいばかりの奮闘も、すべてはこれらの不遇の児らを暖め、太らせ、素直ならしめ、伸ばすためのものに外ならない。
 今混沌の淵に沈んでいる我国現在の社会が、やがて、もがき、浮かび上がらんとして、真の教育の姿は真の社会の姿はと探し求めるとき、「問題の児ら」のため斯くのごとき学園が完成することは何といふ力強いことであらうか。
彼等は出来る限り自己の腕によって、脛によって立ち上がろうとしてゐる。
そして園児らにとって学園は永遠の楽園であり、懐かしい故郷であらしめたいと念願した。その為に学園は今、職員自らが血のにじむような努力をもって、農場経営に農産加工に畜産加工に、窯業に、製材に、或は立体農業として或は特異工場として、営々としてその計画を進めじつげんを図ってゐ。一切が独創的であり、新鮮な感覚に満ちて、児らと共にすべてが停滞のない成長である。
 
椎の木会発会提案草稿
かくして第二の日本は「問題の児ら」の問題性の解消の上に築かれて行く。
 我等はこの活きた実在、近江学園の全性格に傾倒し、その理想に共鳴する。それ故に我等はこの学園と協同したいのである。祈り汗して闘ってゐる学園の職員たちをして、出来うる限り本質的な仕事に専念させ、我等も共々にその理想を実現したい。
 「椎の木会」は芭蕉翁の
  まづたのむ椎の木もあり夏木立
よりとり、学園歌の第一節にもうたはれてゐる。その意味は自らあきらかである。我等はこの学園をして、戦災孤児、生活困窮児、精神薄弱児らにとって楽しい、快い憩ひの樹陰たらしめたい。ここに休み、精気を養って、再び目くらむような激しい炎天の道に元気一杯で進んで行く如く、園児らもやがて学園から明るい性格と逞しい身心をもって、実社会へと闊歩して行ってくれるであろう。
 
椎の木会発会提案草稿2
我等は謙虚な友情を以って彼らと一体であることを希ってゐる、ここに興ふるもの受くるものではない。ただ右の手でなしたことを左の手に知らせないことのみによって尊ばれる。日が照らすごとく、水が潤ほすごとくにして、我等は近江学園のために盡したい。                                                           椎の木会同人
     
 
   椎の木会規約
 第 一 條  本會は椎の木会と稱する
 第 二 條  本會は事務所を滋賀縣大津市石山南郷町近江学園内に置
        く
 第 三 條  本會は近江学園に対し精神的及物質的に援助することを目的とする
 第 四 條  本會は前條の目的を達するために左の事業を行う
       (一) 近江学園の維持経営に関しその諮問に應へると共に其の
           具体的なる方途を講ずること(特に生産部門設置運営)
       (二) 厚生思想の普及宣傅
     
  (三) 其他必要なる宣傅

 こうした趣旨に賛同する第一回の理事会が昭和22年8月5日近江学園で開催された。



社団法人「近江学園椎の木会」設立趣意書 
                          椎の木会発起人一同

 「まづたのむ椎の木もあり夏木立」  芭蕉
椎の木は年々に繁る。其の蔭が旅人の夏の憩いとなるまでに生長する。芭蕉の此の句を園歌の一節としてゐる近江学園を後援せんとして我等の椎の木会は曩にスタートした。
 この一年間社会の変動は實に目まぐるしい計りだった。再建日本の進む道は茨の道である危惧すべき様々の事象は相踵いで層々の波を疊んで来る。この底知れぬ詛ひの海からかよわい頼り少ない青少年を救うための社会施設の中で近江学園が運命の子等に投げかけた大きな愛護の手は今や宏壮な建物に溢れる計りにまで収容園児の数を増した。それが教育上、財政上の息づまる経営苦を凌ぎ来って開園後一ヶ年有半のこの四月には新制中学に進む園児も三十四名に上り新たに縣立として一進路を擇ぶこととなった。我椎の木会も一つの木目を加えた。この機会に一段の飛躍が我等の上に期待し社団法人椎の木会が生まれた。これは欝々たる夏木立への出発である。申すまでもなく世路の困難は今日は昨日の比ではない。緲たる一近江学園の救護施設が滔々たる人生の波に漂う幾萬の運命の子等に何の幸福を齎らし得ようかと言う見方をなす者ありとせばそれは誤って居る。大きな禍根の芽は一葉を摘み採ることによって全生命が生かされる。ここに播かれた種は一粒の麦であってもその顆は幾萬粒となって収穫せられる。一善を以って百悪を救う道もある。
 我近江学園は僅か1年有半であるが過去に於ける其の實蹟は未来えの大きな期待を示した我等はこれを誇りとしたい。而してここからよりよき社会を作り出さんとする為には大きな努力が必要である。もしそれ戦後日本の混乱時に現出した青少年の生活實状の原因を遡及探求すれば過去の生活主体たる大人の世界にも道義的に多大の責任があると謂わねばなるまい我等は現在の頼り少き薄幸の子供達が過去の社会悪の犠牲者であるのだと言う考え方を否定することが出来ない。茲に於て國家としては之等の誤りから少年を救う義務があり、国家の構成者たるお互いには進んで其の救護施設に協力すべき義務ありとするのも当然である。而して椎の木会が社団法人組織によって強調すべき点は第一に学園の経済安定である。学園に働く職員達をして後顧の憂いなく教育に養護に専念せしめることが夫れである。此の際我等は自我見を捨てて極めて合理的に其の内容の充実に努め公人としての社団法人椎の木会の基礎を確立し只管関係者が夫れ夫れの方面より適宜其の進展を圖ることである。斯くして別紙社団法人椎の木会の規定が即日其の実効を發揮すれば之に全幅の信頼を寄せて堅く手をつないで居る近江学園は矗々参天の勢を以て一路邁進、自由の活動を更に大きく更に劇しく續
けるであろう。我等はこの日の速に来ることを期待して止まぬのである。
    
社団法人「近江学園椎の木會」定款
 第 一 條 本會ハ社団法人近江学園椎の木會ト稱ス
 第 二 條 本會ノ事務所ヲ大津市石山南郷町1006滋賀縣立近江学園内ニ置ク
 第 三 條 本會ハ滋賀縣立近江学園ニ對シ精神的及物質的ニ援助スルコトヲ目的トス
 第 四 條 本會ハ前條ノ目的ヲ達成スル為左ノ事業ヲ行フ
  (一)滋賀縣立近江学園在園者ノ福祉厚生面ニ對スル諮問ニ應ヘルト共ニ其の具體
     的方策トシテソノ生産的部門ヲ支援シ之ガ運営ニ協力ス
  (ニ)園児ノ将来ノ社會的自立ヲ圖リソノ具体的ナル支援ヲ
  (三)「問題ノ児」等ニ関スル啓蒙運動トシテ講演會、映画會、座談會等ヲ開催ス
  (四)機関紙「南郷」ノ刊行
  (五)其他本會ノ目的ヲ達スルニ必要ト認メル事業

 
   
組織をあらためさらに近江学園の支援助成を強化し公的な責任も果たしていくために社団法人「近江学園椎の木会」の設立発起人会なら  びに第一回理事会が開催された。


 社団法人椎之木会

 落穂寮 誕生を見るまで 

椎の木会について

(イ)従来椎の木会は近江学園の後援団体として誕生したが、昭和23年社団法人近江
   学園椎の木會となり、安居喜八氏を會長として近江学園に収容されている不幸
   な児童のために、いわばPTAの様な役割を果たして来た。
(ロ)ところが、近江学園の運営をつぶさに知るに及んで学園には、二つの大きな問題
   が伏在していることを知った。
   一つは精神薄弱児のうち、特に重症な痴愚や白痴の子等の問題である。成人して
   も五才か六才位の知能しかもたない、いわば「永遠の幼児」ともいうべきもので
   学園の中で現に非常に特殊な存在でその他の精神薄弱児とも質的に区別せねばな
   らないこと、そればかりでなく、将来社会生活は不可能であろうということであ
   って、どうしてもこれらのために、いわば白痴院とでもいったものを設置して、
   生涯の保護をしてやらねばならぬという点であり、
   二つには、学園で育った子供達のうち白痴でなくても、成人して社会に家もなく
   親もなく、働く職場もないという場合に、それらの青年たちが何とかして社会生
   活が出来る様に保護をしなければならぬという点である。
(ハ)此の二点が解決しないと、近江学園は法的に別段責任はないとしても、本當の意
   味の児童の福祉ということにはならぬのではないかということに気がついたわけ
   で、こうした事は近江学園以外の施設でも恐らく悩んでいるのではないかと、想
   像した。
(ニ)そこで、幾度も理事會を開き最近は臨時総會も開いて、本會としては、従来の縣
   立近江学園の後援団体という性格を飛躍して、一つの独立の社會事業団体となり
   上記の二点の難問題と取り組む決意をした。

 
昭和二十五年三月二十日、滋賀縣立近江学園にて第六回理事会にて可決する。

  定款変更
 
 第 一 条 本會は社団法人椎之木會と稱しその事務所を大津市石山南郷町岡の平
       1106番地に置く
  名稱変更の理由
  昭和二十三年八月設立した本會爾来一年有余に亙り其の定款の事業目的に基き滋賀
  縣立近江学園の後援団体たる機能を発揮して参りましたが、今回その定款を変更し
  て滋賀縣立近江学園の後援団体たる性格を離脱し、新たに本会独自のたちばに於て
  社会事業を経営することになったので標題の如く名稱を変更せんとするものであり
  ます。
 第 二 条 本會は児童福祉法、生活保護法の対象となる青少年を援護し且つ教導す
       る事を目的とする
 第 三 条 本會は前条の目的を達成する為に左の事業を行う
  一 児童福祉施設の設置
  二 保護施設の設置
  三 その他必要と認める事項


落穂寮の誕生


イ)そこでまず第一の白痴院とでもいうべき施設の建設をして、次第に第二開寮記念式と祝会
   の問題をも力の及ぶ限りとりあげる方針をたてた。
(ロ)幸に近江学園のすぐ近くに適當な賣家があったので、本会が特志者の好
   意をうけこれを買収し、二十名定員の精神薄弱児施設としてこれを経営
   することゝなった.
(ハ)名稱は、落穂寮とした。
(ニ)寮長は前安居會長の後をうけて會長となった斉藤謙蔵氏で
     職員八名、既に人選も終わった。
(ホ)開寮は5月1日で當日午前十時現地に於いて開寮式を挙行す
   る。


 つねに将来を見据えて前進する故糸賀一雄先生の障害児者に対する気迫あふれる思想信念が参下の施設の数々を生み出していった。

  社会福祉法人 椎の木会
 

社会福祉法人認可書

社会事業法(後に社会福祉法)の制定により従来の社団法人椎之木会を標題の社会福祉法人に組織変更の手続きにより昭和27年8月20日付け厚生大臣の承認書が交付された。
  
   社会福祉法人 椎の木会定款
      
第 1 章 総   則

  (目 的)
  第1条 この社会福祉法人(以下『法人」という。)は、多様な福祉サービスが   
   その利用者の意向を尊重して総合的に提供されるよう創意工夫することにより、
   利用者が、個人の尊厳を保持しつつ、自立した生活を地域社会において営むこ
   とができるよう支援することを目的として、次の社会福祉事業を行う。
   (1)第1種社会福祉事業
    (イ) 知的障害者更生施設 落 穂 寮 の設置経営
    (ロ) 知的障害者更生施設 杉 山 寮 の設置経営
   (2)第2種社会福祉事業
    (イ) 知的障害者地域生活援護事業 しいのきホームの設置経営
    (ロ) 知的障害者地域生活援護事業 杉山ホームの設置経営
   (3)その他の社会福祉事業
    (イ) 知的障害児および者にかんする研究、指導、啓発
    (ロ) その他この法人事業の目的達成上必要と認める事項
   (名 称)

  第2条 この法人は、社会福祉法人 椎の木会 という
  第3条 (略)
  (事務所の所在地)
  第4条 この法人の事務所を滋賀県湖南市東寺二丁目2番地2号に置く
                       
(平成16年10月25日現在

 
落穂寮開寮後の法人と施設の概要と経過

     法人名    社 会 福 祉 法 人  椎 の 木 会   
    代表者名    理 事 長 高 井 正 義     
     設立者    糸 賀 一 雄 (初代近江学園長)

     功労者    理事者 吉 田 な み 二代目寮長 斎 藤 ち か 
            三代目寮長 増 田 正 司
            旧職員 岡 山 喜 久 治  初 田 春 枝
            荒 川 友義(元近江学園庶務部長)  
  歴代理事長名    昭和25〜27年度  斎 藤 謙 蔵  吉 田 ナ ミ
              28〜31年度  村 田 幸 一 郎
              32〜33年度  吉 田 ナ ミ
              34〜35年度  三 品 吉 兵 衛

晩年の吉田ナミ先生と斎藤ちか先生

              36〜52年度  奥 村   準
              53〜54年度  吉 田 ナ ミ
              55〜59年度  北 河 一 二
            60〜平成02年度  福 田 杲 正
        平成03年度〜平成16年度  増 田 正 司
             平成17年度〜  高 井 正 義
           理事長と岡山 喜久冶氏以外の各氏は既に亡
           くなられた、生前は椎の木会並びに落穂寮の
           設置運営に力強いご支援をいただいた。

旧料亭を買収、改装した開寮時の建物

  昭和25.05.01    落穂寮、児童福祉法上の知的障害施設の
            認可を受け開寮。
            近江学園の「さくら組」13名が措置変更
            され、新生活始まる。
    25.05.03     寮長斎藤謙蔵死去、夫人のちか亡夫の遺
            志を継ぎ二代目寮長に就任。
    25.12.31    公費補助金をうけ児童館を建設、定員30
            名となる。

開寮の昭和25年の夏瀬田川沿いの土手で

    30.05     「美術手帳」落穂寮児童作品特集号発行。
    30.10.30    共同募金配分金をうけ、法定年齢(20歳)
            を超えた者を引
            続き生活させるための成人寮を建設。
    34.03.31    旧館をこわし、跡地に児童本館、事務所・
            調理室・浴室を含んだ管理棟を建設、児童
            定員50名になる。
    34.12      隣接の谷合の敷地を借り、作業指導の養鶏
            事業を始める。
            43年まで続く、飼育数2,000羽まで伸ばし大いにも
            うける算段するも、収支計算は惨敗なるも指導教育上の効果
            絶大だったといえる。
    40.06.01    増田正司三代目寮長に就任(平成3年3月31日迄)。
    43.05.01    県内からの入寮希望に答えるため施設の増設を検討するも狭
            隘の現敷地内での拡張は難しく、おりしも滋賀県「児童福祉
            対策(知的障害者(児)」要綱が策定され寮の整備計画が示
            された。
    45.05.01    現在地滋賀県湖南市東寺2−2−2に定員80名が生活でき
            る建物の建設完了し、旧地大津市南郷岡の平から移転する。
            寮内に小中学校の分校としての教室が設けられ、学齢児は学
            校教員より始めて義務教育の授業を受けることになった。
            公費補助金ならびに日本船舶振興会更に清水基金よりの助成
            金によって施設整備が進められた。
    45.06.30.    待望の自前のプール完成。子どもと親と職員の汗の結晶であ
            る。(防火用水地兼用)滋賀県共同募金会の特別交付金によ
            り完工。
    48.03.31     六角形の作業棟完成。ここから紙粘土のお面や土偶をくりそ
            して岡本太郎さんや谷川俊太郎さんが褒めてくれ、東京銀座
            ででの作品展で東京のたくさんの人たちを感心させた 焼物
            の土偶、お面、木工の作品がうみだされている。
            建設のため日本自転車振興会より補助金を頂いた。
    49.03.31     分校の授業をするにも教室がなく不自由していたので4教室
            の学習棟を清水基金の助成金により建設する。
    50.03.31     児童居室と食堂にセントラルヒーティング方式の暖房設備完
            工、子どもたち大喝采。
  53.07.17〜18    富士登山を実施
  54.02         隣接の湖南市柑子袋に県立三雲養護学校ができ学齢児が通学
            開始。
  54.08.23〜29    東京展開催、寮生の粘土(窯業)の作品展を東京銀座明治画
            廊で開く。(62年まで夏季8回開く)
  55.05.11〜15    落穂寮創立30周年記念事業として琵琶湖周歩春・秋の2回に分
            け実施。
    55.07.20     在宅の障害児のため体験入寮を始める。
             県単独事業の生活ホーム「椎の木ホーム」を設置運営する。
  55.10.13〜15    琵琶湖周歩秋の部、春・秋とおして一周完歩。 
    55.11.15    落穂寮創立30周年記念式典を寮内体育館で挙行。
    58.04.01    三雲養護学校に高等部設置。該当児4名就学する。
    56.03      兵庫県・笹山ABCマラソンに参加、以後3年間参加。
    57.04.14    生活ホーム(就労し、退寮するも保護家庭なき者達の生活の
            拠点)寮内の空き家族舎を利用し設置、運営開始。
    57.07.30     入所児童の障害がますますの重度重症化し年齢も成人に達
            し、さらに長ずる現状から生涯の福祉のため更生施設建設の
            計画を県と協議する。
  57.10.03〜04    第一回日本スペシャルオリンピックが藤沢市で開催、サッカ
            ー球技に参加。
    59.01.26    湖東・愛犬地区に成人施設を建設するため県手をつなぐ育成
            会と協力し、湖東・愛犬地区知的障害者更生施設建設推進協
            議会を立ち上げる、当会が設置運営の計画であったが地域の
            要望もあり、新設の別法人が組織され期待の成人施設がオー
            プンした。
    60.08     ブロック展大津図書館で寮生の絵画を中心とした展覧会開催以
            後5回開催。
    60.04.18    56年度よりの短期療育事業(当初は体験入寮といっていた)を
            更に促進するため学習棟のうえに短期療育棟を中央競馬福祉財
            団の補助金をう け建設。
    62.10.30    各棟の老朽化が進んだため、日本財団(旧日本船舶振興会)の
            補助をうけ各棟の補修事業完了。
  62.11.04〜08    名古屋展開催、寮生の粘土焼物製品作品展名古屋ギャラリーハ
            ウスで開催。
  63.06.07〜12   名古屋展開催、寮生の粘土焼物製品作品展名古屋ギャラリーハ
           ウスで開催。
  平成 元.03.10   中央競馬福祉財団の補助をうけ、新作業棟完成。
    元.10.04   滋賀県高島郡今津町杉山字山中地先の家屋2棟(172u)と土
           地(413u)を購入。購入家屋の掃除、補修作業に寮生、職員
           共々出かけ、日帰りまたは2〜3泊したりで進めてゆく。翌年2
           月に親の会の補助で杉山の家での必需物品を購入出来ることと
           なる。
    元.12.10   公費補助を受け永年の懸案であった合併浄化槽への改修工事完
           了。
    02.04.16   寮生12名、職員4名により杉山の家でも生活はじまる。(月曜
           日に出発、金曜日に帰寮)
    02.04.01   「落穂寮。杉山の家」を設置、生活を始める。(以降、杉山
           寮、杉山ホームについては杉山寮のホームページ参照)。
    02.10.21   落穂寮創立40周年記念式典を石部文化ホール及び寮内にて開
           催、記事業として作品展を開催、写真集発行。
    03.04.01   増田正司、落穂寮長退任、理事長就任。
           池谷正晴、落穂寮長就任。
    03.07     落穂寮成人施設転換についての検討に入る・
    03.03.31   池谷正晴病後の療養につき退任
    04.04.01   山下陽一、落穂寮長に就任。
    04.04.01   「椎の木」をグループホーム「しいのきホーム」に変更。
    07.03.    石部展、寮生の造形作品を石部町文化ホールにて開催。以後
           毎年冬季に開催。
    07.10.15   落穂寮創立45周年記念式典を開催。卒寮生、旧職員とともに祝
           う。記念事業として、大津市南郷(創設の地)より現在地石部
           町東寺迄リレーマラソンを挙行。健闘し成功。
    08.04     児施設から知的障害者更生施設へ転換する要望書を県に提出。
    10.05     平成10.11年度の公費補助事業として施設整備承認の内示をうけ
           る。
    10.10.13   建設起工式挙行。
    10.11     第一期工事着手。旧児童棟B棟、食堂棟解体工事はじまる。
    11.05     第一期工事完工。(女子棟、食堂、洗濯室、機械室、食品庫)
    11.06     第二期工事着手、旧児童A棟厨房外解体着手。
    12.02     第二期工事完工。(男子棟外完成)、
    12.03.06   更生施設転換のための施設整備事業完工竣工式挙行。
    12.04.01   知的障害者更生施設「落穂寮」開設。
    12.10.29   落穂寮創設50周年記念式典及び祝賀会寮内にて開催。
 

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