羅漢さんのクリスマス

羅漢さんのクリスマス


終戦直後の東京の日曜学校で起こった事は?


(きいれ)

  1. 序章(1):自殺

    昭和18年2月早朝、北支。
    昨夜からの零下何10度という寒さですっかり凍り付いて陸続きになったソ連との国境の広い川を関東軍の若い中尉が中国側から渡って行った。
    その兵は匍匐(ほふく)するでもなく、周囲に全く無警戒ですたすた川の中央に進んだ。
    対岸の双眼鏡で見張って居た最前線のソ連の斥侯兵が訝(いぶか)りながらも打ち殺すべく、小銃を構えた丁度その時、日本兵は川の真ん中で跪(ひざまづ)き、胸に十字を切るや手榴弾を抱えて自爆した。
    ダン!
    鈍い音が凍り付いた川面を走り、日本兵の肢体は四散して、川面の氷に小さな焼け焦げを作った。
    ソ連兵は凍った髭の下から何やら汚いロシア語を吐き出し、しばらく瞑目した後、何事も無かったように再び双眼鏡を手にして川を見やった。

  2. 序章(2):中尉殿

    昭和17年盛夏の夜、中支。若い初年兵が怖かった本日の遭遇戦を思い出しながら、夢のようなこれまでの日々を天幕の中で寝転びながら回想していた。

    …故郷の小さな駅を父母の涙と沢山の日の丸、棒読みに聞こえた万歳に送られて自分は列車に乗った。
    京都を過ぎたのは深更、東寺の塔の影すら見えない暗闇、心細さに身も心も震えた。
    初めて見る瀬戸内海に期待したが、汽車はまもなく全てのよろい扉(ど)(軍隊の移動を一般人の眼につかないように閉ざす目隠しの戸)を下ろし、眠られないまま深夜に門司に付いた。
    門司の土は身体を凍らせる程冷たく自分の身体に突き刺さり、
    宿舎の割当を待って公園にしゃがみ込んでいる間中、尿意が白紙の精神を下から突き上げ、
    激しい身震いが続いた。

    …内地を去る朝、
    『女学生の楽隊が見送っているぞ』
    弾んだ同僚の声にも心は滾(たぎ)らず、甲板にも上がらずにじっと膝を抱えて、
    (な)くような汽笛と油のにじんだ振動で出港したことを知った。
    ボロ貨物船は玄海の波に揉まれて独楽のように回り、眩暈と船酔いがようやく染まり始めた精神をずたずたに引き裂いた。
    「これから、本当に戦争するのか。」
    素朴な疑惑が湧くと同時に内蔵が口から飛び出し、
    甲板に駆け昇って暗い海に向かって激しく嘔吐した。

    …朝鮮。赤土の山、赤土の崖、赤土の原、赤土の道。
    低い農家と無表情の農夫、車馬。
    列車は唯々(ただただ)進む。
    永遠に続く単調な響きに揺られ、序曲なのか終曲なのかも解らぬまま、自分の精神は遠(とう)の昔に借り物の服を着た時のような違和感で包まれる。
    戦争、戦い、死。
    地獄へ向かっているのだろうか。

    …1週間後、始めて地面に降りた。
    あちこちに転覆した貨車が散乱、山という山の頂きにはトーチカと城砦、
    ここが弾の飛び交う前線であることをいやという程知らされた。
    隊を整え、降るような星空の下を黙々と行軍して小さな支那の田舎町に着いた。
    自分の中隊は鉄道付近の警備に当たった。


    …そして、今日の遭遇戦。
    雲一つない空の太陽に灼けた埃の道を行軍、汗にまみれ、背嚢と小銃の重さで肩、腰は痛みにぎしぎし鳴っている。
    一昼夜の行軍に今朝早く倒れた戦友の顔が浮かぶ。
    この行軍では敵の弾よりえつ病(日射病)で多くの兵が倒れた。
    突然、止まれの号令。
    前方で斥侯と尖兵(前進部隊の最前線に警戒配置される兵)、中隊長が話している。
    前方の丘の麓に敵兵の行軍ありとの報告。
    攻撃隊列に散る。
    緊張が沸騰して頭がガンガン鳴る。
    脚はガクガクで力は入らない。
    皆黙って汗と泥にまみれたすごい顔。
    匍匐(ほふく)また匍匐。
    LG(軽機関銃兵)の連続点射が青空に谺(こだま)する。
    尖兵の列が乱れる。

    中隊長が軍刀を抜く。
    敵からの銃撃。
    尖兵がバラバラになる。
    心臓が飛び出す。
    弾が来る。弾が来る。
    号令と銃声。
    前の中尉殿の顔が青い。
    皆怖いんだ。
    立って走る。
    のどがカラカラになって、転んだ。
    捻挫したのか歩けない。
    誰も自分のことなど振り返ってもくれない。
    もう、駄目だ。お母さん。死にます。
    涙が出た。

    …1時間程経ったと思ったが実際は数分だったらしい。
    先の青い顔をしていた中尉殿が戻って来て、自分を助けて呉れた。
    肩を貸してくれた。
    片脚を引きずりながら中尉殿と走っている内、敵の居た小さな丘に着いた。
    敵は幸い退走したらしい。助かった。
    全身の力が抜けて丘に座り込んだ。

    その夜、自分を助けてくれた中尉殿と話し込んだ。
    「自分は敵といえ、戦争による殺人行為に疑問を持っている」敬虔な切支丹(クリスチャン)だと言う中尉殿は青い顔で切り出した。
    「では、どうして士官になられたのですか」
    素朴な疑問をぶつけた。
    「いずれ兵隊に取られると思った。
    召集で取られれば新兵の二等兵から始めねばならない。
    そうすれば、上官が人を撃てと言えば撃たねばならない。
    士官になれば自分が命令するのだから、何とかなると思った。
    しかし、戦場に来れば、今日のように撃たなければ、撃たれる。
    自分の考えは甘かったと遭遇戦で解った。」
    だから、あの時青い顔をしていたんだと合点がいった。
    それにしても、敵兵すら殺すのが嫌だとは、変わった中尉殿だ、そう思った。
    やがて集合の号令が掛かり、天幕を出て車座に座って、中隊長から本日の戦闘についての反省を聞いた。
    今度の行軍では、えつ病と本日の遭遇戦で中隊の半数を失ったと言う。
    中尉殿が発言しようと立ち上がった瞬間、敵のゲリラからの発砲があり、弾は立ち上がった中尉殿の両足の間、股の下のわずかな空間を潜り抜けて、丁度対面に座って居た自分の肩に当たった。
    味方の兵がすぐに追いかけたがゲリラは既に逃げて捕まらなかった。

    幸い自分の傷は軽傷で軍医殿の手当てで一命は取り留めた。
    「自分と同じ所に傷が出来たね、本来なら私の背中に当たっていた弾丸だ、身代わりになってくれてありがとう」
    若い頃火傷(やけど)で肩に瘢痕(ケロイド)のある中尉殿に、とんちんかんなお礼をされた。
    自分は一辺(いっぺん)に中尉殿が好きになった。

    間もなくこの初年兵の部隊は北支に転戦した。
    2月の寒いある日、中隊から先の中尉が居なくなった。
    斥侯の話しだとソ連との国境の川当たりで爆音が聞こえたということだった。
    日頃戦闘意欲の欠けた中尉を好ましく思っていなかった中隊長からは敵前逃亡のレッテルが張られた。

  3. 第一章:羅漢さん

    終戦後6年程経った師走の日曜日。
    焼け野原になった東京にも仮屋(バラック)が経ち、人が集まり、ようやく町に賑わいが戻った。
    この日、大売り出しのちんどん屋が旗を掲げて右に、左に、駆け回り、貧しいながらも師走の活気に蒸れた根津の通りに、大きな笑い声が突き抜けた。
    「やあ、お早う。わっはっはっは」
    『全身之顔』と書いた襷を掛けて、冬だというのに上半身裸体、半ズボンの男が、笑いながらゆっくりと歩いている。

    戦争で受けた弾傷のケロイドを肩に持つこの男は、羅漢さんの愛称で下町中に親しまれていた。
    彼は主張した。
    顔は真冬でも空気に晒して寒いとは感じない。
    身体全身を顔を思えば、裸で外を歩いても寒くない筈だ。
    しかし真裸では外を歩けないので、半ズボン一つで歩いている。
    この運動を促進しよう。
    羅漢さんの主張に賛同した弟子と会を作って、下町中を上半身裸、半ズボン姿で歩き回って宣伝している。
    しかし、本当の所は何でも戦争中お世話になった、同じ所に傷を持った元中尉の軍人さんの家族を捜すため、上半身裸になって傷を見せながら東京中を歩いていると言う話しだ。

    羅漢さんは苦労して支那から引き揚げ、恩を受けた中尉殿の家族をすぐに捜した。
    しかし、元の東京の住所の銀座は焼け跡となっていた。区役所で中尉の家族の消息を尋ねたが、戸籍も焼けて解らず仕舞い。かろうじて中尉の母の健在を知ったに留まった。
    この日から羅漢さんの人捜しが始まった。
    支那からの引き揚げ船の中で知り合ったKという男が敬虔なクリスチャンだったことを思い出した。
    更に記憶を辿って、K氏が根津の権現様の坂上の教会に行っている事を思い出した。
    もしかしたら中尉殿の家族の消息を御存知かもしれないと一縷の望みを託して、今日はそのK氏に会うために根津の権現様の坂上にある聖提麼太(テモテ)教会にやって来た所だった。

  4. 第二章:聖提麼太(テモテ)教会

    聖提麼太(テモテ)教会は明治時代に創建された由緒ある聖公会の教会で、昭和の初期に当時東京に2台しか無いと言われていたパイプオルガンを備えた聖堂と会館が新築され、隣の東大の学生や弥生町のインテリが集まって賑わっていた。
    しかし、残念なことに、今度の大戦で新築したばかりの聖堂と会館が類焼した。
    終戦後主に米国聖公会の信者の寄付によって二階に礼拝堂のある木造仮屋(バラック)建ての会館が建てられた。
    K氏はその教会の日曜学校の先生と青年会の幹部で活躍していた。

    当時の日曜学校は、テレビも塾もない子供達の日曜日の遊びの場として、会館に入りきれない程の子供が集まって大賑わいだった。中には悪餓鬼が居て、礼拝の代祷の時に
    『主よ、この願いを聞き給え』と唱和するのを、
    『ひよこの願いを聞き給え』と唱和したり、

    主我を愛す 主は強ければ
    我弱くとも 恐れはあらじ
    我が主イエス 我が主イエス
    我が主イエス 我を愛す

    という聖歌を次のように歌ったりした。

    エスさん、わてを愛しなはる
    エスさん、強いさかいに
    わては弱いんやけど 怖いこたぁあらへん
    わてのエスさん わてのエスさん 
    わてのエスさん わてを愛しなはる

    そして、K先生からいつも叱られていた。


    上半身裸で変な襷を掛けた男が日曜学校の礼拝後の分級の時間にやってきた。
    悪餓鬼共は先生の話を聞かずにすぐに羅漢さんを取り囲んだ。
    「K先生は?」
    羅漢さんが尋ねると、
    「階段教室だーい。」
    「階段教室?。」
    「うん、生徒が多くて教室が足りないから、K先生は二階へ昇る階段に生徒を座らせて教えているんだ。」
    早速羅漢さんは階段へと急いだ。
    まだ分級中とのことで、羅漢さんは30人程の生徒が見事に連なった階段の脇で先生の分級が終わるのを待った。

    分級が終わるとK先生は羅漢さんを生徒達の真ん中に座らせ、引き揚げ船以来の旧交を暖めあった。
    羅漢さんを生徒達に正式に紹介した後、羅漢さんの尋ね人の話しを聞くや、

    「確かに陸士に行って、尉官になり、北支で行方不明になった兵隊で熱心なクリスチャンだった方を知っています。
    こちらには『敵前逃亡をした』という話しになっていますが、彼らしいと思っています。
    以前銀座の聖パウロ教会の信者でした。聖パウロ教会は戦災で全焼しましたので、今はこちらに教籍を移しておられます。」
    K先生は中尉殿の家族の消息を知っている様子だった。
    羅漢さんは思わずK先生の手を握って
    「家族の方はどちらにおられます?。」
    「会ってどうなされます。」
    「大陸でお世話になったお礼を言いたいのと、実は中尉とのが行方不明になる前に『君が生きて祖国に返ったら、自分の家族に渡してくれ』と言われて、中尉殿から手紙を預かっているのです。」
    羅漢さんは興奮した様子で、黄ばんだ封書を鞄から取り出した。

    「中尉のお母様は戦災で家族と家を失って今は根津神社の裏のアパートに一人で住んでいます。
    実は糖尿病でほとんど目が見えません。
    ここの牧師と一箇月に一回位は訪問して聖餐を受けさせています。
    この手紙は私がお預かりしましょう。
    ところで、貴方は先刻(さっき)中尉と貴方は肩の同じ所にケロイドの傷があると言いましたが、背格好も似ていますか?。」
    「はい、年も背格好も、そういえば顔も似てると言われたことがあります。」
    K先生は何事か一人で考えていたが
    「来週の日曜学校の礼拝後に子供達とクリスマス会をします。
    その時に貴方と中尉のお母様を招待しますので、是非いらして下さい。」
    いつもは騒々しい生徒達も思わぬ成り行きにしずまり返っていた。
    K先生はその中から一人の生徒を指差し、何事か指示すると、すぐに根津神社の裏のアパートに走らせた。

  5. 第三章:婦人

    「私はとんち教室の青木先生です。出席を取ります。
    徳川夢声さん、石黒啓七さん、長崎抜天さん、サトウハチロウさん、西崎緑さん…」
    薄暗い一間のアパートで初老の婦人がラジオを聞いていた。
    目を悪くしてからはラジオが唯一の楽しみで、北支で行方不明になった息子の安否を知るため、特に引揚者の名簿と尋ね人の時間は毎日欠かさずに聞いていた。
    「さて、試験問題ですが、生徒のみなさんの名前の漢字は当用漢字にある漢字ですか、という出題からです。
    早速ですが徳川さん。
    えー私のは皆ありますな。
    正解です。では長崎さん。
    僕のは抜くという字が違うと思うんですが。
    いいえ、抜くの字は当用漢字にあります。実は長崎の崎の字が当用漢字にありません。
    次、佐藤さん。
    俺の字は皆カタカナだもん。漢字じゃないもん。
    だからですね、漢字に直した場合どうですか。
    漢字に直せないもん…。」

    ラジオを聞きながらしばらくウトウトしていた婦人は、次に聞いた天気予報に腹を立てた。
    「『晴れ時々曇り、所によって雨』ですって。こっちはね。
    その時々が何時で、その所が何処か知りたいんじゃないですか。こんな予報なら誰でも出来ますよ。」
    大きな独り言が狭い割りにはきちんと片付いた部屋に響渡った。

    続いてプロ野球の伝統の一戦、巨人阪神戦の中継が後楽園からあった。
    野球は何にも知らないので興味はなかったが、不穏な朝鮮の情勢から臨時ニュースが入るかも知れないと考えて、ラジオをつけっぱなしで、分厚い聖書を広げた。
    目が不自由なので、大きな凸レンズで聖書のページをなぞるように字を追った。

    われ窮苦(なやみ)のうちにありてエホバをよび叉わが神にさけびたり、エホバはその宮よりわが聲をきゝたまふ、その前(みまへ)にてわがよびし聲はその耳にいれり。(詩篇18・6)

    「そう、私の叫びを主は聞いてくれたのだから待ちましょう。
    何時までも待ちましょう。」
    ラジオでは巨人の4番川上が適時打を打って点が入ったと絶叫していた。

    「おばさん、おばさん!」
    ウトウトしていたら近所の子供に起こされた。
    「来週ね、日曜学校でクリスマス会をするから絶対来て下さい。K先生が待ってますって。とても素晴らしいプレゼントがあるって。迎えに来るから絶対に来てね。」
    「わかりました。行きますよ。」
    婦人はゆっくり答えた。

  6. 第四章:クリスマス会

    聖提麼太(テモテ)教会の日曜学校クリスマス会。
    二階の聖堂に大きなクリスマスツリーが飾られ、日曜学校の生徒による劇が始まっていた。
    祭壇は聖歌隊の椅子が片付けられ、幕が張られて舞台となった。
    2階聖堂の2列15行ある信者席の長椅子は、中尉のお母さんと羅漢さんを真ん中に大勢の生徒達で鈴なりに埋まって居た。
    クリスマスキャロルを歌う学年、寸劇をする学年、紙芝居をする学年と続き、最後のキリストの聖誕劇に入る前に、K先生は羅漢さんを階下の教室に呼んで頼み事をした。

    「羅漢さん、貴方が私を思い出して中尉のお母様に会えたのは、キリストの聖誕の時に東方の三人の博士が星に導かれて馬小屋に辿り着いたように、聖霊に導かれて私の所に来たと思います。中尉のお母様はまだ中尉が生きて帰って来ると信じています。
    変なお願いですが、これから貴方は中尉の身代わりになってあの婦人と暮らして頂けませんか。
    私達も最大限援助します。」
    しばらく考えていた羅漢さんは無言でK先生の手を握り締めた。
    それが羅漢さんの答えだった。

    キリストの聖誕劇も終わっていよいよK先生がサンタクロースの扮装で会場に現れた。
    子供達から大歓声が湧いた。
    サンタさんは子供達に袋からキャンディーやら、チョコレートやら取り出して配り始めた。
    生徒達は皆手を出して我先にプレゼントを貰った。
    一通り配り終えて、生徒達が満足して静かになった所でK先生は婦人の前に行った。
    「息子さんですよ。これがクリスマスプレゼントですよ。」
    婦人の手を取って羅漢さんの上半身裸の肩のケロイドに置きながら、婦人の耳にささやいた。
    婦人は、若い頃自分の不注意から息子の肩に作った火傷の痕をなぞりながら、声もなく涙を出した。
    「本当だ。本当に息子が帰って来た。
    ありがとう、ありがとう。
    主は私を見捨てなかった。ありがとう。
    そしてメリークリスマス」
    子供達の拍手に驚いてか、折から真っ白な雪が降り出し、本当のホワイトクリスマスになった。

  7. 終章:遺書

    K先生に預けられ、開封する事のなかった中尉からの手紙には次のような事が書かれていた。

    お母さん。先立つ私をお許し下さい。
    父の希望もあって陸士から士官になったのですが、イエス様の教えに従っている私には、人を殺せません。
    人を殺さぬ兵隊は必要ありません。
    上官は如何に人を殺して戦争に勝つかばかりを考えています。
    そのために人を使います。
    上官の命令に従えば私は人を殺さねばなりません。
    イエス様はこの世の何よりも人の命は尊いと教えて下さいました。
    これは矛盾です。
    矛盾する世界には生きていけません。
    自殺もイエス様はいけないと教えて下さいました。
    しかし、他人を殺す位ならまず自分を殺そうと考えました。
    自分は何回も死ぬような目に会いましたが、その都度強運にも生き延びて参りました。
    この辺が生の潮時と考えました。

    ーすべて勞(つかれ)たる者また重(おもき)を負(おへ)る者は、我に来たれ。我なんぢらを息(やす)ません。我は心柔和にして謙遜者(へりくだるもの)なれば、我(わが)(くびき)を負(おひ)て、我に學(ならへ)なんぢら心に平安(やすき)を獲(う)べし。蓋(そは)わが軛(くびき)は易くわが荷は輕(かる)ければ也。(馬太(マタイ)傳11章28節)。

    ではさようなら。いつまでもお元気で。

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