〜編・〜篇
よく、シリーズものになっている書物などでサブタイトルに「〜編」とついているものがある。また、本によっては「〜篇」と記していたりもする。では、この二つの文字にどういった違いがあるのだろうか?意味的にはどちらが正しいのだろうか?
大昔、まだ紙が発明されていなかった頃、中国ではどのような形で文書を記録していたかご存じだろうか。答えを先に言うと、古代遺跡の発掘などのニュースを見ているとたまに出てくる言葉に「木簡」というのがあるが、そいつこそがまさに記録媒体そのものだった。表面を平たく削った木や竹の札に文字を記録し、その一番上に穴をあけて紐を通して束ねひとくくりにして保管していたものである。
実はこの二つの「へん」の字はその木簡を表す形声文字だった。つまり、木簡の札そのものを表すのが「たけかんむり」の篇で、紐を通して束ねた一種の書物を表すのが「いとへん」の編なのだ。わかりやすく、パソコンに例えると「篇」はファイル、「編」はフォルダ、というところか。
したがって、シリーズものの本では意味的には「篇」の字を使うのが正解、ということになる。しかし、ややこしいことには、日本で使われる漢字は国が定める「常用漢字」というものがあって、新聞などではより多くの読者にその内容を理解してもらうために、人名や地名など特殊な場合を除き常用漢字以外は使わないことになっている。で、この「篇」の字が常用漢字からハズレていることもあり、意味も近くて読みが同じ「編」の字を代わりに使用している場合があるので、一概に間違いとは言い切れないところが日本語のムズカシさなんです。はい。
ところで、予備知識になるが、「編」の字を用いた熟語として誰でも思いつくのが「編集」という言葉だが、実はこの「集」の字も当て字だということも覚えておこう。
本来は「編輯」と書くべきところだが、「輯」の字が常用漢字からハズレたので読みが同じで意味が近い「集」を使っているのだよ。
意味的には「集」はそのまんまで「あつめること」、「輯」は「ひとつにとりまとめること」を示している。ただ、中国古代のいわゆる「四書五経」の「四書」の中で、各地に散在した詩文を一つに編輯した書物の名前が「集」という書物なので、それに起源して「編輯」を「編集」と書き替えたということもあるにはあるらしい。