でも、しかし、だが、されど...だ。
「とんでもない」を丁寧語にしたところで、決して「とんでもございません」にはならないんだな、これが。
「とんでもない」の「ない」は「無い」じゃないのです。だから丁寧語「ございません」は使えるわけがございません。
結論から申し上げると、「とんでもない」の「ない」は漢字で書くと「甚い」となる。つまり、「程度がはなはだしい」という意味だ。「え゛?」と思う人があるかも知れないが、こういう使い方も結構多くあって、例えば「せわしない」とか「荒けない」なんかがある。これで考えてみるとよく分かるように、「せわしない」のは決して「せわしく無い」訳じゃないし、「荒けない」のももちろん「荒く無い」訳じゃないでしょ。同様に「とんでもない」が「とんでも無い」訳じゃないのです。「とんでもない」をかみ砕いて表現すると「見当違いもはなはだしい」ってこと。「とんでもございません」なんて言い方こそ見当違いもはなはだしいのがこれでお解りいただけたと思う。
じゃあ、目上の人に対して「とんでもない」を丁寧語で言うにはどうしたらいいか?って。なんのことはない「とんでもないことです」と言えばよろしい。
ついでに言っておくと、「滅相もない」も同じことだよ。ここで言う「滅相」とはもともと仏教用語で魂が(専門的にはアラヤシキというが)肉体を離れて六道へとさまよい出る(このことを輪廻転生という)ことを意味していた。転じて「分不相応」というぐらいの意味になったもので、「自分にはもったいない」ということが言いたいときにこの言葉を使うんだよね。だから決して「滅相もございません」と言ってはいけない。なぜならそんなことを言うと「分不相応ではございません」という意味になってしまい、「なんてあつかましいヤツだ」と思われても仕方ないからね。