このシリーズの最終回として、カナダまで足を延ばしてみたい。
太平洋岸にあるバンクーバーは、アメリカとカナダの境界線に近く、南に一
歩踏み出せばアメリカのワシントン州である。
バンクーバーのダウンタウンは小さな島にあり、スタンレー・パークとい
う広い公園がある点でも、ニューヨークのマンハッタンに似ている。
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戦前、作家の田村俊子さんはダウンタ
ウンの日本人街で18年過ごした。
戦争の勃発で日本人の強制収容が行われ、
日本人街はなくなった。
←スタンレー・パーク
↓ダウンタウンの一角
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アメリカでは乱交パーティ、スワッピング(夫婦交換)などが半ば公然と
行われているという。1970年頃の話である。それを知ったとき、アメリ
カに住んでいる日本人女性はどのような行動をとったであろうか?
そのような情報には関わらないようにするか、無関心を装う、というのが大
勢であっただろう。
シングル・マザーの先頭を走っていた桐島洋子さんは、男性の友人と共に
現場を見学し、インタビューし、さらにはおとりの広告を打ってその手の趣
味の男性を募集し、直接会って人物観察を行った。
戦後の多くの日本人にとって、豊かなアメリカは夢とあこがれの国だった。
桐島さんは、アメリカ社会の深部には、日本人の常識からは想像を絶する葛
藤がうごめいていることを、具体的にえぐりだしてみせてくれた。
桐島さんの「淋しいアメリカ人」は、1972年、第3回大宅壮一ノンフ
ィクション賞を受賞した。その後、「見えない海に漕ぎ出して」「林住期ノ
ート」など、円熟した表現力で感動させてくれる桐島さんは、UBCの近く、
ダウンタウンを見下ろす高台の一角にある別荘で、1年のうちのかなりの期
間を過ごしておられるようである。
UBCと呼ばれているのは、バンクーバーの郊外にあるブリティッシュ・
コロンビア大学のことである。ダウンタウンからUBC行きのバスに乗って
20分余り揺られると、広いキャンパスのUBCに着く。
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UBCのキャンパスの一角に国際交流
センターの建物がある。
その近くの林の中に、日本瓦を載せた塀
で囲まれた新渡戸記念庭園があった。
←新渡戸記念庭園の入り口
新渡戸稲造さんはかつて「太平洋の架け橋」たらんことを願い、晩年にバ
ンクーバー、バンフを訪れてヴィクトリア(ブリティッシュコロンビア州の
首都)で亡くなられた。入口の案内板には、「造園家森歡之助さんが最後に
設計した日本庭園である」旨の説明が、新渡戸さんの出身地である岩手県の
盛岡新渡戸会の名前で記されていた。
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庭園に着いたころから小雨が降り始めていた。
中に入って記念碑を見つめていたとき、傘をさ
した二人の年配のご婦人が近づいてきた。会釈
をすると、白髪の混じった金髪のご婦人が「こ
んにちは」と日本語で話しかけてきた。
←日本庭園の一角
顔や物腰におだやかで上品な雰囲気が溢れているご婦人だった。
日本には9回も行ったことがあるそうで、いくつかの挨拶だけは日本語でで
きるという。「息子が東京で結婚して、東京に住んでいます」とのこと。相
手は日本の女性で、「伝統的なスタイルの結婚式を挙げました。東京の日枝
神社をご存知でしょうか?日枝神社で結婚式を挙げました」と眼を細めた。
(ちなみに、新渡戸さんが横浜からバンクーバーまで最後の航海をした船は、
日本郵船の「日枝丸」だった、ということを後日知った。)
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