− 吾妻渓谷 八ッ場ダム 暮坂峠 草津温泉 白根山 鎌原観音堂 鬼押出し など − 草津・嬬恋 上州の旅1.はじめに 友人と草津温泉に泊まる旅行をしました。 なぜ草津温泉かと言えば、懇親会の今年の幹事が群馬県に住んでおり、群馬 なら先ずは草津温泉にしよう、ということになったためです。 静岡や茨城から来る友人もいるため、集合場所は高崎駅となりました。 高崎は首都圏と信越を結ぶ交通のかなめの地です。 か:関東と信越つなぐ高崎市 (上毛かるた) 幹事がうまい蕎麦屋を探しておいてくれました。 正午きっかりに集合した6人が、全員、大盛りのざる蕎麦を食べ、車2台に 分乗して出発です。 2.吾妻渓谷 まず関越自動車道で沼田まで行き、日本ロマンチック街道で西に向かいま した。この大袈裟な名前の街道は、栃木県日光市と長野県小諸市を結ぶ全長 約230Kmの広域観光ルートです。(1987年4月に命名された由) 群馬県で見れば、東の尾瀬から沼田を経て西の草津を結び、嬬恋(つまこい) 村を抜けています。 幹事のSさんが運転するクラウンの後を、私がおんぼろ車で追いました。 1時間余り走って見慣れた場所に停車しました。吾妻渓谷(あがつまけいこ く)です。や:耶馬溪しのぐ吾妻峡 谷が深く刻まれた景勝地です。 4年前に新緑の渓谷沿いに歩いたことがありま すが、それは見事でした。今回は渓谷を覗きこ む時間がありませんでした。 ←吾妻渓谷 ↓
ここは日本ロマンチック街道とは別で、予定のルートから外れた場所です。 幹事のSさんは「社長さま」なので、カーナビはもちろんのこと、フル装備 の豪華な車に乗っていますが、「ナビに任せたらここに来てしまった」由。 若山牧水は吾妻渓谷をこよなく愛したそうなので、牧水に傾倒しているS さんの気持ちをナビが汲み取ったのかも知れません。 この渓谷の見所は駐車が困難なので、少し先の「やんば館」で休憩しまし た。これは「八ッ場ダム」の広報館というものみたいです。八ッ場ダムとは 吾妻川をせき止めるダムです。 吾妻渓谷の一部や川湯温泉を水没させるダムをつくるため、周辺道路の工 事が進められています。
山の中腹を走るJR吾妻線の上の方に、新しい トンネルが掘られています。 吾妻川を横切る橋よりもはるかに高い橋を架け るため、高い橋脚が立てられています。 パンフレットに書かれたダム建設の目的を読ん でみましたが、どうも腑に落ちません。 ←JR吾妻線 ↓新しい橋の橋脚工事
3.若山牧水と暮坂峠 今回の最初の目的地は暮坂(くれさか)峠です。 休憩したやんば館の北、草津温泉の東に位置します。山道を分け入り、紅葉 を眺めながら暮坂峠にたどり着きました。 峠の上は冷たい風が吹き、峠の茶屋からは暖房の煙が出ていました。
ここには牧水の詩碑があります。 幹事のSさんが、是非ここに案内したい、 と選んでくれた場所です。 ←白い煙を出している峠の茶屋 ↓牧水の詩碑と牧水像
牧水は大正11年(1922年)10月20日にこの峠を越え、「枯野の 旅」という詩を残したそうです。 乾きたる 落葉の中に栗の實を 湿りたる朽葉が下に橡(とち)の實を (略) 上毛(かみつけ)の草津の湯より 澤渡(さわたり)の湯に越ゆる路 名も寂し暮坂峠 4.草津温泉と白根山 日暮れ近くになって草津温泉に着きました。 宿に入る前に、名物の「湯畑(ゆばたけ)」を見学しました。 豊富な温泉が湧き出ています。なぜ湯畑と呼ぶのかと言えば、ここで「湯の 花」(入浴剤)を採集しているからだそうです。 ↓湧出する温泉
↓湯の花の採集箱
↓湯畑の端で流れ落ちる温泉
宿で広い温泉にたっぷり浸かりました。 夕食は、和風レストランの個室で炬燵風のテーブルを囲み、松茸づくしの料 理をよばれました。 夕食後、3室も連なった広い宿泊室に集まり、持ち寄った地酒などで酒盛 りをしながら、恒例の「文学者の集い」(!!)を開きました。 まあ、活字が好きな連中が集まった同好会の懇親会ですから、実情を知らな い人にはこう言って煙幕をはっておくことにします。 く:草津よいとこ薬の温泉(いでゆ) ホテルでは、おいしい料理に堪能し、広い部屋でゆったりくつろぐことが できました。しかも、値段は眼をむくほどに安いのでした。 これは、幹事の「S社長さま」が人脈を使ってくれたからで、世の中は平等 ではないのだ、と実感しながら資産家のおこぼれに涙を流しました。
草津温泉に浸かって賢くなった翌日、 まずは白根山を目指しました。 白根山に登る道路は11月17日から閉 鎖されるそうです。強い冷たい風に震え ながらお釜の底を覗き込みました。 ←白根山中腹から草津を望む ↓白根山のお釜
白根山を下って万座を抜け、浅間山を目指して南下しました。 途中、見晴らしのよい場所で休憩しました。NHKで「ファイト」という朝 ドラがありましたが、そのロケが行われた場所だそうです。
←NHK朝ドラのロケ地 ↓遠くに高原キャベツの産地を望む
5.鎌原観音堂 さらに南下する途中に、嬬恋村郷土資料館がありました。 この資料館に隣接して「鎌原(かんばら)観音堂」があります。浅間山噴火 による悲劇を伝えている場所です。 天明3年(1783年)の浅間山大噴火により、鎌原村では500人近い被 災者が出たそうです。 正面、観音堂の前に15段の石段があります。 手前の赤い欄干のある橋のあたりが現在の地面です。 しかし、昭和54年(1979年)に発掘調査したところ、石段は全部で 50段あり、現在も35段が埋もれているそうです。
溶岩や土石流から逃れるべく、人々は平地か ら10メートル位高みにあった観音堂に避難し たことでしょう。 不幸にも逃げ遅れ、あとわずかの段上で倒れた 被災者もいました。 犠牲者の遺骨が発掘されたそうです。 合掌。 ←鎌原観音堂 ↓発掘状況(案内板掲載の写真)
6.鬼押出し 浅間山は現在でも煙を上げています。 天明3年(1783年)の大爆発は凄まじい規模だったようで、大気中に放 出された火山灰は地球規模で異常気象をもたらしたそうです。 1789年に始まったフランス革命は、異常気象による穀物の不足により、 民衆の不満が高まったのが一因だ、との説もある位です。 当時の日本人としては、鬼の怒りだ、と恐れおののくだけだったかも知れ ません。
あ:浅間のいたずら鬼の押出し 鬼押出し園に寄りました。 流れ出た溶岩が連なって突き出ています。 ←溶岩を吐き出した浅間山 ↓溶岩で覆われた浅間高原
鬼押出しから軽井沢に抜けました。 軽井沢は、落ち着いた雰囲気で気が休まります。 軽井沢の一角にある「旧三笠ホテル」を拝観しました。 このホテルは、明治37年(1904年:日露戦争勃発の年)に着工された そうです。
日本人の設計により、日本人が建築した もので、重要文化財に指定されています。 ←旧三笠ホテル ↓ホテル付近の風景
軽井沢のそば屋で昼食を摂り、妙義山の奇形を見ながら高崎に戻って解散 しました。 7.おわりに 嬬恋村で、私は何回か山菜採りをしたことがあります。 10メートル位切り立った崖の中ほどに、直径20センチ位の丸太の炭が埋 まっていたのを掘り出したことがあります。もしかしたら数万年前の炭で、 学会を騒がすことになるかも知れない、と思って自宅の庭に埋めたままにし ています。 どうやら、200年余り前の鬼押出しのしわざだろう、と納得しました。 昼食は、高崎でも軽井沢でも、「ざる蕎麦大盛り」を食べました。 二軒とも、ざるを2枚に分け、1枚目を食べ終わった頃に2枚目を出す、と いう気遣いをしてくれました。「2枚目のほうです」などという「のほう言 葉」を聞かされなかったことも気分が落ち着きました。 (散策:2006年11月 5日 〜11月 6日) (脱稿:2006年11月20日) ご参考:群馬県に関する次の記事もご参照ください。 ・俵萌子美術館 ・国定忠治の隠れ岩屋 ------------------------------------------------------------------
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