20070331seoulmapA.gif
 
  −清渓川 利川陶芸村 海剛陶磁美術館
    漢青陶芸研究所 国立中央博物館 など−
      韓国の陶芸を訪ねて                                
1.はじめに   今年は韓国に行こう、ということになりました。   まだ続いているらしい韓流ブームに相乗りして、美人と対面したいものだ、  というような不純な願望に突き動かされたわけではありません。  陶芸仲間による「陶芸研修旅行」という生真面目な動機によるものです。 20070226-0301korea (18).jpg  とは言え、陶芸の真髄に迫ろうというほどの 気迫が(少なくとも私には)あるわけではない ので、美人に出会ったり、珍しい光景に出くわ したり、うまいものを食べたりすることが楽し みでした。 ←チョゴリの美人(ロッテ百貨店)      ↓守門将(景福宮興禮門)      20070226-0301korea (17).jpg   2.清渓川の復元   ソウルに行ったら是非眺めてみたい、という場所がありました。  清渓川(チョンゲチョン)という、ソウルの北部を東西に流れている小さな  川です。   この川は、戦後(蓋をされて)暗渠(あんきょ)となり、高架道路が建設  されました。ところが、2002年にソウル市長が「高架撤去、清渓川再現」  を掲げ、2005年10月に川が4kmにわたって復元された、という貴重  な存在です。 future_51s-.jpg  ソウル市運営のホームページで、復元 事業前後の景観を確認してみましょう。 ←復元前   ↓復元後(イメージ図)  future_52s-.jpg   今回、私たちが3連泊したホテルは貧乏人向けのDクラスでしたが、何と、  このホテルの眼の前に清渓川が横たわっていました。  早速この川べりを歩いてみました。朝、昼、晩とも、人々が散策を楽しんで  いました。   20070226-0301korea (3).jpg←朝          20070226-0301korea (1).jpg←昼                 20070226-0301korea (2).jpg←夜                    川の両側には、一方通行の2車線道路が設けられています。  道路に面して、電気部品、機械部品、工具、機械などの専門店が軒を連ねて  います。   残念ながら、復元後のイメージ図と違い、両側の壁が切立っているので大  きな溝の中を歩いているような感じがしました。しかし、これだけの事業を  短期間に成し遂げた偉業には敬服するばかりです。 3.利川陶芸村   昔、近江には朝鮮半島から多数の人が渡来しました。  政治や文化などの多方面で渡来人が活躍しました。日本における陶芸の発展  は、半島から来た陶工によってもたらされたようです。   ソウルの南東に利川(イチョン)という町があります。  先ずは利川陶芸村を訪ねることになりました。ソウルの東バスターミナルか  ら快適な高速バスでおよそ1時間でした。   ■漢青陶芸研究所   今回の同行者の一人が、知り合いから陶芸家・金福漢先生を紹介してもら  っていました。そこで、最初に金先生の工房を訪問しました。  金先生は、高麗青磁を復活した海剛先生の一番弟子で、日本で何度も展示会  などを開催しています。 20070226-0301korea (5).jpg  金先生が工房で作陶する様子を拝見し ました。 道具を使わず、指だけであっと言う間に 見事な壷を作り上げる技に圧倒されまし た。 ←作陶の様子   20070226-0301korea (4).jpg ←工房    ↓展示棟   20070226-0301korea (6).jpg  海剛陶磁美術館 20070226-0301korea (8).jpg  高麗青磁は500年余り韓国で途絶えていまし た。それは、秀吉の朝鮮出兵により、朝鮮の陶工 が多数日本に連れ帰られたためだそうです。  その高麗青磁を、柳海剛(ユヘガン)氏が20 世紀に入って復活させました。 海剛陶磁美術館は氏の窯場に作られたものです。    ←柳海剛氏の像 20070226-0301korea (7).jpg ←美術館   ↓陳列品  20070226-0301korea (9).jpg  池順鐸窯 20070226-0301korea (11).jpg  池順鐸(チスンテク)氏は、柳海剛氏と共 に利川陶芸村の発展に尽くしてこられたそう です。  氏は人間文化財にも指定されたそうです。  広い敷地に建てられた窯は大変古く、展示 棟などの建物には風格が感じられました。 ←展示作品 20070226-0301korea (10).jpg ←古い窯場   ↓客を見守る白犬  20070226-0301korea (12).jpg 4.国立中央博物館   翌日、国立中央博物館を訪ねました。  景福宮の隣にあった国立中央博物館が、2005年秋に新築移転されたそう  です。正面の長さは200メートル位あろうかと思われる大きな建物です。 20070226-0301korea (13).jpg  展示棟は3階建てで、3階の隅に日本 室がありました。 日本室の展示品は、正直なところ、あま り充実しているとは思えませんが、我が 故郷の群馬県から出土した埴輪が展示さ れていたので、よしとします。 ←新しい博物館 20070226-0301korea (14).jpg ←銅鐸(静岡県出土) 20070226-0301korea (15).jpg ←埴輪(群馬県出土)  ↓ 20070226-0301korea (16).jpg 5.食べ物   今回の旅行は総勢9人でした。  9人ともなると、何か事故が発生し易いものです。着いた日の夜、行列ので  きる餃子屋で20分位待って席についたとき、一人欠けていることに気付き  ました。日頃「陶芸作品は自分だけがいいと思うものを作ればよいのだ」と  いう考えを実践している年寄りの集まりなので、他人のことに無頓着でした。  このグループでは、自立自助の強い精神力が不可欠なのです。      韓国の代表的な料理をいくつか楽しみました。  石焼ビビンバ、焼肉、餃子、小さな鶏の丸煮など、地元の人が入る店で食べ  た料理は美味しくて割安でした。飲み物込みでも一人あたり7千〜1万5千  ウオン(約900〜2000円)で堪能しました。裏町の小さな食堂で食べ  た朝食は、色々取り揃えたセットで3千5百ウオン(約500円)でした。   しかし、私の心残りは麺料理に出会っていないことでした。  私が「うまい冷麺を食べに行こう」と提案しても、味を知らない同行者は一  向に興味を示しません。そこで、帰りの仁川空港で荷物を預けた後、一人で  高級そうな2階のレストランに入りました。朝鮮ホテル経営のレストランで  した。 20070226-0301korea (24).jpg  私は迷わず水冷麺を注文しました。 昔、蒸し暑い夏に来たときに味わった冷麺の 味がいまだに忘れられません。 1万ウオン(約1300円)の水冷麺は、実 に美味しく、満足しました。 ←韓国料理のレストラン      家に帰った途端、主人(妻)の第一声は「臭ーい!」でした。  それからの3日間、2メートル以内に近づくことは禁じられました。 6.思い出のソウル   昔、27年前に、私はソウルに出張で来たことがあります。  当時は南北の緊張が高まっていた時代でした。当時の思い出を今回の体験と  比較してみましょう。  空港    金浦(キンポ)空港からソウル市内に向かう広い道路には中央分離帯が   ありませんでした。非常事態のときは車の通行を止め、戦闘機の発着に使   うため、ということでした。空港では、訪問先の弁護士へ持参した羊羹の   箱の中まで検査されました。    20070226-0301korea (23).jpg  現在、2000年12月末に完成した 仁川(インチョン)空港からソウル市内 に向かう道路には、全て中央分離帯があ ります。 ←仁川空港から市内への道路  灯火管制 20070226-0301korea (19).jpg  現在、ソウル市内は街灯や広告灯で夜 遅くまで明るく輝いています。 しかし、当時は灯火管制が敷かれており、 街は暗い闇に包まれていました。ビルの 中には人が溢れていたけれど。 ←明洞(ミョンドン)の夜景  自由化   出張のとき、法律事務所の番頭格のKさんが、丸一日、景福宮など市内観  光の案内をしてくれました。その晩、Kさんがホテルを訪ねてきました。  お嬢さんがイギリスに留学しているのだが、送金してあげようにも外貨がな  いので、ドルを少し分けて貰えないだろうか、という相談でした。    20070226-0301korea (22).jpg  当時は、海外送金も海外渡航も自由化 されていませんでした。  韓国で海外渡航が自由化されたのは、 私の記憶に間違いがなければ、1988 年7月です。 ←林立する高層マンション  ホテル   市庁舎の向かいの一等地に、ソウルプラザホテルがあります。  10年位前に改築されたそうです。私が出張で泊まったのはこの(改築前の)  ホテルでした。   あの頃は、会社の名前を背負って一流ホテルに泊まったけれど、落ちぶれ  た今はナップザックを背負い、ホテルはDクラスなのだ...(涙) 20070226-0301korea (21).jpg ←ソウル市庁舎      ↓ソウルプラザホテル     20070226-0301korea (20).jpg 7.おわりに   車の多いソウルで、走っている日本車を見つけることは困難でした。  日本車が70%以上、というバンコクと比べれば雲泥の差です。  20070226-0301korea(25).jpg  ソウルでも屋外広告は多いけれど、日本企 業の広告は見かけません。 しかし、日本語の観光案内パンフレットは駅、 ホテル、観光地などに用意されていました。 ←広告で飾られたビル   ソウルで地下鉄網が整備されていることに驚きました。  便利だったのは、各駅に3桁の数字が割り当てられていることです。例えば、  130は1号線の30番目の駅というように。また、基本12キロ以内は現  金買いで900ウオン(約120円)と比較的割安です。(但し、4月1日  から基本10キロ以内が1,000ウオンに値上げとのこと)     地下鉄内では、読み終わった新聞は網棚の上に投げ捨てて行くのがマナー  のようです。スーツに身を包んだビジネスウーマンらしき若い女性もそうし  ていました。   若者は、スマートで背の高い人が多くなったようです。  そういう若者が、電車内では年寄りが近くに立てばさっと席を譲ってくれま  す。「最近は若者も少し変わってきています」と韓国人の若い女性ガイドが  言っていましたが、老人を敬う韓国の文化は大切に継承していただきたいも  のです。                (散策:2007年2月26日〜3月1日)                (脱稿:2007年3月31日) -----------------------------------------------------------------
この記事に感想・質問などを書く・読む ⇒⇒ 掲示板
       この稿のトップへ  エッセイメニューへ  トップページへ