フェズ 砂漠の夜明け オアシス カスバ トドラ渓谷
アーモンドの花 マラケシュ フナ広場 など モ ロ ッ コ1.はじめに 「日出ずる国」の日本から「日没する国」のモロッコに行ってきました。 モロッコを含むアフリカの北西部はマグレブ(日の沈む大地)と呼ばれている ようです。 モロッコはアフリカにあるとは言え、緯度で見るとカサブランカは鹿児島と 同じ位ですし、地中海に面している辺りは大阪、東京とほぼ同じです。 地中海を挟んだ対岸のスペインは、ジブラルタル海峡の最も狭い所では14キ ロ程です。面積は日本よりも少し広く、人口は日本の1/4位、中央には南北 2000キロに及ぶアトラス山脈が走っています。訪ねた場所は、アトラス 山脈で隔てられた大西洋側 と砂漠側の中央部でした。 観光バスでの移動距離は およそ1700キロでした。 ←移動経路 カサブランカに着いたのは午後1時頃でした。 カサブランカ...この言葉に郷愁を覚えるのは私だけでしょうか? ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの演じた映画「カサブラ ンカ」。私が若い頃に煙草を吸い始めたひとつのきっかけは、ボガートの煙草 を吸う姿に魅せられたためでした。この「カサブランカ」とマレーネ・ディー トリッヒの演じた「モロッコ」。私がモロッコに行ってみたいという気持ちに させられたのは、これらの映画の思い出が強かったようです。
←カサブランカの空港(機内の表示) ↓大西洋を見ながら北上
カサブランカを発ってからしばらく大西洋沿いに北上しました。 日本で食べているタコの多くは、この大西洋沖合で採れているそうです。 およそ100キロ近く走って首都ラバトに着きました。ラバトに向かう途中、 あちこちに警備の兵が立っている姿を見かけました。 ラバトの世界遺産を見学した後、130キロ程東にあるメクネスへ向かいま した。メクネスはかつての首都でした。世界遺産の古代都市を見学しましたが、 陽が沈んでいたので全体の景観を鑑賞することはできませんでした。
←ハッサンの塔(ラバト) ↓古都メクネス
メクネスからさらに60キロ程東へ走り、最初の宿泊地フェズに到着しました。 2.迷宮都市フェズ 近年は海外の旅行先を紹介するテレビ番組が頻繁に放映されています。 世界遺産の紹介として「迷宮都市フェズ」というようなタイトルの番組を見た 人も多いのではないかと思います。フェズは9世紀初頭に王国の都が築かれま した。
↑フェズ旧市街地 高い塀で囲まれたメディナと呼ばれる旧市街は、狭い通路が迷路のように入 り組んでいるため、迷ったら元の場所に戻ることが困難です。旅行ガイドにと っては、迷子が出ることを防ぐことに最大の注意を払っているようです。 特に私たちのようなパックツアーでは時間が限られているので、ガイドさん の脅し文句には力が入っています。 注意に従って、入口の周辺を少しだけ静かに覗いてみましょう。
←旧市街の入口 ↓金属製調度品の店
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←カキを並べていた果物屋さん ↓狭い通路
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←混み合う通路 ↓毛皮を積み上げられた働き者のロバ
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←通路脇で衣類を販売 ↓広場で一息
無事に塀の外へ生還してから、職人が頑張っている一角を訪ねました。 フェズは金属製品、皮製品、陶器、・・などを作る沢山の職人が住んでいる街 です。今回も陶芸仲間が一緒でしたので、陶器の製作現場に興味がありました が、見かけたのは伝統的な製品だけを作っている現場でした。
←タジン鍋の製作工房 ↓カラフルな陶器の販売店
↓足蹴りろくろで作陶 ↓モザイク用タイルの加工
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フェズ観光の後、アトラス山脈を越えて砂漠地帯を目指しました。 山を少し登った所に、フランス風の建物が並んでいる保養地がありました。 20世紀初めにモロッコはフランスの保護領となった、という歴史の名残りな のでしょう。 (1912年にフランスの保護領となったが、1956年に独立。 なお、モロッコの日本語名は「モロッコ王国」。アラビア語の国名は 「日の没する地の王国」の意。) この旅行は2月初旬でしたので、アフリカとは言え、モロッコの山岳地では 雪の心配もあります。1週間前には積雪で通行止めになったという道路でした が、残雪を見ながら通過することができました。
アトラス山脈の西側は緑 に包まれていましたが、山 を越えると荒涼とした大地 が広がっていました。 ←遠くに白雪の山を見ながら エルフードを目指す 3.砂漠の夜明け エルフードのホテルに泊まった翌朝は砂漠見物です。 砂漠で日の出を見るため、朝5時頃ホテルを出発しました。トヨタの四駆ラン ドクルーザーに分乗して暗い夜道を疾走しました。道と言っても道なき荒地で す。標識も家も樹木もない平地です。先導する車の後ろに数台が連なって進み ました。 多分時速80キロ以上で1時間近く走り、目的地に着きました。 アルジェリアとの国境に近い場所です。小さな小屋が1軒建っていました。 ここから砂丘の上まで歩きです。足の弱い人のために駱駝が待機していました。 砂漠は気温の寒暖が半端ではないと聞いていましたが、長袖のシャツとウイン ドブレーカーが必要でした。 砂に足を取られながら20分近く歩き、砂丘の上に到着しました。
←砂丘の頂上へ ↓日の出を待つ駱駝
↓日の出に歓声
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←朝日に裸体?をさらす砂丘 ↓尺八を吹く友人
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←つつましい風紋 ↓
砂丘への往復には沢山の付き添い人が待機していました。 この土地のベルベル人男性で、私たち旅行者の3人に1人位の多人数でした。 彼らは「写真を撮ってあげよう」「荷物を持とうか」「こっちを歩いて方がよ い」とか、何かと面倒を見てくれました。 実は、彼らはツアーで雇われている訳ではありません。 自発的な仕事です。この辺りは化石が採れるようです。砂丘を降りた辺りで、 袋から化石を取り出して商売の声をかけてきました。ここで売られる化石は、 ほぼ間違いなく模造品だ、ということを聞いていましたので、素っ気なくお断 りしました。尺八を吹いた友人は、「これ(尺八)をくれ」と言って粘られ、 取り返すのに往生したそうです。 4.カスバ ホテルに戻って朝食を食べてから西に向かいました。 昨夜泊まったエルフードから今晩泊まるワルザザートまでがカスバ街道と呼ば れています。カスバとは要塞の意味です。途中、いくつかのカスバを見かけま した。 エルフードでカスバの内部を見学させてもらいました。 日干しレンガを積みあげた家は共同住宅でした。水は共同井戸から汲みあげて 使っています。水を入れたポリタンクを台車に載せて運んでいる少年を見かけ ました。黒い衣装に身を包んだ女性の生活の場は、極く狭い範囲に限られてい るのではないかと思われます。
←地下水道の補修 ↓オアシスに近いカスバ
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←共同住宅内の通路 ↓数十年に一度の雨で崩れた壁
世界遺産に登録されているカスバがあります。 アイト・ベン・ハッドゥという、この日泊まる予定のワルザザートの西30キ ロ程の位置にあります。 ↓アイト・ベン・ハッドゥ
手前の赤い家が城壁内の住宅です。 一軒の住宅の内部を見学させていただきました。電気とガスが使える住宅でし た。しかし、多くの人は城壁の外の新しい村に越しているそうです。 ↓城壁の外の村
↓遠くにテーブル状の大地
ワルザザートの付近ではテーブル状の隆起があちこちにありました。 隆起というよりも、侵食されていない場所と言う方が適切かも知れません。 アメリカの中西部で見かける景色と似ています。多分、太古にはこの辺りは海 底に沈んでいたのでしょう。
←玄関前でひとり遊びをする女の子 ↓遊び相手のいない牛
5.トドラ渓谷 エルフードとワルザザートのほぼ中間地点にトドラ渓谷があります。 高く岩が切り立ち、川が流れています。モロッコのグランドキャニオンとも呼 ばれているようです。しかし、アメリカのランドキャニオンには規模では及び ません。
←切り立った峡谷 ↓
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←切り立った岩山で ロッククライミングに挑戦する人↓
渓谷には水が豊富に流れていました。 渓谷の入口付近の村には白い花が咲き乱れていました。(何の花かは次項で) さらに下流の平坦地にはオアシスがあり、野菜を栽培する畑が広がっていまし た。
←渓谷入口に近い村 ↓少し下流のオアシスとカスバ
6.桜並木 !? トドラ渓谷入口近くの村では白い花が満開でした。 その後バスで西に進む途中、あちこちで白い花が咲いている風景を見かけまし た。日本でも馴染みの風景です。そう、桜です。砂漠を歩き、砂漠地帯を走っ てきた後に見かけた桜(?)ですから、感慨深いものでした。
←満開の花(2月初旬) ↓
道路のすぐ近くに群生していた場所でバスを停めてもらい、花の観賞を楽し みました。小さな川が流れている脇でした。近くで遊んでいた地元の少年たち が、花を見て歓声を上げている旅行者を珍しそうに眺めていました。 この花が何かと言えば、桜ではなく、アーモンドの花でした。 では、ここでクイズです。 下の写真は日本の桜とアーモンドの花とを並べてみたものです。どちらが桜で どちらがアーモンドでしょうか? ↓桜の花とアーモンドの花
正解者には モロッコ特産のアルガンオイルかバラの香水 を差し上げます!
と 思っていたのですが... 本稿のまとめに手間取っているうちに現物が品切 れになってしまいました。あしからず m(_ _)m 答えは末尾をご覧ください。 ←アロガンオイルの抽出 (アロガンの実を石臼で挽く) 7.マラケシュ ワルザザートに泊まった翌日、マラケシュを目指して出発しました。 途中、映画スタジオを外から眺めました。砂漠のシーンの映画(アラビアのロ ーレンスなど)はしばしばモロッコで撮影されたようです。 次に、先に述べた世界遺産のカスバ「アイト・ベン・ハッドゥ」を見学して から、アトラス山脈を越えてマラケシュに向かいました。
標高2,200メートル以 上もあるティシュカ峠を越え るのですから大変です。 下を見ると谷底に吸い込ま れそうな山道が続きました。 日本ならすぐにトンネル工事 をするような場所でした。 ←アトラス山脈 マラケシュに着いたらホテル近くの酒屋にとびこみました。 前の晩のワルザザートでは、酒屋探しに歩き回りまわった挙句、徒労に終って 涙を飲んだのです。ここでは外国人向けに酒屋が営業しており、値段は日本と 同じ位でした。 モロッコのレストランでは種類が少なく、値段は日本の倍以上です。 翌日、丸一日マラケシュ市内を見物しました。 ホテルはフランス風に整備された新市街地にありましたが、観光は主として城 壁に囲まれた旧市街です。旧市街は世界遺産に登録されています。マラケシュ は12世紀から13世紀にかけての都でした。 宮殿、庭園、墳墓群などを見学しました。
←クトゥビヤの塔 ↓コーノトリ (市内のあちこちに)
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←スーク(市場)の一角 ↓
旧市街の一角にジャマエルフナ広場(通称フナ広場)があります。 ほぼ400メートル四方の広さで、屋台や大道芸で賑わっています。この広場 は「ジャマエルの文化空間」としてユネスコの無形文化遺産に登録されていま す。喫茶店の2階に陣取って、広場を見下ろしながら1時間余り休憩しました。
←フナ広場 ↓
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←フナ広場 ↓
8.おわりに モロッコでは人物の写真を撮るのには注意が必要です。 撮影の許可を得ても得なくても、カメラを向けたらしつこく小銭を請求されま す。そのくせ、旅行グループにはカメラマンがどこからともなく現れて行く先 々で写真を撮りまくり、食事後にレストランの入口でプリントを販売します。 旅行者にモデル代は払われません。 昔読んだ小説で、訳あって日本からモロッコまで流浪し、カスバに住みつい た女性の物語が妙に甦ってきました。望郷心と孤独感、退屈感、無力感・・な ど、現在日本で生活している日本人の想像を越えているでしょう。 しかし、安部公房の「砂の女」のように、女性には与えられた環境に順応でき る生活力が備わっているのだろうか? モロッコはイスラム教の国ですが、ヨーロッパに近いためか、宗教的には寛 容のようです。アジアとヨーロッパを結ぶトルコと似ているようです。 地球儀に紐を当てて距離を測ってみたところ、東京からモロッコまでの直線 距離は東京からニューヨークまでとほぼ同じでした。 ニューヨークまでの東回りは直行便で14時間位ですが、今回の西回りのフラ イトはドバイ乗り継ぎでカサブランカへ行ったため、ドバイまで約12時間、 ドバイからカサブランカまで約8時間、合計約20時間(往路)もかかりまし た。 【クイズの答:日本の桜はA アーモンドはB】 (散策:2013年2月2日〜2月7日) (脱稿:2014年9月26日) 参考図書・エキゾチック モロッコ
外山厚子 心交社 (著者はモロッコ出身の男性と結婚した日本人女性) ・体験取材!世界の国ぐに 41 モロッコ
渡辺一夫 ポプラ社 (こども向けに分かりやすく書かれています) ----------------------------------------------------------------- この稿のトップへ エッセイメニューへ トップページへ