三井の晩鐘 - 三橋節子美術館を訪ねて歌川廣重が描いた浮世絵「近江八景」のひとつに「三井の晩鐘」(みいのばん しょう)があります。 三井とは、天智、天武、持統の三帝が産湯に用いた霊泉があることに由来して いるそうで、大津市の北西にある三井寺(園城寺)のことです。三井寺は比叡 山を背景にした広い敷地にゆったりと広がり、春の桜、秋の紅葉などの美しい 景色を楽しませてくれます。三井寺の鐘は毎日夕刻に撞かれ、美しい音色を周 囲に響かせています。 廣重「三井の晩鐘」 三橋節子美術館からのぞむ三井寺
■ 廣重の浮世絵とは別に、「三井の晩鐘」と題された日本画があります。 三橋節子(みつはしせつこ)さん(1939−1975)という女流画家の作 品です。三橋さんは二人の子供が幼い時期に右腕を失い、その後わずか2年で 35歳の短い生涯を閉じました。三橋さんは右腕を失った後、左手で絵を描き 続けました。左手で描いた絵は滋賀の民話にちなんだものです。「三井の晩鐘」 は三橋さんが右腕を失った年(1973)に描かれています。その画題は、近 江に伝わる昔話から取り上げられたものです。
■ 近江に伝わる伝説や民話を集めて次の世代に残そうという活動により、 「近江むかし話」という本が1968年に出版されました。 その中に、「三井の晩鐘」という次のような民話があります。
「...びわ湖で漁をしている若い漁師がふとしたことで美しい娘と知り合い、 夫婦になって子供をもうけました。ある日、妻が「私はびわ湖の竜神の化身 で、もう湖に帰らなければなりません」と言って泣き泣き湖に沈んで行きまし た...。 (以下、原文から引用) やむなく夫は昼間はもらい乳をして子供を育て、夜は浜 へ出て妻を呼びました。すると妻があらわれて乳をのませては、また沈んで 行きました。こんな毎日が続いたあと、妻は自分の右の目玉をくりぬいて 「これからは乳の代わりにこれをなめさせてください」と夫に渡しました。 半信半疑で、泣く子にその目玉をなめさせてみますと、ふしぎに泣きやみま した。が、毎晩のこととてやがて目玉をなめ尽くしてしまいました。そこで、 また浜に出て、今度は左の目玉をもらってやりました。そのとき、妻が「両 方目玉がないと方角もわかりませんから、毎晩子供を抱いて、三井寺の釣鐘 をついてください。その音であなたがたの無事を確かめて安心しますから」 と申しました。 それから毎晩三井寺では晩鐘をつくようになったということです。」
三橋節子「三井の晩鐘」
■ 三橋さんは、右腕を失くしてから半年後にこの絵を描いています。 三橋さ んは自分に残された時間が短いことを、夫を通して聞いていたそうです。3歳 と1歳の幼子を抱えた母としては、後に残る夫や子供たちに胸を裂かれる思い だったに違いありません。三橋さんは自分の思いを民話に託して、渾身の力を ふりしぼって数枚の絵を描きあげました。とりわけ、いたいけな子供をあやす には自分の身を刻むことにも躊躇しなかった竜の化身に、自分の悲しみを重ね たことでしょう。三橋さんは寡黙だったようです。画集を編集した梅原猛さん は「密なるものの語る声は静か」という含蓄のある言葉を贈っています。 鷺の恩返し 羽衣伝説
■ 三橋節子美術館は大津に近い長等(ながら)公園という静かな高台にありま す。ここ長等は三橋さんが結婚後に居を構えた地です。 美術館までJR大津駅から徒歩約20分です。大津駅北口(湖側)を出て左に 進み、国道161号線を越えて大津日赤病院の横を奥に進んだ左側の山手に あります。 休館日=月曜。入場料=210円(大人)。 ここからは三井寺を遠望することができます。三井寺まで徒歩約10分です。
三橋節子美術館 参考URL: 三橋節子美術館:http://www.jalan.net/kanko/SPT_172122.html
■ 参考図書: 三橋節子画集(梅原猛・編集) サンブライト出版 昭和55年3月3日初版 三橋節子の世界(滋賀県立近代美術館・編) サンブライト出版 昭和61年7月21日初版 近江むかし話(滋賀県老人クラブ連合会/滋賀県社会福祉協議会・編) 洛樹出版社 昭和43年9月15日初版上に掲載した三橋さんの絵3点は、上記参考図書の「三橋節子画集」から引用させていただきました。 引用にあたり、私の写真加工技術が稚拙なために、絵の周囲を少しカットしてしまった部分があります。掲載写真は閲覧専用ですので、転載等の利用はご遠慮ください。
■ 訪問日:2003年12月16日 (脱稿:2004年1月20日)
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