− 天下の奇祭 日野町中山 国重要無形民俗文化財 −

                   芋くらべ祭
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1.はじめに   湖南に近い湖東の一角に日野町があります。  日野町の中山という地区で毎年「芋くらべ祭」が行われています。これは天  下の奇祭と言われているようです。 20061012imokurabemap.jpg   中山という地区は、日野町役 場の西およそ5キロメートルの 位置にあります。  ここには、熊野神社を挟んで 中山東谷と中山西谷の二つの集 落があります。 2.神社に集合   「芋くらべ」とは、丹精込めて作り育てた大きな里芋の長さ(根から葉ま  での長さ)を競うものです。祭の意義などはさておき、まずは祭の様子を見  学してみましょう。 20060901imokurabe (30).jpg  熊野神社は石段を登った所にあります。 餅、豆、お酒などのお供えが用意されていました。 ←熊野神社   ↓きれいに整えられた供物  20060901imokurabe (2).jpg   ここで、祭儀にたずさわる人たちを確認しておきましょう。  1.山子(やまこ)    ・絣の着物を着る    ・8歳〜14歳(年長者から1番、2番..と呼ばれる)    ・山の上の祭場を作り上げる  2.山若(やまわか)    ・16歳以上の青年    ・東西各7人(年長者から1番尉(じょう)、2番尉..と呼ばれる)    ・祭儀の一切を執り行う  3.勝手(かって)    ・山若を上がった人から選ばれる    ・神事が進むにつれて必要な品々を祭場へ繰り出す  4.宮座(みやざ:通称おとな(大老人))    ・かつて山若だった村の長老13人   (日野観光協会編「近江中山 芋くらべ祭」の案内書から若い順に列挙)   20060901imokurabe (4).jpg  祭は午後1時から始まります。 東西それぞれ競べ合うための芋を運び、 熊野神社に参りまず。 ←祭を待つ山子  ↓青竹に結わえられた芋の搬入 20060901imokurabe (1).jpg 20060901imokurabe (3).jpg  神社に詣でた後、社務所で三々九度 の杯を行います。 山若は裃(かみしも)を付けています。 ←三々九度の儀式  ↓  20060901imokurabe (6).jpg 20060901imokurabe (7).jpg ←山若の裃を正す母親たち   ↓神社の石段を下りる山若たち  20060901imokurabe (8).jpg 3.祭場へ移動 20060901imokurabe (9).jpg  祭場は近くの野上山です。 熊野神社から1キロ足らず、多分800 メートル位でしょう。 ←祭場に向かう一行  ↓ 20060901imokurabe (10).jpg 20060901imokurabe (14).jpg  祭場の野上山は、平地からの高さが30メ ートル位と思われる丘です。  野上山の通路には、木の葉が1列に置かれ ていました。若い山子たちが準備したのでし ょう。 ←木の葉の道しるべ   ↓祭場で供物を点検するおとな  20060901imokurabe (13).jpg     4.神へ拝礼   祭場は野上山の頂上です。  直径8メートルの円形に小石が敷き詰められ、周りには竹の柵がめぐらされ  ていました。見物人は柵の外から立ち見をします。   儀式の内容をかいつまんで言えば、次のようなことです。   ・芋を供進する   ・神の膳を奉る   ・三々九度の杯(神の杯、山若の杯)   ・参列者(山若、山子)に膳を出す   ・芋打ちの酒肴を出す   それぞれの行為の間に神を拝します。  20060901imokurabe (16).jpg ←神座(棚)にお供えをする  ↓中央から山若、山子の順に座る 20060901imokurabe (17).jpg 20060901imokurabe (18).jpg ←三々九度の杯  ↓神の膳を下げる 20060901imokurabe (19).jpg 20060901imokurabe (20).jpg  南北の中央線の左右に東谷と 西谷が分かれます。 左右の棚は神座です。  1番尉は神の代役とされます。 ←神座の横に座る1番尉   ↓参列者の膳を用意  20060901imokurabe (22).jpg 20060901imokurabe (24).jpg ←酒肴のふるまい  ↓ 20060901imokurabe (23).jpg   神へ供えられるものは次の6品とされているそうです。   (参列者の膳にも同じものが出されます)   1.餅   2.をり(米の粉をこねて魚を型どり、赤で着色したもの)   3.せんば(里芋の茎)   4.ぶと(伏兎:半桶に芋の葉を敷き、米粉を平たくのばして方形に切っ     たもの)   5.かもうり(冬瓜)   6.ささげ(大角豆)   20060901imokurabe (25).jpg  拝礼の最後は角力(すもう) です。  東西の山子が組み、3番尉が 行司を務めます。  これは神の角力ということか らでしょうか、双方が立ったと ころで行司が割って入り、勝敗 はつけません。 5.芋くらべ   いよいよ芋くらべとなります。   芋がくくりつけられた太い竹が中央に引き出されます。芋くらべの担当は東  西の2番尉、3番尉です。2番尉が進行役となり、3番尉が長さを測ります。   芋くらべは長い時間をかけて行われますが、大きな流れとしては次のよう  な順序です。   1.定尺(じょうしゃく:ものさし)を確認する   2.芋を打つ(ものさしを当てて測る)   3.東西入れ替わって測る   4.測った結果を述べる    (「東の芋より西の芋は、一丈も二丈も三、四丈も五、六丈も長う打ち     ましてござる」というように、自分の方が長いと主張する)   5.再度芋を打つ   6.双方が長さを認める 20060901imokurabe (26).jpg ←西の芋打ち  ↓東の芋打ち 20060901imokurabe (27).jpg 20060901imokurabe (28).jpg  芋打ちの3番尉はしこたま酒を飲ん でいるため、千鳥足で身体をふらつか せています。(もちろん、未成年者で すから演技です) ←再び西の芋打ち  ↓再び東の芋打ち 20060901imokurabe (29).jpg   西が勝てば豊作、東が勝てば不作、という言い伝えがあるそうです。     芋打ちが決着するまでは随分と時間がかかりそうでした。  陽が少し傾き、3時半頃になっても芋打ちは延々と続いていました。  夕方から夜にかかることもあるそうですから、当事者には大変な行事です。   最後まで見学することはあきらめ、祭場をあとにしました。 6.おわりに   神話で「豊葦原の瑞穂の国」と言われる日本は、稲穂の国とされています。  しかし、稲作が伝えられる以前には芋類が主食だったのかも知れません。  芋くらべ祭は、日本人の源流にある芋への感謝とその豊穣を祈るものではな  いかと思われます。   この祭りは800年以上の伝統をもって親から子へ、子から孫へと受け継  がれてきたそうです。平成3年2月に「近江中山の芋競べ祭り」として国の  重要無形民俗文化財に指定されています。   それにしても、現代の私たちの目からすれば、この祭りは実に素朴で地味  な内容です。野上山に上る途中で山子の一人に声をかけてみると、「なんで  こんなことをするのかなあ」と率直な感想を漏らしていました。しかし、多  数の若い子供たちがこの祭りに参加していることに感動しました。   余談ながら、山形で学生生活を送った友人が「芋煮会」をやろうと誘って  くれたことがありました。紅花の取引きをした近江商人が、山形で「芋煮会」  を開いて接待した、という言い伝えがあるそうです。   芋くらべ祭は毎年9月1日に行われます。   本稿は、2006年9月1日に拝見したときの様子です。    ご参考:・てる爺のつれづれ日記08年5月 ⇒日野町の近江商人        ・参考図書 「芋と近江のくらし」 サンライズ出版               2006年10月30日初版1刷発行                   (散策:2006年 9月 1日)                   (脱稿:2008年 9月28日) ------------------------------------------------------------------
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