1.はじめに 湖南に近い湖東の一角に日野町があります。 日野町の中山という地区で毎年「芋くらべ祭」が行われています。これは天 下の奇祭と言われているようです。中山という地区は、日野町役 場の西およそ5キロメートルの 位置にあります。 ここには、熊野神社を挟んで 中山東谷と中山西谷の二つの集 落があります。 2.神社に集合 「芋くらべ」とは、丹精込めて作り育てた大きな里芋の長さ(根から葉ま での長さ)を競うものです。祭の意義などはさておき、まずは祭の様子を見 学してみましょう。
熊野神社は石段を登った所にあります。 餅、豆、お酒などのお供えが用意されていました。 ←熊野神社 ↓きれいに整えられた供物
ここで、祭儀にたずさわる人たちを確認しておきましょう。 1.山子(やまこ) ・絣の着物を着る ・8歳〜14歳(年長者から1番、2番..と呼ばれる) ・山の上の祭場を作り上げる 2.山若(やまわか) ・16歳以上の青年 ・東西各7人(年長者から1番尉(じょう)、2番尉..と呼ばれる) ・祭儀の一切を執り行う 3.勝手(かって) ・山若を上がった人から選ばれる ・神事が進むにつれて必要な品々を祭場へ繰り出す 4.宮座(みやざ:通称おとな(大老人)) ・かつて山若だった村の長老13人 (日野観光協会編「近江中山 芋くらべ祭」の案内書から若い順に列挙)
祭は午後1時から始まります。 東西それぞれ競べ合うための芋を運び、 熊野神社に参りまず。 ←祭を待つ山子 ↓青竹に結わえられた芋の搬入
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神社に詣でた後、社務所で三々九度 の杯を行います。 山若は裃(かみしも)を付けています。 ←三々九度の儀式 ↓
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←山若の裃を正す母親たち ↓神社の石段を下りる山若たち
3.祭場へ移動
祭場は近くの野上山です。 熊野神社から1キロ足らず、多分800 メートル位でしょう。 ←祭場に向かう一行 ↓
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祭場の野上山は、平地からの高さが30メ ートル位と思われる丘です。 野上山の通路には、木の葉が1列に置かれ ていました。若い山子たちが準備したのでし ょう。 ←木の葉の道しるべ ↓祭場で供物を点検するおとな
4.神へ拝礼 祭場は野上山の頂上です。 直径8メートルの円形に小石が敷き詰められ、周りには竹の柵がめぐらされ ていました。見物人は柵の外から立ち見をします。 儀式の内容をかいつまんで言えば、次のようなことです。 ・芋を供進する ・神の膳を奉る ・三々九度の杯(神の杯、山若の杯) ・参列者(山若、山子)に膳を出す ・芋打ちの酒肴を出す それぞれの行為の間に神を拝します。
←神座(棚)にお供えをする ↓中央から山若、山子の順に座る
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←三々九度の杯 ↓神の膳を下げる
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南北の中央線の左右に東谷と 西谷が分かれます。 左右の棚は神座です。 1番尉は神の代役とされます。 ←神座の横に座る1番尉 ↓参列者の膳を用意
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←酒肴のふるまい ↓
神へ供えられるものは次の6品とされているそうです。 (参列者の膳にも同じものが出されます) 1.餅 2.をり(米の粉をこねて魚を型どり、赤で着色したもの) 3.せんば(里芋の茎) 4.ぶと(伏兎:半桶に芋の葉を敷き、米粉を平たくのばして方形に切っ たもの) 5.かもうり(冬瓜) 6.ささげ(大角豆)
拝礼の最後は角力(すもう) です。 東西の山子が組み、3番尉が 行司を務めます。 これは神の角力ということか らでしょうか、双方が立ったと ころで行司が割って入り、勝敗 はつけません。 5.芋くらべ いよいよ芋くらべとなります。 芋がくくりつけられた太い竹が中央に引き出されます。芋くらべの担当は東 西の2番尉、3番尉です。2番尉が進行役となり、3番尉が長さを測ります。 芋くらべは長い時間をかけて行われますが、大きな流れとしては次のよう な順序です。 1.定尺(じょうしゃく:ものさし)を確認する 2.芋を打つ(ものさしを当てて測る) 3.東西入れ替わって測る 4.測った結果を述べる (「東の芋より西の芋は、一丈も二丈も三、四丈も五、六丈も長う打ち ましてござる」というように、自分の方が長いと主張する) 5.再度芋を打つ 6.双方が長さを認める
←西の芋打ち ↓東の芋打ち
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芋打ちの3番尉はしこたま酒を飲ん でいるため、千鳥足で身体をふらつか せています。(もちろん、未成年者で すから演技です) ←再び西の芋打ち ↓再び東の芋打ち
西が勝てば豊作、東が勝てば不作、という言い伝えがあるそうです。 芋打ちが決着するまでは随分と時間がかかりそうでした。 陽が少し傾き、3時半頃になっても芋打ちは延々と続いていました。 夕方から夜にかかることもあるそうですから、当事者には大変な行事です。 最後まで見学することはあきらめ、祭場をあとにしました。 6.おわりに 神話で「豊葦原の瑞穂の国」と言われる日本は、稲穂の国とされています。 しかし、稲作が伝えられる以前には芋類が主食だったのかも知れません。 芋くらべ祭は、日本人の源流にある芋への感謝とその豊穣を祈るものではな いかと思われます。 この祭りは800年以上の伝統をもって親から子へ、子から孫へと受け継 がれてきたそうです。平成3年2月に「近江中山の芋競べ祭り」として国の 重要無形民俗文化財に指定されています。 それにしても、現代の私たちの目からすれば、この祭りは実に素朴で地味 な内容です。野上山に上る途中で山子の一人に声をかけてみると、「なんで こんなことをするのかなあ」と率直な感想を漏らしていました。しかし、多 数の若い子供たちがこの祭りに参加していることに感動しました。 余談ながら、山形で学生生活を送った友人が「芋煮会」をやろうと誘って くれたことがありました。紅花の取引きをした近江商人が、山形で「芋煮会」 を開いて接待した、という言い伝えがあるそうです。 芋くらべ祭は毎年9月1日に行われます。 本稿は、2006年9月1日に拝見したときの様子です。 ご参考:・てる爺のつれづれ日記08年5月 ⇒日野町の近江商人 ・参考図書 「芋と近江のくらし」 サンライズ出版 2006年10月30日初版1刷発行 (散策:2006年 9月 1日) (脱稿:2008年 9月28日) ------------------------------------------------------------------
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