ホントのところの、建築のよもやま話し

反省すべき点は反省し・・

今回の参議院の大敗を受け、安部首相が、『反省すべき点は反省し』と繰り返し述べています。でも国民は、『反省なんかするもんか』してるとしたら、今までにもっといい国になっていたハズだと心の中で思っているハズです。我々、木造住宅に携わってきた人間においても、又これと同じようなことが言える。それも阪神大震災後から、この思いが初めて出てきた。それまでは、もっと横柄な考えでいたということは、まぎれもない事実であります。
              
ここに一枚の写真があります。これは、筆者が阪神大震災の時に撮った写真であります。
鉄筋・鉄骨・木造を問わず、多くの建物が倒壊していた場所にある中で、一番、背筋がぞ−っとした写真であります。当地では、阪急電車のわずか6mくらいの長さの鉄橋が橋脚が外れて落ちていた地域ですので、震度7の烈震の帯の中に在していた所と言えます。この家を当初見た時は、筆者は『平家かな・・』と一瞬見えました。しかし、よく見ると屋根の中に通し柱が2階のところで折れた形で突き出しているではありませんか。この辺の家は、いわゆるお屋敷街で旧地主さんたちが、こぞって豪邸を建てておられるところです。西宮で一番のお屋敷街ですが、家の形は『農家型』といわゆる瀟洒なお座敷のある『数奇屋型』との組合わせのような豪邸がたくさん並んでいるところと想像してください。実はこのような型の家は我々の住む滋賀県にも多く見られ、昔から建てられている家のほとんどがこの型の家であります。
簡単に図示すると・・・



この型の家の特徴は、座敷中心主義の考えの中から我々工務店で通称『田舎建様式』とよび、田舎建てのできる大工さんがもてはやされ、ワンパターンのごとく建ててきたものであり、建主の方でもこれがかっこ良い!! これが『家』だ!! という風に考え、競って同じ型のものを建て続けてきたわけであります。いわゆる『入母屋かしき造り・広縁回し』 あるいは、仏壇の上は人は歩いてはいけない等々・・ いろんな理由でこの型が定番となり、家の大小はあるものの、型は変らない平均的な景色が出来上がっているのです。
近年世代交代が進み、この型も飽きられつつあるのですが、それでもまだまだ施主様の方からこの型でと注文がきます。当方としては、この型は地震に一番弱いと説明するのですが、皆さんこれが強い家だと思い込んでおられていて理解して頂くのにかなりの時間がかかります。確かに、外観スタイルがピラミッドのようになっているので強く見えるのでしょうが、実はこの形が一番弱いということです。通常、工業規格住宅では次のような型が工業規格を取得する段階で規格設計されているのです。
2階の耐力壁の下には1階の耐力壁が必ず必要とされているわけです。
確かにこの型であると強いといえます。しかし、この型は工業規格住宅だから強いというわけではありません。世間では型が強弱の最大の要因であるということを問題にせず、工法のみをとらえて、プレハブは強い、2×4は強い、木造は弱いという答えにしてしまっているのです。
まず型が優先順位であるということを、御理解して頂きたいと思います。

次回は、この型の考察をつづりたいと思います。 おつき合い下さい。

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