昭和住宅事情 --華子のはは--

その壱

その1昭和の中ごろ、戦争が終わって少し活気がでてきて我が家にもテレビがあった。
近所の人たちが集まってプロレスを観て興奮していたのを覚えている。とは言っても小学校2年の子供にとっては食事の思い出の方が結構鮮明である。今日は楽しい日曜日。朝から家中の人間がそわそわと、忙しく動いている。とりあえずお昼ごはんが一日のメインディシュとなるわけで一番楽しみなひと時を迎えることになる。それほど広くもない板の間におじいちゃんが、なにやら秤を準備しているのはいわゆる分銅ばかりというもので、これからお肉の分配が始まるのである。子供心に一番わくわくする時である。6畳二間続きの部屋にかんてき(七輪)が4個、丸いお膳が4台置かれると、そこにバケツ一杯のねぎが運ばれてくる。そしてしょうゆや砂糖、糸こんにゃく、焼豆腐・・・そう!!今日はすき焼きなのだ。我が家は大家族で祖父母を筆頭に叔父夫婦や叔母家族、全員揃うと15人にもなるのでそれはすごい人口密度と、食事事情になる。その為おじいちゃんが朝からお肉の分配をするのである。私はすき焼きの時にだけ現れる大人たちの「我がまま」の風景が結構好きで思わずボーと観てしまっていた。祖父母と叔母は3人で一つのお鍋、普通なら子供にお肉を食べさせてあげると思うのだけれど、一番沢山食べるのはおじいちゃん。そして続いておばあちゃん。ほとんど食べ尽くした後を叔母がきちんと平らげていた。叔父夫婦は子供がいないので一つのお鍋を仲良く囲んで安心した感じ。もう一人の叔母家族はご馳走のときだけ現れる。準備も片付けも参加していない。そして我が5人家族はどうだと言えば、それはもう子供の天下である。3人の子供がお腹一杯食べるまで両親がすき焼きを食べているのを見た記憶が無い。でも、一番素敵な思い出は、何時思い出しても15人は楽しくて、難しい決まりごとを言うことも無かったにもかかわらず、一回も非難したりけんかしたりしているのを見たことがなかったこと。それが普通の家の普通の姿だったのかもしれない。

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