Open : 1999.3.12
Update : 2017.1.20
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このエッセイは突然、香港からバリ島に移住してしまった日本人家族の目から見たバリ島を綴ったものです。毎日の生活の中での喜び、驚き、感動、落胆、…。うまく表現できれば、と思っています。
もし、これを読んで頂いた方から感想を頂戴できるようでしたら、これほど嬉しい事はありません。お気軽にメール頂ければ嬉しく思います。
尚、文章の中で一部不適切な表現等があるかもしれませんが、特定の人物団体等を誹謗中傷するつもりは全くありませんのでどうぞご理解下さい。
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1997年秋、私たち家族は中国に返還されたばかりの香港で香港ライフをエンジョイしていた。 そこへ突然の一番の得意先の倒産。1989年、あの天安門事件のあった年、香港へ駐在員として赴任し、1996年会社を辞め、香港で会社を設立した。
まだ会社を作って1年経つか経たないうちの出来事だった。売掛金も未回収のまま、ややもするとこちらも連鎖倒産になってしまう。 とにかくしのぐ為に経費の切りつめが最優先だ。自分で会社を経営していれば、会社の経費も自分の財布も一緒だ。
家族3人香港で生活して行くのに黙っていても一ヶ月に数十万円は出て行く。驚くほど生活費が高い。 その年、香港は物価の高さでニューヨークや東京を越して世界の都市で一番になったほどだ。
さてどうするか。妻子を日本へ帰して単身で香港で会社を続けるか。会社をたたんで家族全員で日本へ帰るか。香港で再就職してやりなおすか……。 どの選択肢も自分や家内のポリシーに反していた。
当時、仕事上お世話になっていたO氏の紹介で、バリ島の工場へ一部生産を依頼していた。そのO氏が僕を見かねて突然すごい提案をしてきた。
「おまえ、バリ島に家族で住んでみたらどうだ。」
「えっ バリ島?」
「あそこなら生活費は香港の10分の1だし、生産依頼している工場もあるし、おまえは香港で仕事があるんだから行き来すればいいじゃないか。」
「……」
「それに何て言ったって健康にいいだろう。子どもにとっても、あの自然環境は抜群だぜ。香港では決して味わえないものがあるよ、バリ島は。」
それもそうだ。だんだん考えが膨らんでくる。早速その晩、家内と相談する。この提案にかなり驚きはしたものの、冷静に状況を分析しているようだ。
「そうね。いいかもね。ただ、娘の学校と医療環境がちょっと心配………」
ここで、思いあぐんでいても仕方が無い。まずは家族でバリ島へ行って確かめようという事になり、O氏の好意に甘え、僕たち家族を連れていってもらった。
これが僕たち家族のバリ島移住の最初の一歩となった。
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