C59 124号機熊本仕様(カツミ・ダイヤモンドシリーズ再レストア)

〜蒼き流星を導きし一族・その随一の伊達者〜

〜実車解説〜

その生い立ちについてはC5990の項を参照して頂きたい。

さて、C59が国産蒸気機関車の最高傑作として完成されたひとつの姿であるのは、残された多くの資料からも明らかであるが、

その生涯は決して順風満帆とは言い難いものであった。1号機の落成直後に太平洋戦争が勃発、その製造は100輌で打ち切られ、

戦後ふたたび製造が再開されるもGHQの指示によりまたもや製造が打ち切られ、お陰で番号に欠番を生じる結果となってしまった。

また、戦後復活した特急「平和」の牽引機として抜擢されるも、「平和」が「つばめ」に改称されて程なくC62に牽引機の座を奪われ、

やがて電化の波が押し寄せると齢若くして廃車になったり、低級線区向けにC60に改造されたりして、徐々に活躍の場は狭められていった。

しかし、電化の進んでいない山陽本線や鹿児島本線では文字通り「主力」として君臨し、特に昭和38年の不定期特急「みずほ」の定期列車

格上げ、20系寝台客車化は斜陽を迎えつつあったこの機関車にとって最後の花道であった。また、お召し列車の牽引機としても好まれ、

特にC59108とC5995がその代表として有名である。その美しい姿は多くの愛好家たちを感嘆させた事であろう。

こうして近代化の波に揉まれながらもひたすら走り続けてきたC59であったが、昭和45年9月、呉線の電化によって

その歩みをついに止める日が来てしまった。最終日にはC59161がお別れの装飾を身に付け、急行「安芸」の先頭に立ち、

瀬戸内の鉄路を伝説の彼方へと走り去っていった。

 

それは、日本全国に爆発的な「SLブーム」が巻き起こる、ほんの少し前の事であった。

 

「C59一族随一の伊達者〜C59124について」

C59124号機は昭和22年に川崎車両にて産声を上げ、当初は東海道・山陽筋にあって臨時特急「さくら」を始めとする多くの特急・急行を

牽いて活躍した。しかし電化の進捗により昭和31年11月、遠く九州は門司港機関区に転属。124号機最大の特徴である

「門鉄型除煙板」(いわゆる「門デフ」)はこの頃取り付けられたと思われる。その後は当初C57受け持ちであった特急「かもめ」の

九州内での牽引を受け持ち、「あさかぜ」を始めとする20系特急客車の先頭にも立つなど、同時期の山陽・東北筋でのC59の

運用が急行・各停中心だったのに対し、こちら九州では特急牽引機としてその頂点に君臨する活躍ぶりだった。

しかし、昭和30年代後半になると、電化の波はついに九州にも上陸、これに従い124号機は熊本機関区に転属、

以後鹿児島本線西部の非電化区間を最後の職場としてひたすら走り続けた。中でも20系化された特急「みずほ」を

率いて颯爽と田原坂を駆け上がる姿は多くの愛好家たちの格好の被写体となった。

こうして鹿児島本線を黙々と走り続けてきたC59124号機であったが、昭和40年10月の熊本電化で運用を外れ、

10月22日に廃車された。九州のC59最後のグループに名を連ねられた事は同機にとって光栄であっただろう。

2005年秋の花月園運転会にて開催された互助会で譲り受けたカツミのダイヤモンドシリーズ加工品を再レストアしたもので、

かつて豊橋機関区にて「飯田線の神様」と言われ、趣味人としても著名な故・神谷清治氏の所有であったものです。

当区に転入時点で既に神谷氏の手によって124号機の姿に加工されており、再レストアに際しては最小限の

パーツ追加・交換に留めました。そのため一部プラパーツ(コンプレッサー・キャブ天窓など)もそのまま使用しています。

こちらは当区に転入回送されてきた時の姿。

前面の主な加工点は煙室戸ハンドルの別パーツ化、給水温め器カバーに標識灯追加、ヘッドマーク受け交換、

エンドビームにエアホース追加、フロントステップ交換、ヘッドライトをイルミネライトに交換、といったところです。

前面のナンバープレートはより実車に近い字体のものにするため「だるまや」のC59用とC51用とを切り継ぎました。

ただ仕上げが雑になってしまったのが残念。写真だと継ぎ目がくっきり見えてしまいますね(^^;

いずれ金色で色さしして目立たなくしようと思っています。

これも転入直後の姿を斜め上から。

こちらは加工後の姿。ATS発電機と油ポンプ箱を追加しています。

しかし砂撒き管元栓は未装着、ボディーとシリンダーブロックとのネジ止め部分も手を付けていません。

このアングルから見るとネジの頭が丸見えですね(^^;

公式側はボイラーのハンドレールが半分までしかなくスッキリした姿です。実車も最後まで延長される事はありませんでした。

お決まりのアングルで。ナンバープレートがキャブからはみ出ているのは(実車が)タブレットキャッチャーを装備していた名残りです。

洗缶剤挿入装置はうかつにも元のプラパーツを溶かしてしまったので手持ちのロストパーツに交換しました。

丸穴付きの油ポンプ箱は神谷氏の自作部品と思われます。なかなかイイ感じなのでパーツ交換せずそのまま残しています。

下回りはカンモーターに換装、動輪はネオリューブでメッキを落ち着かせました。

当区ではガンガン走らせる為のカマとして今後の活躍が期待されています。

 

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