「山の中でひとり」  第119話
045650d2b5-1232265439.png 「少し時間があるから、その辺を歩こうか?」
 駅で時間を確認してから、おじさんが言った。
 田舎だからか、まだ朝の6時だからか駅舎には私たち以外の人はいなかった。
 シャッターの閉まった商店街を少し歩いて、その間、みんなで取り留めのないことを話した。
 タカヨシ君の手の温かさとか、ゆっくりと歩いてくれるおじさんの優しさが嬉しい。もうお別れだと思うと、寂しかった。

「絶対また来てね。約束だから。」
 ホームでタカヨシ君と指切りをする。
 また私は嘘をついた。
「もうすぐ電車が来ちゃうんですねぇ」
 遠くを見つめて、まだ来ない電車を想像する。
 もうすぐおうちに帰る。こうやって自分を守るためだけに塗り重ね続けた嘘も、もうすぐ終わると思うと少しホッとする。

 おじさんが私の目線とは逆方向を指していった。
「ごめん、電車はあっちから来るんだ」
 思わず赤面する。これは恥ずかしい。
 どうにかして話題を変えようと、カブトムシでも死んでないかホームに目をそらす。
 ふと、さっきまでいなかった女性に気が付いた。
「あの…、あの人…」
 思わず指を指して、おじさんに聞いてくる。
「人を指さすものじゃないよ。失礼に当たるからね」
「あっ、ごめんなさい。あそこにいる人…、おばさんでは?」
「いや、好江さんは用事があってここにはいないよ?」
「でも、ほら。身長とかプロポーションとか…、あと、あのスニーカー…。確かおばさんのと同じだし、そもそもサングラスしていてもおばさんにしかみえないし…」
 おじさんは私の肩に手を置いてにこやかに言った。
「昔、夏目漱石って言うエラい人がこういったんだよ?」
「吾輩は猫である?」
「違う。形を見るものは、質を見ずってね」
「えっと…、つまり?」
「中の人なんかいない。あの人はサングラスをした中年女性Aであって、中の人なんていないんですよ。エラい人には…」
 アナウンスが流れた。電車がもうすぐ来る。

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