私が教職を追われると、組織はすぐに私に総括を求めた。
私は組織のために組織の人に総括を求めましたが、
組織は教職を追われた私に総括を求めました。
つまり組織は私ではなく、私の立場を求めたのです。
私は一人になりました。
それでも私は私の活動を捨てなかった。
反省することなど何もない。
今はたった一人でも、出来る活動があるはずだ。
そう思っていたとき、娘が外国から帰ってきました。
あの子は聞いたこともない外国で私を否定するように、多くの罪を背負っていた。
私は深く絶望しました。
子供の不調法は親の不調法。
なにもかも、もうおしまい。
やったことの責任は取らなくてはならない。あの子も、私も。
少し吐きそうになる。
お母さんは、母親として私を認めて責任を取ろうとした訳じゃない。
自分の失敗を誤魔化すために、私をダシにして全てを終わらそうとしただけだ。
立ち上がるとおじいちゃんが布団を敷いていた。
真新しい白い和服。北向きの布団。お線香の香り…
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