「参った。ちっとも研究が進まないんだよ」
椅子に座りながら神條先生が愚痴をこぼす。
といっても、その表情は以前笑顔で、悩みなど微塵も感じさせない。
「どうにも最近ね、自分がとても悪い事をしているような気持ちになる」
「悪い事、ですか」
「ああ。前までは研究のために、と思ってた。誰かを殺す事も厭わなかった。それが最近揺らいできているんだ」
―――中庭で逢っているあの人のせいですか。
云いかけて、慌てて飲みこんだ。
あれから、あの冬の日から、神條先生は毎日のように中庭であの女の子と逢っていた。
そして私は窓の外からそれを見ていた。
―――嫌な女。
愚かなことだとは判っていても、窓の外に見える景色のなかで見せる先生の安らぎの表情から目を離せないでいた。
「疲れていませんか、先生」
「…大丈夫だよ」
嘘だ。
笑顔で誤魔化そうとしているけれど、その下に見え隠れする苦悩の表情は隠せない。
「無理が見え見えですよ」
「そうかね?」
「ええ。わたしには判ります」
「参ったな。水森君にはなんでもお見通しか」
「ええ」
―――だって、いつも先生のこと見ていますから、判らない筈がないです。
そう云ったらこの人はどんな顔をするだろうか。
困らせてみようか―――意地の悪いわたしがどこかで囁く。
「…早く終わらせたいな、この研究も」
「そうですね」
終わらせたら、この人はどこへ行くんだろう。
―――わたしはどこへ行くんだろう。
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部屋に戻ると一番に目がいく場所―――窓の外の景色。
移りゆく四季の色。
…そして白いベンチの上のふたり。
時に笑い、時に怒り、驚き、悲しみ―――
「はぁ…」
悪趣味だな、わたしは。
他人のプライベートを除く趣味なんてなかったはずだけど。
そう思いながらも、視線は外の景色から外れる事はなかった。
決してわたしの立ち入れない領域。
だからせめて、この窓から一人の観客として…
観客として、何ができるのだろうか。
「…ふふ」
何が出来るか―――そんなことを思っている自分が可笑しかった。
判ってる筈なのに。
わたしにはなにも出来ないことなんて。
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