3.満洲の統一
      〜常に先陣に立つ〜

■一族の妨害


     ニカンワイランがオルホン城へ逃亡し、どうしてヌルハチはすぐに討伐に迎えなかったのか?
 距離的な問題もあっただろうが、それより親族らの妨害が激しくなったのがその理由であろう。
 当時はまだヌルハチ憎しの機運が強かった様である。
 
    一族の者リダイやカンギヤは暗殺を目論んだが失敗し、フルン(海西)のハダ部に助力を請い、彼らの兵を領内へ導こうとした。
 これをヌルハチは撃退し、逆にアンフィヤンクら12名に追わせ40名を殺害している。
    他部族を満洲領内へ入れた事に、ヌルハチは激怒した。
 リダイを討とうとするが、大雪で前に進めない。しかし、ヌルハチの怒りは雪では抑えられない。
 人々は一度出直す様に進言したが、「リダイは同じ一族の者なのに、ハダの兵士を導いて殺そうとした。どうして怒らずにいられようか!」と叱りつけている。
    かくしてリダイの居城を落としたものの、ヌルハチはあれだけ激怒したリダイを許した。
 以前、暗殺されかかった時も間者を逃しているが、おそらく一族で報復合戦になる事を避けたかったのだろう。
 
   一族の妨害はこれだけではない。
 かつてニカンワイランを助けたロンドンがサムチャン(ヌルハチの継母の弟)と共謀して、ガハシャンハスフを暗殺した。
 ガハシャンハスフはヌルハチが旗揚げした際、真っ先に駆けつけた人である。

 ヌルハチは何としてもその亡骸を引き取りたいと思ったが、人々は罠があると恐れて行こうとしない。
 彼は近侍の者数名を率いて、一気に亡骸を放置している岡へ駆け上がった。
 「殺したいやつは出てこい!」とヌルハチは叫んだが、あえて出てくる者はいなかったという。
 こうしてヌルハチは亡骸を回収して、手厚く弔った。
 夏になって、彼はサムチャンを倒し、ガハシャンハスフの仇をとったのである。 

    この様に、ヌルハチに対し、あらゆる妨害が行われた。
 しかし、間もなくしてそれも収まった様である。リダイに対してみせた寛容さや、ヌルハチの強さが人々を納得させたのかもしれない。

■ヌルハチ、生死の境を経験する。


    満洲(明側の言う建州)は当時、大まかに5地方に分かれていた。スクスフ、フネヘ、ワンギヤ、トンギャ、ジェチェンである。
 1584年9月、その一つトンギャで内紛が起こる。ヌルハチはそれに介入するも、間もなく大雪に見舞われ引き帰す事となった。
 その帰路、ワンギヤ地方のスンジャキンガホンから援軍を頼まれる。そしてオンゴロ城を攻略すべく、急遽、軍を転進させたのである。
 おそらく帰りの駄賃程度だったのだろう。ところが、この戦でヌルハチは危うく死に掛けた。
 スンジャキンガホンの兄ダイドモルゲンがオンゴロ城と内通しており、侵攻を教えられたオンゴロ城は万全の体勢で待ち構えていた。

 

     ヌルハチは屋根に上り、そこから城の守備兵に向けて矢を放っていた時のことである。
 ゴルカニなる者の放った矢が、ヌルハチの鎧深くに刺さった。
 それは幸い深手にはならず、その矢を抜き、逆に相手に打ち返した。
 しかし、ロコなる者が放った矢は先ほどの傷程度では済まなかった。

    ヌルハチに刺さった矢は先ほど以上に深く食い込んでいた。
 矢を抜くと、肉もえぐられ、血が噴き出たという。
 彼はそのまま倒れ、気を失ってしまった。
 後ろへ運ばれたが傷ははなはだ酷く、覚醒と昏睡を繰り返した。
 翌日になってようやく出血が止まり、意識も取り戻したのである。

   部下たちによって城が占領され、ヌルハチに重傷を負わせたコルガチ、ロコが引っ張り出された。
 危うく主人が殺されかけたので、部下たちは怒り、両名を殺せと言った。
 しかし、ヌルハチは
 「彼等は自分の仕事を果たしただけだ」と延べ、
 「味方にすればこれほど頼もしい者はない」と、むしろ彼らを大いに取り立てたのである。

    それだけの怪我を経験しても、ヌルハチは決して怯む事がなかった。
 敵将2名を一人で追いかけて倒し、 追撃してきた兵士を振り切るなどの武勇を残している。
    ヌルハチは思うに、生粋の武人であった。
 戦場で命を取り合うのは当然の事と思っていたのであろう。だからこそコルガニらを許した。
 逆に一族といえども、臆病風をふかす者を彼は決して認めなかった。それにまつわる次の様な話がある。

    大怪我を負った翌年、彼はジェチェンへ攻め込んだ。洪水で軍を進める事が出来ず、僅かな手勢で偵察に出かけた。
 すると800名近い兵士がこちらに向かっている事を知った。
 ヌルハチの親戚にあたるジャチンカングリはとても恐れて、部下に鎧を着せて自分は兵卒に成りすまそうとした。
 情けない様を見て、ヌルハチは大変怒った。
 「お前等兄弟は普段、強いとか自慢してるのに、この期に及んで恐れをなすか!」
 ヌルハチは身内でも臆病者には容赦しなかった。

 ヌルハチは弟ムルハチと供に、8百名の中へ突入し、窮地を脱する事に成功した。
 彼は言う。「今日の戦において、我等は4騎で800名の大軍を破った。まさに天の助けである」
 4騎で大軍を破るというのは誇張であろうが、グレやサフルといった決戦でも分かる通り、常に劣勢を覆す気力を持っていたのは間違いない。


■支配の確立

 

    1586年、ついに仇敵ニカンワイランを討ち、さらに当地で権勢を誇ったジャハイも屈服させた。
 旗揚げから僅か3年である。

    この頃になると、さすがにヌルハチの実力を認める者が増え、多くの人々がヌルハチに帰参する様になった。
 1587年7月にはスワン部の長ソルゴが帰参した。彼の息子フィオンドンは後にヌルハチの陣営で大活躍する事となる。
 さらにトンギャ部ホホリ、ヤルグのフルガンもヌルハチの陣営に入った。
 ヌルハチは有力氏族の帰参を大変喜び、ホホリには娘を与え血縁関係を結び、フルガンを養子に迎え入れた。
   彼等、有力氏族の帰参は、周辺の人々に大きな影響を与えた。
 これによって、さらに一気に人々がヌルハチを盟主と認める様になったのである。
 
    こうして満洲領内は徐々に安定していく。
 すると、内紛の絶えない海西女真より、安定した建州女真の方へ明の商人も足を運ぶ様になる。
 各地で市場が開かれ、満洲の勢いは盛んになった。
    海西(フルン)のハダ部もヌルハチの権勢を認めて、彼に娘を送った。
 息子ダイシャンに迎えに行かせ、盛大な宴が催されたと記されている。
     さらに同じフルンのイェヘ部もヌルハチに娘を送った。ヌルハチは自ら彼女を迎えに行った。
 この女性こそ孝慈高皇后−−ホンタイジのお母さんである。
 1592年10月、ホンタイジを出産している。
  
    1587年9月、かつてヌルハチに矢傷を負わせるきっかけを作ったダイドモルゲンを討伐。ワンギヤ部を抑えた。
 さらに翌年、宝物庫の様に財産を蓄えていたジョーギヤ城を占領している。
 こうしてヌルハチは満洲に支配を確立した。
 同年、明はヌルハチの実力を認めて都督の位を授け、事実上満洲の主である事を認めた。

 

■フルンとの衝突

 
     日の出の勢いのヌルハチを味方に付けようと、ハダやイェヘは娘を送り政略結婚を謀るが、内心穏やかではなかった。
  当時の女真族は交易によって生計を立てていると言って過言ではない。それが全て奪われるのではないか、と焦り始めた。
  さらに領土を拡大するヌルハチの野心がこちらに向かってくるのではないか、と恐れ始めた。
  この頃からヌルハチに対する圧力が強まるのである。
 
    イェヘが領地割譲を要求し、ヌルハチに「我々と戦争するか?」と脅しをかけてきたのである。
  ヌルハチは当然これを拒否するが、これをきっかけにフルン諸部と満洲の戦争が始まる。
  
       


<次へ>

<トップに戻る>

※当ページのweb素材は中華素材屋様の作品を拝借しております。当サイトからの使用は一切お止めください