イエヘ年代記−1−
  イエヘ部はフルン(海西女真)4部に属した部族である。諸族が次々とヌルハチに呑みこまれる中、彼らは最後まで抵抗を続けた。
  そのイエヘ部をヤンギヌ・チンギヤヌ兄弟から、イエヘ部滅亡まで紹介したい。
 


    ■ イエヘ部の系譜 

      

        イエヘ部。元々はモンゴルに属する。遼東に移り、ナラ氏族を滅ぼしてその地に収まったという。
        やがてイヘエ河岸に居を移し、自らをイエヘと呼ぶ様になった。
          明では彼らの事を「北関」という。
        朝貢をする際は、鎮北関を通ってやってきた事に由来するらしい。
        ちなみに、ハダ部は南を通ってきたので南関と呼ばれた。
  
            イエヘの開祖はシンゲンダルハンと言われている。
        この一族は、ギンタイシに至るまで血の気の多い…反骨的な気風を持つ人々であった様だ。
        シンゲンダルハンの子、シルゲミンガトゥは、正徳年間、明領を荒らしまわった。ゆえに討伐を受け、開原で処刑された。
         父親を殺され、復讐も燃えるチュクンゲは周辺部族を糾合して明に対して騒乱を起こした。正徳8(1513)年のことである。
        明は、チュクンゲに都督僉事の位を与えて懐柔し、一旦は収まった様である。
        しかしチュクンゲは再び兵を起こし、荒らしまわった。
        結局、ハダ部によって殺害されてしまう。
 
         当時、朝貢(形式的には、明が周辺部族らの献上品を買い上げる形の交易)を行うには、明が発行した勅書が必要だった。
        一連のイエヘの騒乱で頭に来た明の当局は、イエヘから勅書を没収。
        それを明にハダ部を始めとして、従順な諸部族へ分け与えた。
        この頃から、親明的なハダ部を優遇し、代わりに彼らに責任を負わす様になった様だ。
         
         明の狙い通りというべきか、イエヘの恨みはハダ部へ向けられる。
        チュクンゲを殺され、勅書も奪ったハダ部を恨む様になる。
        こうして長年の確執が始まるのである。



     ■ ニ奴、ワンハンに復讐する。

           チュクンゲの子、タイチュには2人の子供がいた。長男のチンギヤヌ、次男のヤンギヌである。
        この兄弟の時代にイエヘは勢いを盛り返す。
        しばしば明を苦しめ、ゆえに明朝から「ニ奴」と憎まれる様になる。
        
         兄弟はそれぞれ、城を構えた。
        東の城にヤンギヌが住み、西の城にチンギヤヌが住んだ。二つの城はさほど距離が離れてなかったという。
        兄弟では、どちらかというと弟が主導権を握っていた様である。
        弟の住む東城は堅牢な山城であり、李成梁もヌルハチも攻撃の際はずいぶん苦労している。
        城は外城と内城に別れており、山を取り囲む様に外城があり、その頂上に内城があった。
        木板で作られた城壁が何重にもあり、さらに城壁の間を壕が掘られていた。
 
         当時、ハダ部のワンハンは明の支援を受けて、全女真族のリーダーの様な存在だった。
        ヌルハチ以前では、最も権勢を誇った人物であろう。
        ゆえに兄弟は逆らう事もできず、ワンハンの子供に妹を送り、両者は婚姻関係を結んでいる。
        その頃、満洲のワンカオという傑出した人物が登場している。
        有能な彼は満洲を束ね、しばしば兵を起こして明領を荒らしまわった。
         
          ワンカオに、ヤンギヌ兄弟が接近する動きを見せている。
        やがて李成梁がワンカオを討ち、兄弟にも危機が迫った。しかし、ワンハンのとりなしで事なきを得た。
        兄弟はワンハンと婚姻関係を結んだり、助けてもらったりしたものの、決してハダ部への復讐を忘れなかった。
        じっとワンハンが衰えるのを待っていた様である。
 
           やがて、その時が来た。
        兄弟が台頭した頃、すでにワンハンは老境に入っていた。彼が歳をとると、次第にハダ部の統治が緩み始めた。
        それに乗じて、ヤンギヌはモンゴルのコルチン部と手を組み、ハダ部への攻撃を開始した。
        イエヘ部精強と見るや、ワンハン所属の白虎赤(読み方分からず)らが兄弟に寝返った。

         老いて床に伏せるワンハンに、ヤンギヌらの「造反」をどうする事もできない。ワンハンは強い憤りの中で亡くなったという。
        ワンハンが亡くなると、ハダ部の中で後継者争いが起こった。
        争いに敗れたカングルがイエヘ部へ亡命。チンギヤヌは娘を与えて婚姻関係を築いている。
        
         この頃、まだ無名のヌルハチがヤンギヌの許を訪れている。
        ヌルハチはイエヘと婚姻関係を結ぶことを希望した。
        この時、ヤンギヌは「この者はただ者ではない」と感じ取ったという。しかし当時は実力もなく、あまり積極的ではなかった。
        ヌルハチは「年頃の娘がいれば妻にしたいのですが」と尋ねたが、ヤンギヌはやんわりと断った。
        「年頃の娘は君とはソリが合わないだろう。
         幼い娘の方は聡明なので、君とも巧くやっていけるだろう。これが大きくなったら君へ嫁がせよう」と約束している。
 


      ■ 二奴、討ち取られる。
  
           内紛で揺れるハダ部に対し、ヤンギヌはこの時とばかり勅書の返還を求めた。
        しかし部長メンゲブルは、拒否。
        兄弟は激怒して、万暦11(1583)年、白赤虎やコルチン部の兵と連合してメンゲブルを襲った。
        余談だが、この年はヌルハチが挙兵した年でもある。

          当然、メンゲブルは大敗。3百名が戦死し、鎧150を奪われ、村々は焼かれ、畑はことごとく荒らされた。
        ハダ部滅亡の危機に、明の巡副使任天祚が介入。
        兄弟に金銭を与え、一旦兵を退く様に命じる。
        しかし兄弟は、「それより我々の勅書を返せ」の一点張りであった。
        再び、ハダ部内を暴れ周り、人々を拉致し、ようやく撤退したのである。

         翌年、明はハダ部から何とかして欲しいという要請を受けた。
        ハダ部の消滅を、明も容認するわけにはいかない。
        戦では犠牲が大きいと考え、巡撫の李松は、総兵官李成梁と謀り、「ニ奴」を暗殺する事にした。

         成梁は「勅書をやるから、取りに来い」と兄弟に伝えた。
        日ごろの主張がやっと認められたと、兄弟は喜び勇んで開原へ向かう。
        彼らの退路を塞ぐため、成梁は途中の城に兵を配して潜んだ。
        兄弟はモンゴル兵あわせて2千騎を率いていた。
        これに守備の霍九皋がクレームをつけた。「お前たちは重装備した何千もの兵士を連れて、何をたくらんでいるのか?」。
        上機嫌の兄弟は、ここで明の機嫌を損ねるわけにいかないと、鎮北関に兵を残す事とした。
        
         その頃、李松は将軍宿振武、李寧に伏兵を四方に配する様命じた。
        そして、一切物音を立てない事、太鼓の音とともに一気に飛び出す事を命じた。
        かくして兄弟は3百名の家来とともに、開原へと入った。
         
        
 

  李松と、任天祚が兄弟の前に座っている。
馬上から兄弟は「メンゲブルが奪った勅書を返してください」と頼んだ。
この態度を霍九皋が責め始めた。
もはや勅書どころの話ではない。
 
  公衆の面前で恥をかかされ、兄弟は目を見張って怒りを露わにした。
「お前たちは言う事を聞かない」と、李松は声を荒げ、机を投げつける。
九皋がさらに兄弟に馬から降りる様に命じる。
  親分をバカにされ、怒った白虎赤が九皋に斬りかかった。
それを待っていたかの様に、隠れていた兵隊が雷鳴の如く叫び出て、兄弟らに襲い掛かる。
結局、兄弟をはじめ、息子や白赤虎ら全員が殺された。
鎮北関で待機していた兵士も、成梁が密かに用意していた部隊に急襲され、全滅した。
 
 主のいない城に、突然李成梁率いる明軍が現れた。
城は囲まれ、突然のことで状況も分からない。
明朝、彼らは這う様にして城から出て降伏した。
イエヘの有力者たちは、メンゲブルに謝罪し、二度と争わないと天に誓ったのである。
それを確認し、成梁は撤退した。

 
 「ニ奴」を討ち取り、遼東の乱を鎮めた功績で李松、李成梁、霍九皋ら全員が出世している。
 

         数年は大人しくしていたイエヘ部だが、ナリムブルが残った人々をまとめると、再び復讐を誓った。
        亡くなったチンギヤヌの後をブジャイが継ぎ、ヤンギヌの後をナリムブルが継いだ。
        指導権はヤンギヌが握っていたので、その流れでナリムブルが指導者となった。
        しかし、彼の性格は凶暴であったという。
        復讐に燃える彼は周りを見ようとせず、ハダ部と、さらにヌルハチと闇雲に争う。
         思うに彼の性格がイエヘを滅亡に追い詰めたのではないかと思う。


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