イエヘ年代記−2−
  


    ■ イエヘ城の激戦。 

       数年して残った者を糾合したナリムブルは、仇敵ハダ部に再び攻撃を仕掛け始めた
       この頃になると、ハダ部もややこしくなっている
       結局、ハダ部の人心を得られなかったメンゲブルが母親の説得を受けてイエヘに亡命
       ダイシャンが部長となったが、明の後押しでやっとなれた状態だった
       イエヘに亡命していたカングルがメンゲブルと手を結んで、ダイシャンを追い落とそうとしてきた
       当然、ナリムブルは内紛に介入し、ダイシャンを攻撃する。しかし、これは巧くいかなかった
 
        明の支持するダイシャンを追い落とそうとするイエヘ部のナリムブル。巡撫顧養兼は当事者を説得し、和解を促したが失敗。
 
        万暦16(1588)年2月、武力を用い、説得にも応じないイエヘ部に業を煮やした顧養兼はブジャイ、ナリムブル討伐を決意する
       李成梁がその任にあたったが、雪が解け始めた頃で道はぬかるみ人も馬も思うに進めなかった
       3月になって再び進軍を開始した。途中の村を落として村人に道案内をさせ、イエヘ城に到着
       明軍が到着した頃には、ブジャイはすでに西城を放棄し、ナリムブルの東城に全員が立て篭もった
        
       
   先に攻撃を仕掛けたのはイエヘ軍であったという。明軍は敵の動きを伺い、先に出ようとはしなかった
 游撃呉希漢と弟の希周は奮戦し、矢傷を受けながらも突進した。明兵は彼らに促される様に前進を始めた
 明軍の攻撃を受け、イエヘの兵は城内に撤退している
 
  イエヘの城は山の上に作られた堅城だったという。石や木で作られた壁が何重にも立ちふさがっていた
 明軍は2日かかって、ようやく外城の壁2つを攻略した
 城に登り始めるが、木や石が降り注ぎ、先に登る者からどんどん潰されていく
 普通に攻めては落とせないと悟った成梁は、大砲を用意して砲撃を開始
 城はたちまち崩され、イエヘ側に多数の死者が出た。泣き叫ぶ声が城内に溢れたという
  
  明軍の攻城兵器が城正面に用意され、いよいよ最期の戦いが始まろうとした
 ブジャイもナリムブルもそれを見て恐れ、すっかり戦意を喪失し、城を出て成梁に許しを乞うた
 成梁はハダ部を攻撃しないと約束させ、撤退した
 
  4月、顧養兼の取り成しで、明に捕らえられていたカングルがこの頃、ハダ部へ戻っている
 イエヘ部はカングルに使者を送り、攻撃をしない代わりに勅書をくれと要求した
 カングルとダイシャンの間で和解が成立し、おそらくその時、親イエヘ派のカングルが諭したと思われる
 さすがに両者もこのままでは得るものが無いと悟った
 ハダ部とイエヘ部で勅書を均等に分ける事となった
 
  とりあえず、これで両者の対立は解消したのである
 

        

 



     ■ ナリムブルとヌルハチ。両者、激しく応酬する。

   

                  上記の様にフルンでは戦乱が相次ぎ、市も開かれることがなかった
                        その間に、ヌルハチは満洲五部を統一する
        かくしてナリムブルは、2つの理由からヌルハチに危機感を持つ様になった
        第一に、ヌルハチが国内を安定させた事で、市がヌルハチの側で開かれる様になった事
        第二に、統一したヌルハチがいよいよ外に目を向け始めた事
        交易が成り立たなくなれば、彼らに属している人々も離れていく
        そして次に狙われるのは、我々フルン諸部だとナリムブルは感じたのかもしれない
         彼はフルン諸部に「ヌルハチは危険だ」と説いて回った
        やがて、ヌルハチという敵に対し、彼らは団結して立ち向かう事となる
         

 

       
         イエヘ城が明軍に討たれたのと同年9月、ナリムブルは妹を太祖に嫁がせた(後にホンタイジの母親となる
        ヌルハチは息子たちと共に、彼女を出迎えに訪れ、盛大に宴会が催されたという
        彼女を大切に扱うことで、ヌルハチはイエヘとの友好を示した
        当時、苦境にあったイエヘ部はヌルハチを味方に付けるため、かつてヤンギヌと交わした約束を急ぎ実行したのであろう
        両国はこの頃、良い関係にあったと思われる
 
         それから3年後、両者は決裂する
        満洲が外に兵を送る様になり、ナリムブルらと本格的に利害が衝突し始めた
        万暦19(1591)年、彼はヌルハチに使者を送る
        「フルン諸部と満洲は同じ民族である。あなた方が満洲を統一するのは結構な事である
         だが、あなた方の領地は広い。比べて我々は狭い。我々はエルビン・ジャクムのニ地を合わせて一つとすれば、丁度良いだろう
        イエヘ部は、この年ヌルハチが併合したエルビン、ジャクムのニ地を要求した
        ヌルハチは次の様に反論する
        「我々は満洲であり、あなた方はフルンである。それぞれ住むところは決まっている
         我々は、あなた方の土地を奪ったわけではない。今後、あなた方と争う気もない
         土地は牛や馬の様に、分け合える事は出来ない
         そんな事は、当然お前たちなら分かっているはずだ。なのに、どうして主人を諌める事が出来ない?どうしてあつかましく侮辱しに来るのか?
        フルンも満洲も同じ民族だから土地は分け合おうと言うイエヘに対し、ヌルハチは同じではないと断った
     
         ナリムブルは3部族揃って圧力をかける為に、ハダ・ホイファと合わせてヌルハチへ使者を送る
        宴会が盛り上がった頃、イエヘの使者トゥルデが立ち上がって言い放った
        「我々の主は、他の部族長が怒る事を心配している!」
        このままだと周辺部族を皆、敵に回しますよと圧力をかけたのである
        ヌルハチは、「私はあなた方を叱ったりしない」と、とぼけた

         バカに
されたトゥルゲは声を荒げた
        「我々は土地を寄こせと言っているのに、あなたは茶化して渡そうとしない
         こうなったら、戦をもって償わせてやる!いざとなれば我々は簡単にそっちへ入れるが、あなた方は我が地へ踏み込む事が出来るか!」

         ヌルハチは生粋の武人である。その矜持を傷つけられ、剣を抜き机を真っ二つにして怒り狂った
        「イエヘのご一族よ、私は常に軍中にいて、馬をぶつけ合い、鎧兜がぐちゃぐちゃになる様な戦を経験してきた
         お前らにそんな戦い方が出来るんか?
         お前らの戦といえばハダ部が内紛で混乱する隙を狙って、叩いただけではないか?
         あんなものは簡単だ。戦じゃない
         その程度のイエヘに入るのは、無人の地を行くのと同じくらい簡単だ
         昼に着くのは無理でも、夜にはそちらへ到着しているだろう。その時、どうするか?」
        イエヘなんて弱すぎると、こき下ろした
        さらに、ナリムブル、ブジャイは父らを明に殺されても、何もしなかった。そんな臆病者が何を言うか!と喚いたのである
 
         使者は戻ってブジャイに、ヌルハチの怒った様をありのまま伝えた
        これを言えば、血の気の多いナリムブルは激怒して今すぐに攻めるだろう
        さすがにそれを恐れて、ナリムブルには伝えなかったという


     ■ 九姓之帥。
  
           イエヘの支援を受けたシュジュリ、ネイン両部がヌルハチ支配下のドゥン砦を襲った
        これによって、両国の緊張が高まる
        万暦21(1593)年6月、イエヘを長とするフルン4部がヌルハチを攻撃。ブチャ砦の人々を拉致した
        9月、フルン4部に加えて、モンゴルのコルチン、シボ、グワルチャ、シュジュリ、ネインの合わせて9部でヌルハチを総攻撃した
         
         ヌルハチは神社へ行き、天に祈りを捧げる
        「我々に非が無いのにイエヘは、諸部を束ねて欲しいままに攻めてきました。どうか天にはそれを見分けてほしい
         願わくば、敵をことごとく降伏させ、我が軍奮闘出来ます様に。鞭を落とさず、馬が転ばず、天佑、我にあらん事を
         
         連合軍は総兵力3万であった。内訳はイエヘ1万、フルン諸部1万、モンゴルとシベ・グワルチャら残り1万である
        満洲側は圧倒的に少なく、皆すくみ上がってしまった。ヌルハチは烏合の衆に過ぎないと兵を励ました
        イエヘ本隊に向かって朝に出発し、夕方には到着。翌日戦闘となった
 
          ブジャイらは山頂に陣を敷き、ヘジゲ城を攻めようとした。城の前にはヌルハチの部隊がおり、待ち構えている
        突然、その一部が動き出す。その百名の動きに釣られて、ブジャイは攻撃を命じてしまった
        囮部隊を指揮したエイドゥの抵抗は激しく、加えて急な攻撃命令で足並みの乱れたイエヘの兵は一度後退
        兵士が前になかなか出ようとしないので、ブジャイは甥のキンダイシ、モンゴルの貝勒らと合わせて先陣で突撃せざるを得なかった
        それがまずかったのかもしれない
        突撃の最中、ブジャイの馬が木片に触れて転倒。転げ落ちた所を敵兵に殺されてしまったのである
        ブジャイの戦死に兵は動揺し、陣形は乱れ、逃亡し始める者も現れた
        ヌルハチの巻き返しに遭い、連合側はこうして大敗してしまう 
 
         亡くなったブジャイの地位は、息子ブヤングが継ぐ事となった。
        
      


     ■ 盟約
  
           9部連合が大敗し、シュジュリ・ネイン両部がヌルハチに攻め滅ぼされた
        万暦25(1597)年1月、フルン4部はさすがに危機感を感じて、先の大戦の謝罪に訪れた
        使者たちは「我々は敗れて自らの名を辱めました。今後は修好を回復したいと思います。それを示す為に婚姻関係を結びましょう」と申し出た
        イエヘ部ではブヤングが妹をヌルハチへ、キンダイシが娘をダイシャンへ嫁がせる事で、同意した
        馬を生贄に捧げ、それを解体し、酒を供えて天に告げる儀式が行われた
        使者たちは誓う
        「この盟約の後、婚約を破棄する事はありません。もし盟約を破れば、我々はこの馬の様になるでしょう
         酒を呑み、肉を食い両国の永遠の幸福を願います」
        ヌルハチも誓う
        「盟約の後、すぐに約束を実行せよ。もし三年経っても履行されなければ、私はその者を必ず討ち取る」
        政略結婚を通じて、友好関係が修復された様に見えた
 
         しかし、凶暴なナリムブルがすぐにこの盟約を台無しにしてしまった
        ヌルハチの命を受け、ムハリャンが野生の馬を捕まえていた。ナリムブルはその馬を横取りしたのである
        さらにナリムブルはウラ部のブジャンタイをそそのかして、結婚の約束を破棄させ、その娘を自分のものとした
        ナリムブルの状況をわきまえない行為が、イエヘから道理を失わせ、満州への支持が逆に集まったといえるだろう     



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