お出かけですよ♪

2話 楽しい散策


シラー島を飛び立った二人は、とりあえず人目に付きにくい公園に着地した後、

(人通りのど真ん中に空から降っていく訳にはいきませんからね)

公園での散策を終えたという風を装いつつ大通りまで出ていきました。

幸い誰も不審に思わなかったらしく騒ぎも起こりません。

さて、駅に向かおうと征樹君はタクシーでも拾おうとしたのですが、

大した距離でも無いし、フェル君に街歩きに慣れて貰う必要もあるかと少し歩く事にしました。
 

征樹君を従えたフェル君は通行人の賞賛の視線を浴びながら優雅に歩いています。

美貌と衣装が相まって何処かのお嬢様のお忍びのように見える為、

(鞄を下げた征樹君があれこれと世話を焼いているので余計そう見えてしまうのですか)

目立ちまくってはいるものの、当初の「征樹君の危惧した危険」にさらされる事はありませんでした。

ただいまのフェル君は体型を誤魔化すためと

仁王立ちになろうが、大股開きで座ろうが大丈夫なように

ロングスカートなピンクハウス系乙女チックスタイルで決めてあります。

ややピンクがかったベージュにバラ模様の前あきワンピースは

ピンタックやリボンで可愛らしく彩られ、襟と袖口は小振りなフリルに、

大きく膨らませたスカートの裾には螺旋状にフリルが縫い止められています。

わざとスカート部の前立てのボタンは外され、これまた淡いピンクベージュのペチコートを覗かせてあります。

こちらも細かなピンタックとリボンで裾は二重のフリル仕立てと華やかなものです。

この可愛らしい出で立ちに、おリボン付きの帽子をかぶったフェル君をエスコートしながら

征樹君は小さな後悔をしておりました。

(ロングのカツラも使うべきだったか・・・)
 

順調に歩いていた二人に暗雲が垂れ込めたのは、

赤信号に引っ掛かったため、信号待ちをしている最中でした。

人だらけの中でじっとしているのが少々気に障ったのか、フェル君が不機嫌に問いかけます。

「何故このような場所で立ち止まるのだ?」

「信号が赤ですから、渡れないのですよ。」

「・・・シグナルレッド? 何か故障しているのか。」

「故障というのではなくて・・・。」

ここいらで何かが微妙にずれている事に気づいた征樹くん、

信号機を指差して、おそるおそる問いかけてみました。

「赤信号ってお分かりですか?」
 

「なんだ、それは。」
 

一瞬、征樹君の意識が飛びました。

そうでした、フェル君は凡俗な人間どものひしめく人混みなどに出掛けた事は無く、

ゆえに一般社会の常識などとは無縁の浮世離れした感覚しか持ち合わせないのでした。

事前に打ち合わせておかなかった自分のうかつさを呪いながら、

必要最小限と思われる社会常識のレクチャーを始めたのですが、

最初はおとなしく聞いていたフェル君、話が長引くにつれてだんだんとつまらなくなってきたのか、

いろいろと説明している征樹君に向かって一言。

「飽きた。」

あまりといえばあまりな一言に、レクチャーする気力が一瞬にして尽きてしまいました。
 

「あ、ああ、車道に出てはいけません。」

征樹君が呆然としている隙に一般常識を持たないフェル君は

赤信号も、歩道も、車道も、関係なくスタスタと進んでいこうとします。

自動車が行き来する中にフェル君がうろうろしては一大事、

彼が自動車を跳ね飛ばしたりしては大変です。

慌ててフェル君を引き戻すと、征樹君は彼の手をしっかりと握って、

「私から離れてはいけませんよ。でないと、お忍びがばれて強制送還です。」

かなり強い調子で言われたせいか、フェル君今回はおとなしく頷きました。

「うむ。」

ただし、見るからに堂々たる美丈夫が玲瓏の美女と手を繋いで道行く姿は・・・、

無茶苦茶に目立っていましたが。
 

一般人の視点で歩いていると、いろいろと不思議に思う事があるのか、

フェル君は「あれは何だ、これは何だ。」といろいろ質問してきます。

征樹君は小さな子供に言って聞かせる気分を味わいながら、ひとつひとつに丁寧に応えるのでした。

「マサキ、あの黄色が点滅しているのは何のシグナルなのだ?」

「あれは押しボタン式と言って、歩行者がスイッチを切り替えて渡るシステムを採用しているのです。

交通量が多くない交差点などで使われていますね。」

自動的に変わる信号ではなく自分で変えるという所が気にいったのでしょうか、

フェル君がやってみたそうにしてしているので、

そのぐらいなら構わないだろうと、ボタンの使い方を説明します。

「このボタンを押して、あの信号が青になったら渡るのです。」

「これを押すのだな。」

ここでも征樹君は失念していました。フェル君の「押す」がどういうものなのかを。

はっと気づいた時には既に遅く、フェル君が押した押しボタンは見事に砕け散り、

それだけでは足りずに信号機そのものがメキメキと音を立てて折れ曲がっていくではありませんか。

へし折れた信号機のその後は、騒ぎになる前に

その場から逃亡した征樹君達には確認出来なかったのですが、

事故処理に来た統制局の関係者は目撃者の話を聞いて大混乱だったようです。
 

電車に乗るために駅にやって来た二人、征樹君の実に細かく丁寧な世話焼きのおかげで

無事に改札を突破し、ホームに降りてこられました。

どのくらい丁寧だったのかは、その辺の柱にもたれかかり、

げっそりとやつれてしまった征樹君の姿から想像して下さいませ。

征樹君が立ち直ろうと深呼吸を繰り返している間、

フェル君は不思議そうに立ち食いコーナーを見つめていました。

狭い場所でたくさんの人間が立ったままで食事をする光景は相当奇異に映ったようで、

あれは何をしているのだ?と何度も何度も質問してきます。

「仕事が忙しく食事の時間もままならないため、

電車の待合い時間を利用して手早く済ませているのです。」

「マサキもああいう食事をしたことがあるのか?」

「人間であった頃は何度かありましたよ、記者の仕事は結構ハードでしたから。

移動の合間にああやって、ソバをずるずるとすすったもので・・・」

若いOLまでもが鞄を股に挟んでずるずるやってたなあと、

ルポライター時代の事をつい懐かしく思い出して独白したのですが、

言った途端しまったと後悔していました。フェル君の目がきらりと光ったからです。

征樹君はそれだけは言わないで下さいと祈ったのですが、

生憎と「降臨者(かみ)」は地球を離れて留守でした。
 

「マサキ、私もやってみたい。」
 

・・・暗転・・・
 

している場合ではないと、根性で持ち直した征樹君、

気を失いそうになりながらも、今は女装をしているから無理ですと言いくるめて

丁度やって来た電車に天の助けとばかりに乗り込んでしまいました。

フェル君は不満げに何故この格好ではいけないのだと文句を言っていますが、

どさくさ紛れでピンクハウス美女が鞄を股に挟んで立ち食いソバをすする悪夢から

何とか逃げ延びた征樹君には応える気力はもう残っていませんでした。
 

街中を少しばかり歩いただけなのに、

すさまじく消耗してしまった征樹君、座席にへたり込んでしまいました。

・・・身体、持つかしらん・・・という呟きと共に。
 


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