お出かけですよ♪

4話 くつろぎの一時


洗顔を終えた征樹君が部屋に戻ると、フェル君は暇そうに備え付けのパンフレットをめくっていました。

「退屈でしたら、少し外出なさいますか?

この辺りでしたら、いろいろと観光名所がありますが。」

「ふむ、マサキと名所とやらを見て回るのも楽しいかも知れないが・・・、

温泉という所では、湯船につかりながら酒をたしなむという楽しみがあるのではないのか?」

「よくご存じですね。」

どうやらフェル君の見ていたパンフレットにそういう写真が載っていたようです。

「面白そうではないか、やってみたい。」

今までのパターンからフェル君がそう言い出すであろうと思っていた征樹君ですが、

このおねだりは、やらせてあげるべきか止めるべきか真剣に悩んでしまいました。

(というか、それは征樹君もやってみたいな〜とか思っていた事は内緒)

「分かりました・・・、ただし離れに備え付けの岩風呂でお願いしますよ。」

誰が来るか分からない大浴場を遠慮したあたりがぎりぎりの譲歩でしょうか。
 
 

征樹君が温泉酒を楽しめるよう手配している間に、

入浴という事でさっさとピンクハウス衣装を脱ぎ捨てたフェル君、元気良く岩風呂へ向かいます。

「滑って転んだりしないようにお気をつけ下さい。」

「私がそんな間抜けにみえるのか?」

「そのような事は・・・、ですが、万が一あなた様が転びでもして

浴槽を破壊したりしてはややこしい事になりますから・・・。」

「ここはそんなに脆い建築になっているのか?」

疑問に思ってしまったフェル君、なんと石造りの浴槽に手刀を振り下ろそうとしたのです。

血相を変えた征樹君が飛び込んできて取り押さえるのが数秒遅かったら、

考えたくもない事態が展開していた事でしょう。
 
 

フェル君が妙な気を起こして破壊活動にはしらないよう言いくるめた征樹君は一度部屋に戻り、

脱ぎ捨てられた衣装を集めてしわにならないようクロゼットにしまい込みます。

なにしろ衣装の価値などには無頓着なフェル君、

ピンクハウス衣装も平気で脱ぎっぱなして下さいますから、征樹君も大変です。

さて、征樹君が岩風呂に行くと、フェル君はぼーと湯船につかっている所でした。

露天の岩風呂に浸かるフェル君の美しい姿はまるで芸術作品のような輝きに満ちています。

思わず見とれてしまった征樹君ですが、すぐに自分の役目に立ち戻ると、

シャワーノズルを手に呼びかけました。

「アルカンフェル、こちらへどうぞ。酒の支度が整うまでに身体を浄めておいた方がよろしいでしょう。」

「うむ、その方がゆっくりと温泉酒を楽しめそうだな。」
 

丁寧にフェルくんのお世話を終えてシャワーノズルをしまった征樹君ですが、

未だにフェル君の悪戯のせいか、顔面がべたつく感じがする為、

もう一度顔を洗っておくかと洗面器に湯をためるべく、蛇口をひねりました。

「・・・あれ?」

ところがいくらひねっても湯が出てきません。

故障か、断水か、と首を傾げていると、

「・・・マサキ・・・。」

えらく低いフェル君の声が聞こえます。

何気なく顔を上げた征樹君は、そのまま凍り付きました。

そこには突然の雨に降られて濡れているフェル君の姿・・・。

先程までシャワーで使用していたノズルから湯のしぶきが降り注ぎ、

ちょうどフックの真下にいたフェル君を濡らしていたのでした。

そう、誰もが一度はやったことのあるシャワーと蛇口の切り替え忘れ。

風呂に湯を張ろうとして蛇口をひねった途端に雨に降られて憮然となった事があったっけなどと、

のどかな回想に浸る事で征樹君が現実逃避している間に、フェル君の身体が発光し始めます。

まずい、このままでは獣神変してしまうっと、我に返った征樹君、

「いけません、アルカンフェル、お忍びがばれてしまいますっ。」

こめかみの辺りに「怒」マークを浮かべたフェル君をどうにかなだめすかして

最悪の事態だけは回避する事が出来ましたが、主君のご機嫌はかなり悪そうです。

わざとじゃ無いとはいえ、頭から水なんか(正確にはお湯)かけられたのですから、無理はありませんが。

フェル君がお望みの湯船で一杯を勧めながらご機嫌回復の為汗だくの征樹君でした。

・・・疲れるために入浴してどうするんでしょうね・・・。
 
 

入浴を終えたフェル君は浴衣と丹前を着せつけてもらって何故か上機嫌です。

もしかして珍しい衣装が楽しいのだろうかと考えてしまう征樹君でしたが、

風呂での水浴びが響いて不機嫌になられるよりは良いかと、深く詮索するのは止めました。

そうこうしている内に食事の時間になったのか、仲居さんがお膳の用意を始めます。

フェル君は日本料理のお膳も珍しいのか、あれこれと料理について質問してきますが、

さすがに征樹君ではさばききれず、仲居さんに説明をしてもらいました。

仲居さんの説明をおとなしく聞いているフェル君を微笑ましく見つめていた征樹君ですが、

フェル君の丹前姿を見ている内にある事実に思い当たってしまいました。
 

この部屋の客は男女の筈なのに、いつのまにか男二人になっているではないかっ・・・と。
 

征樹君は焦りましたが、肝心の仲居さんはさすがプロというべきか、

何の動揺も示さずにフェル君の相手をしながら、支度を終えました。

その落ち着き振りに客のプライベートなので

何も言わないのだろうなと、征樹君は自分で自分を納得させたのでした。

・・・やはり、二人は知らない方が良いんでしょうね。

丹前姿のフェル君がまだ女性だと思われている事と、二人が夫婦(!!)だと思われているという事は。

でもねえ、男女がカップルで泊まりに来たら、普通は旅館の人は夫婦だと思いますよね?
 
 

さて、お食事が始まりました。ちょうど温泉酒も抜けてきたところだったので、食は進みます。

フェル君は豪華な海鮮料理をごく無造作に食していますが、征樹君は先刻からフェル君のお箸が

見事なばってん持ち(いわゆる交差箸)になっているのが気になって仕方ありません。

とはいえ、彼は箸を使うのはこれが初めてなのだから

(その割には細かい事を言わなければ、ちゃんと箸で食事できているのはさすがですよね)

あまりうるさく言わなくても良いだろうと、注意するのは我慢していたのでした。

と、主君に対して気を使いまくりの征樹君なのですが、当の主君は別の感想を持っていたようです。

「今日のマサキは・・・私に対して何か意地悪をしているのではないか?」

「私が・・・ですか?」

「私がやりたいと言った事の殆どを、駄目だ駄目だと止めているではないか。」

とうとう来たか・・・と征樹君は溜息をつきました。

「いえそれは、お忍びがばれないように、目立つ行動を控えて頂きたかったからですよ。」

「・・・それだけとは思えないのだが。」

「考えすぎです、私があなたの不利益になるような事をする筈がないでしょう。」

「それはそうなのだが、何かが怪しい・・・。」

フェル君の疑惑はもっともです。彼のおねだりを却下した理由の中には、

クロノス総帥の超越者がそんな行動をとってはイカンという征樹君の美意識の問題も絡んでいましたから。

一方、料理をつつきながら何事かを考えていたフェル君、きっと顔を上げると、

「よし、決めた。明日はマサキが何と言おうと私は思い通りの行動をとるぞっ。」

等という決意を、ばってん持ちのお箸片手に表明したのでした。

「・・・マサキ? どうしたのだ?」

フェル君、自分の発言がどういうショックを与えたのかも知らずに、のんきな問いを発しましたが、

征樹君の返事は帰ってきませんでした。

見えない岩塊に頭を直撃された征樹君は声もなく突っ伏していましたから。

並べられた鉢や皿をよけて倒れたのが、征樹君最後の根性だったようです・・・。


前へ   次へ