行市山砦

伊香郡余呉町池原


■創築年

-
■創築者  東野行市(一)
■形式 山城砦
■遺構 土塁、堀切、削平地
■別称 -
■標高  659.7m

 行市山の行市の称呼は戦国時代に、浅井氏が輩下の武将で、土地余呉の東野の土豪東野行市(一)が、この山に城砦を築いたのに由来するものと伝えられるが、詳細は定かでない。

 賤々岳の合戦のおりには、勝家軍の佐久間玄蕃盛政が布陣した。佐久間盛政が北国軍先発勢の総指揮の将であり、統卒する兵力は北国軍が布陣したとされる城郭郡からして、少なくとも一万を越えるものと推測さえれる。

 その城塞郡での別所山・山寺山・中谷山・椽谷山・林谷山・大谷山等々の砦跡は、規模に大小の違いこそあれ、標高660mを頂点とする行市山より東の方向に派生した長くそして、次第に低くなる山尾根での一つのピークに過ぎない。

 これらの城郭郡は下方の砦から上方の砦へと相互の連絡路が通じ、最終的には山頂の行市山に到達する。これらの諸砦を包含して、佐久間盛政の行市山砦を戦闘司令所としたのであろう。

 

玄蕃尾城〜行市山砦までの軍道検証