中島城は、丁野山城の主郭から見て大嶽城の方向(東)に張り出した尾根上に築かれ、先端のピークには4〜5箇所の削平地が連築されており、東の最先端には見張台が付加されている。
中島宗左衛門が守備した山城砦とされている。
先端から2つ目のピークが中島城であるが、間の谷部に土橋と大堀切及び変化して竪掘り(深さ1.6〜が斜面では約4.0m、幅は上部7.0m〜北斜面3.5m)が築かれており、丁野山城の堀切と比較して規模が大きい事から、この堀切は丁野山城全体の「総構え」に相当するものと思われる。
最頂部は土塁に囲われた10m×10mの主郭と10m×15mの付郭に分けられる。主郭の東〜南東〜北面には腰郭と土塁が見られる。
縄張りの形態は土塁囲いとし主郭を誇示しているが様にも見られるが規模的に非常に狭く、防禦の縄張りから見ても、丁野山城の二の丸的存在であったと思われる。
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