丁野山城

東浅井郡湖北町丁野


■創築年

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■創築者  -
■形式 山城
■遺構 土塁、堀切、竪掘、郭
■別称 岡山城
■標高  171m

 城域の東西に堀切を配し、尾根道、山腹から遮断する防禦策をとっている。

 主郭は南北20m東西19mの方形をなし、主郭の外側には堀を構え、更にその外側に土塁を巡らしている。(=方形単郭無土塁)一般に方形単郭式は堀の内側に土塁と平坦地をもつのが一般的であるが、この城の特徴である。丁野山城の築城方は大嶽城に告示している。

 尚、堀切は山の斜面に達した所で、竪掘に転じているのも特徴と言える。

 この城は小谷城の支城として元亀3年頃築城されたもので、それより先、浅井は織田信長と好を絶った後、姉川の戦いに敗れ、横山城を奪われ、虎御前山に向か城を築かれると言う非勢に陥った。そのため小谷城強化と虎御前山奪回の目的でこの城を築くことになった。

 以前は北約100mの日本電気硝子寮附近まで山裾が迫っていたが、北陸自動車道の工事等で削り取られ、今の姿になってしまった。