下坂寺田氏館

長浜市寺田町


■創築年

-
■創築者  寺田氏
■形式 平城
■遺構 土塁、曲輪
■別称 -
■標高  -
■面積 -

田村山の西麓で東端に前郷川が流れており、忍海神社の敷地とその北側を含む位置にある。当字は孫名を太郎助と五郎右衛門と称し、現在竹薮となっている地に少なくとも2つ以上の屋敷跡の地割が確認でき、寺田一族の屋敷が比定できる。この屋敷は宮北の北に接する南石橋にも続き、福勝寺の門徒が建てたと言う寺田支院の裏側に高さ20mの微高地があって、この付近から田村山への旧山道が残っている。尚、竹薮の途切れる北側には近世まで使用していたと言う井戸があり、忍海神社は只越社と一山社を合社したもので、天正十五年時点の只越社官主は高橋姓を名のっている。寺田氏については、佐々木南北諸士帳に寺田八郎左衛門・松本三平、淡海温故禄には寺田掃部介盛時・同善右衛門らの名が見え、善右衛門は掃部頭と称して本能寺の変で戦死したと伝える。

上記写真は竹薮内に建てられた、旧神社跡を示す石碑