法灯護持会発足に際し寄せられたお祝いの言葉 
(肩書きは平成2年10月現在)
伊吹山修験道統管 大僧正 中村 昭範
  この度、伊吹山修験道統管の重役を仰せ付かりました中村でございます。もとより、斯様な大役をお引き受けられる器ではございませんが、伊吹山復興を願う吉田師とは、同じ門葉のよしみであり、且つ吉田師の熱情に絆されて、今般この大役をお引き受けすることになりました。当初、「年寄りの力立て」の感がして自嘲いたしておりましたが、「年寄りも斯うは果てぬ」のことわざ通り、いま一度この身を仏道に捧げてがん張る覚悟でございますので、どうかよろしくご協力ご援助を給わりたいと存じます。
 さて、私の今に至る生涯を振り返ってみますると、伊吹山を差し置いて、私の人生は語れぬと云っても過言ではありません。私がこの世に生を享けた場所は、伊吹山の麓でございます。いやが応でも毎日伊吹山を見て育ちまして、言わば、伊吹山の懐に包まれて大きくなったようなことでございます。そろそろ修行でもという時期を迎え、小坊主としての修行をさせていただいたのが、谷汲山華厳寺であります。華厳寺から眺める伊吹山は故郷を想う山であるとともに、不自由な修行生活を奮い立たせる山でもありました。長い修行期間が終って故郷の寺へ戻りますと、今度は、寒行で伊吹山の裾を10数年間廻りました。ですから、私の半生は、伊吹山の表と裏と裾野であったわけでありまして、伊吹山に対する親愛度は、かなり高いと思っています。
 かつてこの伊吹山は、畿内七霊山(七高山)の一に数えられていながら、数百年の間、その名声を欠いておりました。平安時代の中頃、三修上人が伊吹山四箇寺を創始したことは、時々耳に致しますが、畿内七高山の一であることを話題にする人は、本当に少ないことであります。畿内七高山中、近江国には三山ありまして、皆様周知の比叡山と、比良山、それにこの伊吹山であります。比叡山のことは、既によくご存知のことと存じます。比良山は葛川を中心に、今でも天台修験道が活動いたしておりますが、こと伊吹山にあっては、全くその様を見ませんでした。
 畿内最良の行場が捨て去られたままになっているのを見ますと、残念でなりませんでしたが、数年前、東雲寺の住職吉田慈敬師とともに復興しようとの決意に燃え、この度、ささやかながら伊吹山修験道を復興いたしました。近頃では、霊峰伊吹山で、身心を清めようと志す若い人達が多くなりました。しかし、諸堂及び設備も首足でなく、現状では不都合ばかりが先立っておる次第であります。知識人は、21世紀は「心の時代」だと指摘されましたが、どんな素晴らしい教えも、それを実践する人と場所がなくては、それらは無きに等しいのではないでしょうか。我々は、その実践道場、つまり「心の道場」作りをし始めている現在です。どうか皆様の心暖かな援助とご協力をお順いいたしまして、ご挨拶に代えさせていただきます。      伏拝