伊吹山の修験道
・伊吹の行者たち (京都新聞平成1年5月28日により)(長浜支局滝川直明)
 湖国の最高峰・伊吹山(標高1377メートル)に、今夏登ったハイカーたちは、登山道で法衣をまとった修験僧たちを目にしたに違いない。黄色い法衣をひるがえして、駆けるように山を登り、跳ぶように下りていく姿は、映像の一シーンのようだった。5月28日入行した伊吹山修験道の行者で、ふもとから頂上まで約25Kを歩く「伊吹回峰行」に取り組んでいたのだ。伊吹山は、奈良時代にすでに修験の道場として開かれていたらしく、平安時代前期には三修上人が入山、その後、円空や槍ケ岳を開山した播隆上人も足跡を残した。伊吹山修験道は、江戸末期に途絶えたという伊吹修験の法灯を受け継ぐ天台の新法流である。東浅井郡びわ町川道、東雲寺住職、吉田慈敬師(37)が再輿を手がけ、今回、復活した。伊吹回峰行のほか、不眠不臥(が)の座禅を組む「常座三昧(さんまい)」などの修行を総称して伊吹禅定という。復活1年目の今年は、三人の天台僧が挑戦、9月12日、みごとに満行を果たした。百八日間である。入行前の取材に対し、佐々木清印師(54)らは「ただ、修行できることに感謝している」と語った。七十五日、百八日を通して登山道を登り下りする回峰行は、長距離ランナーの猛練習に匹敵するはずだ。これが「動の行」なら、昼夜黙想を続ける常座三昧は「静の行」といえるだろう。いずれも精神、肉体を限界近くまで酷使するハードなものだ。こんな難行苦行に挑む希望者が来年もあるという。仏教の門外漢の記者にとって、修験者たちの語る言葉と行動は強く印象に残り、感動的であった。「心の時代」ということがよく言われる。モノが豊かで、しかも多忙の毎日。日本人もようやく心の問題に目を向けはじめてきたのだろう。雄大な伊吹山の自然と修験、問題を解くカギがありそうな気がする。
    

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