太古より食物や原材料の供給源だった湿地
人類の歴史の始まりから,暮らしを支えるために人々は湿地に向かってきた.
太古の昔より人々は広範な湿地の動植物にその生存を頼ってきた.食物,燃料,隠れ家の原材料,衣服,装飾品,その他の個人的財産など.スペインのトラルバ沼沢地からはゾウの骨が,ドイツのショニンゲンからは木製の長い槍が見つかり,前期旧石器時代からわれわれの遠い祖先がすでに湿地で狩猟していたという劇的な形跡を提供している.タンガニィカ湖のカラムボ滝では,木や植物遺体が状態良く留められており,太古の人々が湿地から植物のたべものや他の資源も集めていたことが思い起こされる.
最後の氷河期が終わってすぐに,人々の湿地資源の利用が高まったことが日本の考古学的遺跡からわかる.ラムサール条約登録湿地のひとつ琵琶湖にある粟津遺跡(大津市)は貝類を中心とする貝塚であるが,ヒシ類やコイ科魚類,ナマズ科魚類,亀類,カモ類などの形跡も出土し,これらの湿地生物が人々の食物の重要な部分をなしていたことが示される.
北米や欧州北部の遺跡でもおおよそ同じ時期に人々が漁業をしていたことが示される.北米大陸の北西部に位置するホコ川(米国ワシントン州)では3千年前の釣り針が近年の発掘により見つかった.釣り針は木製で曲げてつくったものとまっすぐな2本を縛り付けたものとがあり,考古学研究者と地元先住民のマカの長老たちが実際に試したところ,曲げた釣り針はマダラ Gadus macrocephalus を,縛り付けた型の釣り針はカレイ目魚類を釣るのに適していることがわかった.ドイツのフリーザックでは網が用いられていたし,エストニアのクンダではカワカマス科魚類の骨格にやすやもりの骨でできた先端部がささったままのものがふたつ見つかった.ロシア北西連邦管区プスコフ州のウスビャティでは,ヒシ類や,コイ科,カワカマス科,ザンダー(スズキ目ペルカ科),ブリームなどの魚類といった粟津遺跡を思い出すような形跡が出土した.
古代より湿地の鳥類は人々の食物として狩猟されてきた.網や弓矢,訓練した猫や猛禽類など多くの種類の技術がそのために用いられてきた.エスナの寺院の浅浮き彫りには,古代エジプト第5王朝の時代から手の込んだ狩猟方法が描かれている.すなわち,ガチョウを飼いならして囮りに用いたり,粘土と羽毛でこしらえたデコイを用いたりして,ハンターが隠れた場所に渡り鳥をおびき寄せる方法である.ずっと近年になると,レクリエーションとしての狩猟が特に先進国でポピュラーになり,その結果,狩猟を持続可能なものにし,また湿地生態系を維持する必要性についての懸念を導いている.これまでもしばしば狩猟者団体が,野生の鳥類個体群と彼らが生息する湿地環境を維持しようとする活動への援助を実施している.
湿地はまた太古から農耕に用いられてきた.特に熱帯から亜熱帯地域で,持続可能な農耕であったことが,常にとはいえないが,もちろんしばしばである.中米のベリーズからグアテマラにかけて,マヤの人々はおよそ3千年前に湿地土壌を排水して耕作していた.パプアニューギニアでは,ハイランド地方のワーギ川沿いの調査研究によってさらに古い形跡が見つかった.それは,9千年前に種々の作物を育てるために溝や堤を構築した庭園大の耕作システムで,このシステムはのちの約2千年前に湿地性のタロイモ生産に集約されるように改良されていた.日本では少なくとも2500年前に野生の食物資源に加えて湿地での耕作による食物を利用していた.すなわち沼沢地に溝を掘り,木を用いて堰や堤を築いて水田を開いた.中世の欧州では,草食家畜を放牧したり牧草生産のために湿地から部分的に排水したところがたくさん見られ,そのうち塩生湿地では排水によって肝臓に寄生する吸虫類に羊が侵されずに放牧できるようになった.
そのほか湿地から得られる原材料として粘土や泥炭がある.これらは湿潤条件および浸水条件下で蓄積される.チェコ共和国のドルニ・ベストニツェで,2万5千年から3万年前に焼かれた小さな粘土製人形が見つかっている.欧州で泥炭を掘り出して乾かし燃料として用いたのは3千年前からであり,イングランド東部の低層湿原では,例えば泥炭や塩水に浸した葦や藺草を燃やして製塩が行なわれた.塩自体ももうひとつの湿地資源である.
湿地植物の多くも価値のある資源である.特に淡水湿地の葦や藺草のなかまの多くの種は世界中で利用されてきた長い歴史を持つ.現代までつづく舟や筏の材料として,例えばチグリス−ユーフラテス湿地ではヨシ属が,南米アンデスではトトラ[カヤツリグサ科]が,そしてアフリカではパピルス[カヤツリグサ科]が利用されてきた.
湿地の動物も人々の食物となるだけでなく原材料も提供してきた.欧州や北米のビーバーはたとえば,食物としてだけでなく,毛皮や,臭腺から分泌されるアスピリンに似た鎮痙剤カストリウム(海狸香),鑿の刃にその鋭い切歯を得ようと狩猟されてきた.湿地の動物が慣習に用いる材料を提供することもある.たとえば,コペンハーゲン近くの海のかつての入り江に位置するベズベクで見つかった約6千年前の埋葬地で,母親の脇に弔われた赤子の下にハクチョウの翼が敷かれていた.
世界中でそして人類の歴史が始まって以来,暮らしを支えるために人々は湿地に向かってきた.このような湿地への依存が今日でも続いているということを忘れないようにすることが大切である.十億の人々が現在その主要なタンパク源として魚類に依存している.その大多数は海洋性魚類であるが,それらの3分の2のものはその生活環の一部で沿岸域湿地に依存している.また世界中で三十億の人々が湿地の作物である米を主食としている.