「ヨーロッパの闇の帝王」の部下と名乗る男達に伴われて、ビリー・カーンはイギリスからドイツへと飛んだ。
正直を言うと飛行機はあまり好きではない。「あんな重い物が飛ぶ訳が無い」などと子どもじみた屁理屈をこねたりはしないが、狭い機内の一つ所にじっとしているのが苦手なのだ。大企業のトップの護衛という仕事柄、飛行機に乗る機会はやたらと多かったし、座る席も最上級だったのだが、移動するのに贅沢をするという事自体後ろめたい気がする。搭乗の際に棒を取り上げられてしまうのも何やら心もとない。海を渡るなら船、陸を行くなら汽車で充分だと思うのだが、結局のところ金で時間を買っているようなものなのだろう。
飛行機を乗り継ぎ、車をとばして、国境付近の山林地帯に近づく。
森の中にそびえ立つ古城が目に入ってきた。まるでおとぎばなしのようだ。
広大な敷地を通り抜け、城の門の前に止まった。出てきたのは絵に描いたような老執事であった。馬鹿丁寧に頭を下げ、城の中を案内する。壮麗な石造りの城の中には華麗な装飾を施した調度品があちこちに置かれている。回廊に飾られている幾枚もの巨大な絵画は代々の当主の肖像画であろう。
異世界に迷い込んだような感覚を覚えながら進んでいたビリーは、きらびやかな部屋に通された。
マントを身に纏った長身の男が立っていた。
「シュトロハイム家当主ヴォルフガング・クラウザー様でございます」 老執事はビリーに小声で告げると
「ビリー・カーン様をお連れしました」
と主人に告げた。
6フィート半はありそうな堂々たる偉丈夫である。いかにもゲルマン人らしい彫りの深い顔立ちに口髭をたくわえている。色素の薄い髪は豊かに波打っている。額に浮き上がる十字の傷跡が目を引く。その全身からビリーの亡き主人とは異なる種類の威圧感を発している。
あの方は空気が張り詰めるような緊張感を周囲に与えた。
この男は人の上に立つ事に慣れ親しんだ、鷹揚とした威厳を纏っている。
クラウザーはあたかも玉座のようにしつらえられた椅子におもむろに腰をかけ、低い豊かな響きの声を発した。
「ビリー・カーンだな。遠路ご苦労だった」
ビリーは黙ったまま、かすかにうなずいてみせた。
クラウザーは老執事に声をかけた。
「客人の部屋の用意を」
執事が退室し、部屋の中でクラウザーとビリーは一対一で向き合う形となっていた。
「さて、ヘル・カーン。君にいささか尋ねたい事がある。君のかつての主人の所有していた秘伝書の現在の在処を知っているかね?」
「ヒデンショ?」
ビリーはオウム返しに訊ねた。
「君の主人、ギース・ハワードはある巻物を持っていたはずだ」
「さ…あ。覚えがねえなあ」
ビリーの答にクラウザーは目を細めた。獅子を思わせる風貌がやや険しくなる。
「我々の調べたところでは、古より伝わる秦の秘伝書三巻のうち一巻をサウスタウンの主が手に入れた事になっているのだよ。知らないはずはないと思うがね」
「ジンの秘伝書…」
ビリーは己の記憶を溯ったが、その様な物をギースが持っているところを見た覚えはなかった。
が、不意に昔聞いた噂話を思い出した。ギースが同門のジェフ・ボガードを殺害した時に、ジェフに継承されるはずであった八極正拳の奥義書を奪ったというものである。それが事実だとすればビリーがギースの配下となる以前の話である。
「残念だが、そんな巻きモンがあったとしてもオレは拝んだ事がねえ。そんなンはオレよりもコネクションに残ってる秘書の連中に訊いたほうが良いんじゃねえか」
「そうしようとは思ったのだがね」
クラウザーはかすかに眉根を寄せた。
「先日私の部下をサウスタウンに派遣したのだが、コネクションのセントラル・ビルは放棄されていて、もぬけの殻だったそうだ」
「…なんだって!?」
ビリーの脳裏に出国前に会ったリッパーの疲労した様子が浮かんだ。彼は表向きの業務だけでも継続しなければならない、と言っていたはずである。
「まさか…そんなはずはねえだろう」
クラウザーは明らかに顔色の変わったビリーを静かに眺め、ゆっくり首を振った。
「嵐が通過した後のような荒れた状態で、何も残されていなかったそうだよ。組織のブレーンは雲隠れし、系列の会社もほとんど他所の企業に吸収されているらしい。気の毒だが、君の帰る場所はもう無いようだ」
「誰も帰ろうなんて思っちゃいない」
館の当主の顔を睨んで言い切ってから、ビリーは視線を落とした。
再び顔を上げた時、皮肉めいた挑戦的な笑みが浮かんでいた。
「残念だがあんたの目論見は当てが外れたらしいな。オレはお役に立てなかったようだから、これでお暇させてもらうぜ」
「待て」
「ん?まさか口封じをしようってんじゃないだろうな。そうは問屋が卸さねえぜ」
シュトロハイム家当主はフッと笑った。
「まあそう焦るな。君に対する用件はこれからが本題なのだ」
「キング・オブ・ファイターズに出ろって奴かい?」
ビリーは首を反らせ片頬を歪めながら言った。
この態度と口調だけで腹を立てる人間も多いのだが、クラウザーは気にかける様子もなく鷹揚に肯いてみせた。
「私の開催するキング・オブ・ファイターズは一地方都市の野試合ではない。世界中から選り抜きの格闘家を招待し、世界各地を舞台に試合を行う。その様子は全世界に向けて、マスコミを通じ流す予定だ」
ヒュウ、とビリーは口笛を吹いた。
「ずいぶんと大掛りなモンだ」
「現在キング・オブ・ファイターズのタイトル保持者を名乗っている人物にも敬意を表して参加願うつもりだ。そこでぜひ君に彼と闘って欲しいのだ」
「あんた…何を企んでいる?わざわざそんな派手なことをしてどうするつもりだ」
「フフ…気まぐれの所為だと言ったら怒るかね?…なに、そろそろ世界中の人々に我がシュトロハイム家がどれほどの力を持っているか知らしめてもよいと思ってな。そのためには優勝者は我が配下である必要があるが」
「ふん、まあいいや。あいつらとまたヤレるっていうんなら願っても無いことだ。あんたの傘下に入らせてもらうぜ」
「お待ち下さい」
突然声が響いた。
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