クラウザーの配下になったからといって、彼の護衛をするわけでもない。シュトロハイム家当主の周りには何人もの使用人が常にかしずいていたし、ローレンス・ブラッドだけでなく他にも名の知れた格闘家が控えていた。ビリーは城の中の一室を与えられ、身の回りの世話をする人間まで一人付けられたが、三日後には近くの町に宿を探した。城暮らしというものはどうにも落ち着かなかったし、自分の世話は一通り自分で出来るからだ。クラウザーは至極あっさりと許可した。ビリーはシュトロハイム城に通い、やたらと設備の整ったジムでトレーニングする他に取り立ててすることもない日々を送っていた。「じきに忙しくなる」とは言われていたが。
その日、夕闇の忍び寄りつつある町を歩いていたビリーは声をかけられた。
「ビリー・カーンか?」
腕に入れ墨をいれたスキンヘッドの青年。
このような鄙びた町であっても、はみ出した若者というものは存在し、横路にたむろしている。彼らにとって、よそ者であり常に剣呑な空気をまとったビリーは目障りな存在らしく、今までも時折ちょっかいを出してきていた。もっとも相手にはしなかったが。
「何か用か」
「あんたにアメリカでひどく『世話』になったという人がいる。『お礼』がしたいということで、俺たちは頼まれた。付き合ってくれ」
下手な英語で話しかける。
「ここじゃ話もできないからな、ついてきてくれ」
…昔の落とし前って訳か。
心当たりは星の数ほどある。
「All right」
危険の中に敢えて自ら飛び込むような行為をビリーは選択した。売られた喧嘩は買うに越した事はない。
町はずれにある倉庫のような場所に連れて行かれた。
中には若い男たちが7…8人。染めた髪を逆立てているものやら、スキンヘッドのものやら…見覚えのある顔もちらほらある。手に手にナイフやら鉄パイプやらを握っている。
ざっと見渡し、とりあえず銃を構えている奴がいないことを確認する。 単に殺したいのなら、こんなややこしいことをせずに背後から銃で撃てばいい。鉛玉一発。安いものだ。よってたかって袋叩きにし、半殺しにしたところを依頼主に献上するつもりなのだろう。
ビリーはそっと腰に手をやった。そこには今日出来上がったばかりの、特別あつらえの得物がねじ込まれていた。
「あんたに直接恨みはないが、あんたに借りた借りを返したい、って人がいるんでね。まあ人助けだ。悪いが、自業自得と思ってあきらめな」
男たちがビリーを取り囲む。
「せっかくだが善行を積むってわけにはいかないぜ。天国は遠いまんまだ。もっともオレはあんたらに感謝するがね」
腰から三つに折り畳まれた棍を取り出し、ジャキリと一本の棒に伸ばす。
「さっそくこいつを試す機会をくれてな!」
朱に塗られた棍を回す。今までの得物に比べてやや重いが、小気味よく風を切る。
手ぶらだと思っていた相手が突然武器を取り出したのに男たちは一瞬怯んだが、数を恃んでか直ぐに襲いかかった。
体の横を掠めるナイフを棍の先で跳ね上げ、ビリーは相手のこめかみをしたたかに打った。男の体がもんどりうって転がる。棍をもう一振りすれば、新たに悲鳴が上がる。ナイフでは不利と気付いた男たちは、鉄パイプをかざして二方向から飛びかかったが、意味はなかった。瞬く間に4人の男が倒れ伏し、人数が半分になった。
「オレを本気でやろうと思えば、もう3ダースは必要だぜ」
ビリーは挑発的に笑って見せた。
…まったく、こんな連中にやらせるとは、オレもよっぽど腑抜けたと思われたらしいな。…まあ、あながち外れた考えでもなかったわけだが、遅かったな。
「う、わわわ…」
一人が震えながらピストルを抜き出した。
ビリーは舌打ちをする。
男は獣のような声を上げながら引き金を引いた。が、信じられないものを目にした。ビリーは棍を眼前にかざして銃丸を跳ね返し、そのまま突いてきたのだ。
次の瞬間に男は悶絶した。
「ちっ、せっかくの新品に傷がついちまった」
ビリーは棍をさすった。
その間に残りの男たちは訳の分からない悲鳴を上げながら逃げ出した。 「ふう…」
トントンと棍で肩を叩きながら倉庫の奥に目をやった。
「こいつらに依頼した奴!そこにいるンだろ?隠れてないで出てきたらどうだ!」
「あいかわらずの腕だな」
物陰からダークスーツにサングラスをかけた人影が二つ現われた。一人は口髭を生やして帽子をかぶり、一人はスキン・ヘッドである。
「ホッパー、リッパー、あんたらが仕掛けたのか!」
「悪かったな、お前さんを呼び出そうと思うと、これが一番確実だからな」
「ハワード・コネクションは壊滅状態だっていうじゃないか!いったいこんなとこで何をしてるんだ!」
「組織を離れた男に言われたくは…」
言いかけるホッパーをリッパーが制した。
「セントラル・ビルの運営を凍結しただけだ。なまじ動いていると情報の保持などに手がかかる」
「だが、系列会社が他所に買収されてるって話だぜ!」
「ずいぶん詳しく知ってるじゃないか」
リッパーの声に皮肉めいた調子が混じる。
「それはカムフラージュだ。買収にかかってるのは皆ダミー会社で実際はコネクションの手の内だ」
「そうか…」
ビリーの心底ほっとしたような表情を二人は冷たく見つめていた。
「クラウザーの部下になったそうじゃないか。お前は知らなかったかもしれないが、クラウザーはギース様の宿敵に当たる人物だ。そんな奴の下につくとはな」
ホッパーの非難の声にビリーは軽く肩をすくめた。
「知っていたさ」
「ほう?ますますあきれたもんだ」
「クラウザーの部下にも節操が無いと言われたよ。まあ、なんといわれても構わねえ。キング・オブ・ファイターズを開いてボガード兄弟とやらせてくれるっていうんだ。あの胸くそ悪い奴等に吠え面かかせてやるためにゃ、犬にだろうとなんだろうとなってやるぜ」
「私とお前自身のプライドの仇をとるためにか」
不意に声が響いた。
車椅子に腰を下ろし、体中に包帯を巻きつけた人の姿。
苛烈なほどの強い光を宿した蒼い瞳は、間違いなくギース・ハワードその人のものであった。
「ギース…さま…?」
ふらり、と足が動きその男に向かう。
かすれた声が我知らず喉から漏れる。
「生きて…らしたんですか…ギース様…?」
男は黙っている。
そばに歩み寄る。
見間違えるはずがない。
「ギース様…」
膝の力が抜け、その場に跪く。
「よかった、ギース様…」
体中ががくがくと震える。
ばたっと音を立てて膝が濡れるまで自分が泣いている事に気がつかなかった。
「ギース様…ギース様…」
あの宿命の瞬間に、病室に、葬儀の場に居合わせる事が出来ず、流す時を得なかった涙が堰を切ってあふれ出た。
体を震わせながら嗚咽を漏らすビリーの姿を、ギースは幽かな微笑を浮かべながら、リッパーとホッパーは戸惑いの色を浮かべながら見つめていた。
ようやく顔を上げたビリーにギースは声をかけた。
「心配をかけたようだな」
ビリーは赤面した。
こんな場合「誰があんたの心配なんかするものか」と突っ張ってみせるのが本来の彼の流儀である。だが、今しがた幼子のように己をさらけ出してしまったからには説得力の無い事おびただしい。
ふと思いつき、ビリーは二人組に牙を剥いた。
「だいたい、なんだってギース様が生きてらしたことをずっと黙ってたんだ!」
ギースは薄く笑みを浮かべる。
「まあ、怒るな。彼らにも理由がある」
「…一命をとりとめたとはいえ、危篤状態だったギース様をお守りするには、かえって亡くなったと思わせておいたほうが好都合だったのだ」
「敵を騙すにはまず味方からといってな、ギース様の側近がうろたえていれば誰しもその死を信じるだろう。実際見事な効果だったようだ」
「そもそもお前さんに事実を隠し通せるような演技力を期待してもいいのか」
かわるがわるの言葉にビリーはチッと舌打ちした。
至極もっともなだけに腹立たしい。
「ところで、クラウザーの部下になったそうだな」
ビリーはさっと顔に闘気を漲らせた。
「ギース様が生きてたとなりゃ、今すぐ取って返してクラウザーの野郎の喉を突き破ってやりますよ」
「いや、その必要はない」
気勢を殺がれた形になりビリーはぽかんとした。
「ビリー、お前にはそのままクラウザーの元に戻り、奴の動きを調べて欲しい」
ビリーの眼が再び輝いた。
「クラウザーとはいずれ近いうちに決着をつけなければならなかった。私が死んだとされている今、奴等は完全に油断しているだろう。これは願っても無い機会だ。あの…忌々しい戦いは私から多くのものを奪ったが、私が真に必要とするものを知らしめてくれた。ボガードらには感謝せねばならぬかもしれん。もっとも…」
ギースの眼光が凄みを帯びた。
「彼らには後で必ず借りを返してみせるがな」
「ギース様」
ホッパーが口火を切った。
「やはり私は賛成できません。ビリーがこのまま我々を裏切らないとどうして言い切れますか。私は信用できません」
「仮にビリーが裏切らないとしましょう。闇の帝王を相手にしてビリーが騙しきれるでしょうか」
やや抑えた調子でリッパーが続けた。
秘書達の言葉を黙って聞いていたギースは、自分の前に跪くビリーの顔を正面から見据えた。
「出来るな、ビリー」
それは質問ではなく確認だった。
回答も簡潔を極めた。
「Yes, Boss」
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