あれから二日。
ルードビッヒ様は昏睡状態のままだった。
その間我々はただぼんやりとしていた訳ではなかった。これまでネクライムの一員というより、ルードビッヒ様の部下として築いてきた様々なコネクションを利用して、自分たちの身を潜める拠点を設け、あちこちに散っていた隠し資金などもかき集め、当面困らないだけの必要物資も用意した。
診療所には交代で詰めた。ただ、ミレーヌはずっとルードビッヒ様の枕元を離れようとしなかったので、好きにさせておいたのだが…。
俺が診療所を訪れ、奥へ入ろうとすると、ベアがその太い腕にミレーヌを抱えて出てくるのに出くわした。
「どうした、ベア」
「いや、ミレーヌが眠ってしまったからな。横にさせようと思って」
無理もない。重い火傷を負いながら、飲まず食わずで二日間ルードビッヒ様につききりだったのだから。
ベアはミレーヌをベッドに寝かせ、不器用な手つきで毛布を掛けた。
「ルードビッヒ様の具合は?」
「お変わりない」
「そうか」
「後は頼むぞ、ウルフ」
奥に入ると、親父さんが酸素吸入器の調節をしていた。親父さんは不機嫌そのものといった顔でこちらをじろりとにらんだ。我々が押し掛けてから実質休業状態だから仕方ない。
「脈拍と血圧はとりあえず安定しとるが、まだ気は抜けんぞ」
言い残して部屋を出てゆく。
俺は枕元に椅子を引き寄せて座った。
何十年使っているかわからない骨董品のような医療器具によってルードビッヒ様は命を繋ぎとめられていた。
腕を伸ばせば触れられる距離に横たわりながら、今どこにいらっしゃるのだろう、とふとそんな思いにとらわれる。
…もっともそれは今に始まったことではない。
フューラーの替わりに国際的犯罪組織ネクライムのトップの座に着いたあの方の背をすぐ側に見ながら、ひどく遠く感じられたのは俺だけだったろうか。あの方の目に何が映っていたのか、我々にはわからなかった。
いや、それは我らが斟酌することではない。
常に傍らに控え、あの方の言葉通りに動く。それが我らの務めなのだ。
初めて出会った頃から変わらずに。
あの方が常に口にしていた「悪の美学」とはどのようなものなのか、俺のような俗人にわかるはずもない。
ただ、我々はあの方が描こうとする壮大な絵のキャンバスの下地を整える役割に誇りを抱いていた。
常に影と従い手足として動く我々のことを、あの方が特にとりたてて意識にのぼらせることもなかっただろうが、まれにねぎらいの言葉を掛けられれば、この無骨な骨と筋肉の間に血が通っていることを実感できるのだった。
ふと、ルードビッヒ様が身じろぎしたようだった。
「…ジョセフィーヌ…」
酸素吸入器をつけているはずなのに、その声ははっきりと俺の耳に届いた。
ゆっくりと目が開かれた。
やがてルードビッヒ様はゆるやかに首を巡らせた。
俺の方に顔を向け、止まる。
その蒼い瞳に徐々に光が戻ってくる。
「ルードビッヒ様…」
俺は抑えた声で呼びかけた。
ルードビッヒ様はまばたきをし、口元を動かしたが、よく聞き取れなかった。
「ルードビッヒ様」
俺はもう一度呼びかける。
「…ウルフか…」
今度はくぐもった声が俺の耳に届いた。
俺は思わず下唇を噛んだ。体中を震えが駆け抜ける。
「ルードビッヒ…」
不意に頭の上から声が降ってきた。
振り返るとミレーヌが立っていた。
「ルードビッヒ、ごめんなさい…」
それはいつも通りの落ち着いたハスキーな声だった。
「もう二度と…あなたを裏切らないわ…」
ルードビッヒ様はわずかに目を細めた。
「…そうか…」
「ええ…」
ミレーヌの切れ長な目から涙が流れ出した。
俺はそっと立ち上がり、部屋を出た。