ライト・スタッフ

《1》

 ジャリ…
 足の下の砂を鳴らしながら、その異形はゆっくりと振り返った。
 感情の読めない獣の眼で、彼女、小沢澄子を見つめる。
 足元に転がるG3−Xを踏み越えて異形の怪人は小沢に向かって近付く。
 後退りしようとして、倒れている警官に蹴つまずいた小沢は、その場に尻餅をついた。
 獣の顔をした怪人は、手にした鎌を振り上げた。
 思わず目を閉じる。
 が、鈍い音は聞こえたものの、覚悟した衝撃は襲わず、小沢はそっと目を開いた。
 前一面に広がっていたのは、ダークブルーの布地だった。



 都内某所で通常の刃物ではありえないような、あまりにも鋭い切り口の傷を無数に刻みつけた死体が発見された。
 通常犯罪の枠を越えた手口から、警察はアンノウンの仕業と判断し、犠牲者の近親者に護衛を付けた。
 そして、予想通り彼らの前に犬頭のアンノウンが顕れ、警官達を蹴散らしたのだった。駆けつけたG3−Xユニットであったが、アンノウンの放つ攻撃は信じられないほどあっけなくG3−Xの装甲を切り刻んでいった。
 「氷川くん!」
 トレーラーの中でオペレーションに従事していた小沢たちの叫びもむなしく、G3−Xは戦闘不能状態に陥った。
 アンノウンとの戦闘が発生するたびにどこからかあらわれる、アギトと仮称している謎の生命体がまたもや乱入してこなければ、G3−Xの装着員、氷川誠の命は危ぶまれただろう。
 謎の生命体とアンノウンがもつれ合うようにして移動し、その場には動かなくなったG3−Xと呆然とへたり込んでいる警護対象が残された。
 「氷川くん、大丈夫?」
 小沢はトレーラーを飛び出し、氷川に駆け寄ろうとした。
 その時、陽炎のようにもう一つ異形の姿が顕れた。
 (しまった。一度に複数のアンノウンがあらわれる可能性は知っていたのに)
 思わず立ち止まる小沢の視線の先で、アンノウンはG3−Xに向かって鎌を振り上げた。
 とっさに小沢は足元に転がる、自分の頭ほどの瓦礫を両手で持ち上げ、怪人に向かって投げつけた。がっと鈍い音がして、瓦礫はその背に当たり、地に落ちた。
 アンノウンはゆっくりと振り返った。
 感情の読めない獣の眼で、小沢を見つめる。
 足元に転がるG3−Xを踏み越えて異形の怪人は小沢に向かって近付く。
 後退りしようとして、倒れている警官に蹴つまずいた小沢は、その場に尻餅をついた。
 獣の顔をした怪人は、手にした鎌を振り上げた。
 思わず目を閉じる。
 が、鈍い音は聞こえたものの、覚悟した衝撃は襲わず、小沢はそっと目を開いた。
 前一面に広がっていたのは、ダークブルーの布地だった。
 「え、な、なに!?」
 「…馬鹿!なに惚けているんです!」
 聞き慣れた声が頭の上から降ってきた。
 「北條透!?」
 視界をふさいでいるのが捜査一課の北條の背中だと気付いた小沢は大声を上げた。
 次の瞬間、バンという銃声とともに衝撃が伝わり、北條の身体が小沢にのしかかってきた。
 「ちょ…なにすんのよ…!」
 小沢が細い腕で押し退けると、意外なほど容易く北條の身体は動き、そのまま前にのめった。
 「…北條くん?」
 思わず抱き留めようとした手がぬるりとする。
 身体を二つ折りにしてうずくまる北條は低いうめき声を上げていた。
 小沢は自分の手の平が赤い液体にまみれているのを見て取った。
 「北條透…?」
 男の身体をゆする。
 「…わたしは、もう、にど、と、に…」
 男の口から切れ切れに言葉が漏れた。
 拳銃を手にした両腕が持ち上げられかけて、はたりと落ちる。
 「北條くん!北條くん!」
 声を上げる小沢の頭上に、アンノウンの鎌が振りかざされた。



 「あの馬鹿男の顔を見ずにすんで、本当にせいせいするわね」
 警視庁の磨き抜かれた廊下を歩きながら、小沢澄子はよく通る声で言った。
 あの直後、意識を取り戻した氷川がアンノウンに向けて発砲し、アンノウンはその場から逃走した。後から入った連絡によれば、アンノウンは2体とも、アギトによって倒されたという。氷川と北條は警察病院に搬入され、氷川は即日退院となったのだが…。
 「うるさい奴がいなくて、ほっとするわ」
 さばさばとした調子で話しながら颯爽と前を歩く小沢に、G3−Xシステムオペレーターの尾室隆弘は恐る恐る口にする。
 「あの、仮にも命の恩人ですよ…?」
 「誰も助けてくれなんて頼んだ覚えはないわよ!?」
 小沢は足を止め、きっと振り向いた。
 「どうせ、貸しを作ったつもりで、これをネタにいつまでもネチネチと恩着せがましくからんでくるのにきまってるんだから、あいつは」
 小沢の剣幕に引き気味になりながらも、尾室は言葉を続けた。
 「あの…でも、北條さんかなりの重傷で、まだ意識が戻らないそうですよ」
 「あ、そう」
 小沢は興味のかけらもないというふうに答える。
 「だいたい、あの馬鹿男、木のウロに突っ込まれても、ガードレールで簀巻きにされても、自動車をぶつけられても、怪我らしい怪我もしなかったじゃない。今度だってどうせ大したことないわよ」
 小沢は再び歩きはじめた。
 「小沢さん」
 今度は氷川誠が呼び止めた。
 「何よ」
 「北條さんの怪我の具合、見たでしょう」
 それだけ言うと真っ直ぐ小沢を見つめる。その目は“心配じゃないんですか”と語っていた。
 「あの馬鹿男、悪運だけは強いんだから。心配するだけ無駄よ、無駄。さ、やらなきゃならないことは山積みなんだから、行くわよ」
 さっさと前を行く小沢の小柄な背中を見ながら、尾室と氷川は顔を見合わせ肩をすくめあった。

 その日の終業後、小沢は警察病院を訪れた。受付で訊ねると北條は意識は戻らないものの、様態は安定してきたのでICUから通常の個室に移されたという。
 そのまま帰ろうかとも思ったが、一応病室の前まで行ってみると、廊下の長椅子にひょろりとした人影が座っていた。
 「やあ、小沢さん」
 小沢の姿を認め、やわらかく声をかけてきたのは捜査一課の河野だった。
 「こんばんは、河野さん」
 小沢も会釈する。
 「北條の様子を見に来てくれたのかい、すまないね」
 「い、いえ、まあ…」
 小沢にしては珍しく口ごもる。
 「今度の怪我はちょっと重かったらしくてな、さすがのあいつもまだ起きられないようだが、とりあえずは大丈夫らしい」
 「そうですか」
 「でも、よく来てくれたなあ」
 「え」
 河野は少し寂しそうに笑った。
 「アンノウンと関わるようになってから、これで何回目の病院送りかわからんからな。最近じゃ捜査一課の連中も見舞いに来なくなっちまった。今度も俺以外に来てくれたのは氷川くんだけだったよ」
 「…氷川くんが…」
 小沢は口の中で呟いた。
 「まあ、あいつの日頃の人付き合いの悪さがいけないんだがな。自業自得ってやつだが…あいつもあいつなりに一所懸命なんだけどな」
 小沢は何も言えなかった。
 「しかし、小沢さんが来てくれるとは思わなかったよ。ありがとうな」
 河野は糸のように目を細め、いかにも嬉しそうに口にした。
 北條と小沢が『天敵』同士だということは、捜査一課でも知れ渡っているのだろう。
 「いえ、今回、北條くんには助けられましたから」
 小沢の口調はひどく事務的であったが、河野は変わらず嬉しげにうなずいた。
 「そろそろ失礼します」
 「ああ」
 「河野さんはまだお帰りにならないんですか」
 「俺はもう少しだけいるわ。じゃあ気をつけてな」
 小沢は足早にその場を立ち去った。

 「氷川くん、あの馬鹿の見舞いに行ったんだって?」
 次の朝、氷川と顔を合わせるなり、小沢は詰問口調で切り出した。
 「あんな、同僚からも見捨てられてる奴、放っておけばいいのよ」
 氷川は小沢を見下ろし、ふんわりと笑った。
 「小沢さんも病院に行ったんですね」
 小沢はずば抜けて背の高い青年の顔をきりりと見上げた。
 「私のことは関係ないでしょ。しょうがないのよ、私にも立場ってものがあるから。でも君は必要ないでしょ。さんざん嫌味言われた相手に」
 「小沢さん…」
 氷川は小沢を真っ直ぐに見つめた。
 「なに」
 「僕は北條さんのこと、嫌いじゃないですよ」
 「ちょっと、なに冗談いってるの」
 だが、氷川の声は落ち着いていた。
 「確かに会うたびにいろいろと言われましたけど、あの人の言うことはそれほど大きく間違ってはいないと思いますよ。そりゃあ、賄賂代わりにG3装着員の座を手に入れたなんてことは絶対ないけれど、僕がなにかと力不足だったことは事実なんです。それに…いきなりG3の装着員に抜擢されて自分でも実感が湧かなくて、正直いってはじめの頃は、その重大さや責任についてはっきり認識していたとはいえません。でも、北條さんがあれだけG3にこだわる姿を見て、いやでも自覚させられました」
 小沢は人並み以上に大きな目をことさら見開いた。
 「バッカじゃない!?あれだけ嫌味言われて、さんざん嫌がらせされて、そんなこと言うわけ?君、マゾじゃないの!?」
 小沢の投げつけた言葉に、どこか曖昧な笑顔を返す氷川だった。
 「おはようございまー…す…?」
 尾室はその場に張り詰めた空気に戸惑った。
 「おはよ、尾室くん!」
 明らかに不機嫌な声を返す小沢に、尾室は不審げに氷川を見上げた。氷川はわずかに微笑みながら、軽く吐息をついた。



 その日の午後、北條の意識が回復したという情報が入った。


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