(六)

 

高木は今回の訴訟の説明を改めて京子にしたことがなかった、彼女も今まで聞こうともしてい
ない、しかしいつも高木の傍近くで仕事をしていると、詳しくは分からなくても何となく流れは分
かる。

今日のように法廷で傍聴をし、また菊池との遣り取りを聞いていれば凡そのことは理解出来た
ようだ。

「あなた何処かへ食事に行きましょうか」

突然京子が「あなた」と言ったので驚いて彼女の顔を見た。

「どうしたんや」

「何がです?」

「いや、ええ」

京子があなたと言ったのはいつ以来だろう、

町子と所帯を持つまでは彼女も二人だけになるといつもあなたと言っていた、無論会社の中で
ほかの社員がいる時は言ったことはない。

「事務所へ戻らなあかんのやろ」

「あなたはいかがですか」

「俺は別にええけど」

「私も、戻っても何もありません」

二人とも昼に出て来る時にバッグもコートも持って来ている、敢えて帰ったところで必要な物は
何もなかった。

「町子さんが待っておられますか?」

彼女は少し嫌味を込めて高木に言った。

「いや」

「偶には私とご一緒して下さい」

「、、、」

「いつも私を避けてるようね」

「しかし、、、」

「いいでしよう、昔よく行ったわ」

町子と所帯を持ってから、彼は女性関係には注意をしていた、家庭を大切にしたいこともあっ
たが町子の嫉妬心も気になった。

今まで付き合った女の誰よりも敏感だった、

それは祇園で水商売を経験したからなのか、或いは町子の本来の性格なのか、どちらなのか
は分からない。

だが京子は町子とは全く違う、彼女と所帯を持たず町子と所帯を持っても、何も無かったよう
にいつもと変わらなかった。

町子を高木の妻として受け入れられない気持ちは彼にも薄々は分かっていた、それでもその
ことぐらいで態度には全く出ない。

「ねえ、いいでしょう」

今日は京子の心境にどの様な変化があったのか、妙に親しげである。

「今日はどうした、随分いつもと違う」

「私もこういう時あるの」

「君らしくもない」

「今更」

高木の言葉が白々しく聞こえたのか、開き直ったように言った。

「怒っているのか?」

「当たり前でしょ」

「何もそんな言い方せんでも」

「あなた昔のこと忘れてしまったの?」

「、、、」

「そんなに私と行くの嫌?」

「そうやない」

「じゃ、やはり町子さんのことが気になるのでしょう」

そうかもしれない、朝出がけの町子を思い出すと、このまま京子と二人の時間を持つのは気が
引ける。

「うん」

「あなたいつも町子さんのことしか頭にないのね」

「当たり前やろ?」

「冷たい人」

「しかし今日は本当にどうした」

「、、、」

今日の京子は何故なのか分からないが、いつもの冷静な彼女とは本当に違っていた。

「仕方が無いなあ」

「行って下さるの?」

「ああ」

「無理しなくていいのよ」

「よう言うわ」

結局高木は京子に押し負かされた、彼に全くその気持ちが無かったわけではない、ただ町子
のことが気になっていたのである。

無論彼が京子との昔を忘れるはずがない、それでなくても偶に聞く京子の嫌味が心に刺さる、
それをいつも気にしていた。

あの時なぜ京子と所帯を持ちたくなかったのか、町子との所帯が長くなり最初の頃の新鮮さが
無くなるにつれ思い出す。

車は一六一号線の交差点にさしかかっていた。

「何処がええ?」

「そうね」

「早よ決めろ」

「なにもそんなきつく言わなくもいいでしょ」

「右か左かどっちに行けばええ?」

「うーん、じゃ右」

しかし、ここ最近京子とこんな会話をしたことがない。

女は状況が変われば考えもしなかった態度にでる、これで明日からどんな顔をして会社に来る
のか興味が湧く。

彼女の言ったとおり、交差点を右に曲がり一六一号線を石山に向かって走った。

「ロイヤルオークにしようか?」

石山へ行くまでに膳所で近江大橋を渡ると、向かい岸は草津である、琵琶湖を渡った大津の
対岸だった。

橋を渡った所を南に行くと瀬田なのであるが、そこに湖に面して「ロイヤルオークホテル」があ
る、大津の瀬田には似つかわしくないが随分立派なリゾートホテルだ。

「嬉しい、懐かしいわ」

「そこでええのか?」

「ええ、お嫌でなければ」

「もう嫌味はいらん」

この際とばかり嫌味を言う。

「昔はよく来たなあ」

「ええ」

このホテルは日本でも屈指のリゾートホテルである、まだリゾートホテルが現在ほどなかった時
に、資金にいとめをつけず造ったものである。

それに良子の父親である高木の養父が、ゴルフ場の後を開発して造ったものの一部にこのホ
テルがあり、それだけに少しは親しみもあった。

それからまもなくホテルに着き、ゲートをくぐると彼女は懐かしそうに建物を眺めていた。

ホテルの係員に誘導され地下の駐車場に入ったが、平日のため空いていた。

駐車場からエレベーターに乗り、一階のロビーで降りると静まりかえっている、ホテルの造りも
あるのだろう多少の人が居ても静かである。

ロビーを少し歩き、円形の吹き抜けのエントランスに出る、その吹き抜けの二階、三階の部分
の壁には、ヨーロッパの中世の時代の絵が前面に描いてある、円形のエントランスからレスト
ランに通じる通路はまた赴きが変わり、前面ガラス張りでハワイのリゾートホテルのようだ。

そこを抜けると、それぞれのレストランに通じるロビーである。

イタリア料理、フランス料理それに中華料理と日本料理の店がある、またそこから小さな通路
を抜けるとステーキハウスに寿司バーがある。

「何処がええかなあ」

高木は久しぶりに来て、どのレストランの料理にも食欲が湧いた。

「私、吉野(きつの)がいいわ」

「和食か」

「だめですか」

「いや、京子がそこでよいならそこにしよう」

「あら、、、」

また少し嫌味っぽく頷いた。

高木は迷っていただけに、京子が言った店に決めることにした。

石畳の狭い通路を二人は案内され、奥の八畳の座敷に落ち着いた。

和食レストラン「吉野」、ここはよく来ていた、始めて町子を誘って来たのもここだった。

大きな座敷机を前にして二人は席についた、すぐに若い店の子がオーダーを聞きに来て会席
の「おまかせ料理」を注文した、京子はなにやら楽しそうに高木の顔を眺めている。

「どうした?」

「いえ」

「なにか言いたいのか?」

まもなく先付けと注文した日本酒が運ばれ、運んできた若い女性が二人の杯にお酒を注ぐ、そ
れから杯を合わせ乾杯した。

「これは何の乾杯だ?」

「そうね、今日は(ご苦労様でした)の乾杯ね」

「それやったらええけど」

妙に京子の喜んでいる姿が気になる。

彼女は、一時と雖も高木を町子から取ったことで喜んでいるのかもしれない。

暫く料理を楽しんでいると京子が言った。

「今日はごめんなさい」

「ええんや、それよりなんで今日はこんなに強引やったんや?」

「何故って、それほど意味があったわけじゃないわ」

「しかし今日の京子はいつもの京子とは違った」

「いつも文句を言わないから?」

「そうやない」

「あなたにとって私は便利な女ですものね」

「そこまで言わんでも」

「でもそうでしょう?」

本気で言っているのか、或いは、偶にはこのように言っておかなくてはと思って言っているの
か、彼には分からない。

「本当はね、あなたを慰めたかったの」

「なんで?」

「今日あなたを後ろから見ていたでしょう」

「うん」

「あなたはどう思っていたのか分かりませんが、私はあなたの後ろ姿がすごく寂しそうに見えた
の」

「、、、」

「最近あなたのあんな姿見たことがなかったわ」

「だから今日こうして、、、?」

「ええ」

「俺は尋問に答えるのに、せい一杯やったけど」

「自分では分からないのよ」

高木が考えてもいなかったことを言った。

「昔、あなたが良子さんと別れる頃、同じようだったわ」

以外なことを言った。

「あなた、もしかすれば町子さんと何かあるのじゃない?」

「別に」

それは今日のことだけじゃないのかもしれない。

いつも従順に付いて来ているだけに、まさか京子がそんなように見ていたとは思いもしなかっ
た。

確かに心の奥でいつも何かがつかえているような気がしていた。

母のこともあったのかもしれない、また町子との心のすれ違いなどが、自然に現れていたのか
もしれない。

だが京子にそれが分かったとは、高木は京子が関心を持ってみつめていたことを改めて感じ
た。

「おおきに、と言わとあかんのやろか?」

「そうよ」

そう言ってから杯を空けながら二人して笑い、つかの間京子との昔に返った。

かって良子と上手くいかなくなり出した頃の寂しさを京子は慰めてくれた、高木にとってそれは
当然のことのように思っていた、負担にならない女だとも感じていた。

その性格が京子の何処から来るのか、持って生まれた物だったのか、或るいは彼の知らない
所で苦労して培ったものなのか。

考えてみれば、彼女の本当の姿を高木は知らない、二十八で東京から京都に戻ったのも何か
の理由があったのだろう、母親と二人暮しなのも敢えて何故なのか聞いたこともない、父親が
いない生活を何故なのかとも考えたこともない。

いずれにしても京子は男に従順で、それに心を乱させるようなことのない女だった。

「ところで、今日の裁判のことやけど、少しは理解出来た?」

「ええ、以前からある程度は分かってましたが、改めて聞いていて理解出来ました」

「しかし困ったものやな」

「そうですね、この土地どうなりますの?」

「負けりゃ一億の損害や、それに全面勝訴も考えられへんし、これから先資金繰りに影響する
やろ」

「銀行はどのようになりますの?」

「敗訴が確定して、訴訟の内容が分かってしまえば離れていくやろな」

「そうですか」

「まあすぐにと言う訳やないけど、それに一億だけやないやろ、今まで払った利息や工事代な
どいれたら二億とは行かなくてもそれに近い数字になる」

「一度正確に計算しておきます」

「ああ」

京子は心の中でどのように思ったのだろう、高木の会社の破綻を考えたのかもしれない。

彼は気を取り直しそれ以後仕事の話は止め彼女との思い出話をした。

京子との深い関係は、良子と別れ町子と所帯を持つまでの、それほど長いとは言えない間だ
った。

彼女の立場で考えれば高木との思いでが全てなのだろう、だが高木は町子や佳織のこともあ
った。

そこに京子とは多少の意識のずれがある。

暫く思い出話をしていたが、一時間ほどして料理も終わりになった。

「そろそろ出よか?」

「ええ」

勘定を済ませ外のロビーに出た。

九時をまわりロビーはほかのレストランの客が出てきて賑わっている。

高木はまだ少し飲み足りなかった、ロビーの賑わいが家に帰るのを引き止めた。

「もう少しバーで飲もうか?」

「ええ」

誘うと京子は付いて来た、彼はもう町子が待っていることも忘れようとした。

そしてフロントの前を歩いている時、後ろから突然京子が声をかけた。

「バーよりもお部屋がいいわ」

驚いて振り返ると、昔見たことのある視線に出会った。

一瞬彼は戸惑い、京子は目で求めている。

フロントの前で迷っている姿も恥ずかしい、高木は思い切ってそのままフロントでチェックインを
してルームキィーを受取った。

ひさしぶりにこのホテルの部屋に入ると何故か懐かしさを感じた、ここ最近はこのホテルに泊
まることはなかった、昔は度々利用したが、京子と泊まったことはないように思う、むしろ町子と
の方が何度かある、ほかの女ともあったが町子との印象のほうが強く残っている。

「町子さんのこと考えているのでしょう」

「うん?」

部屋に入ってもあまり話さなかったため、京子が町子のことをいった、女は何故こんなにほか
の女のことが気になるのか、あまり言われると鬱陶しくなる、本人はそれ程気にしていないの
かもしれないが、言われるたびにうんざりする、今日もこれで二度目か三度目、所詮町子のこ
とを言ったところで今更どうなるものでもない、と男の立場では思う、だがいつも冷静な女では
あっても言葉にだすことで日頃の鬱憤をはらしているのかもしれない。

「今日は町子さんのこと忘れて」

ここ何日かは、師走といえども少し帰りが遅いのが続き、多少悪い気がして後ろめたさがあっ
た、それでなくても今朝はいつもと違い機嫌よく見送ってくれた姿を思い出すとなおさらである、
早く帰ってやらねばと思っていたところ、京子と思わぬことになってしまった。

「もう町子のことは言わんといてくれ」

少し強くいうと京子はそれ以上言わなくなったが、そのせいか二人の間に沈黙が流れた。

「こっちに来てビールでも飲まへんか」

返事もせず高木が座っているソファーの前の籐で出来た椅子に座る、それを見て冷蔵庫から
ビールをとり出しグラスを二つ持って京子の前に置きそのまま自分で二つのグラスにビールを
注ぐ。

やれやれとおもいながらも京子の本心が分かったことで何処か安心したような気もする。

「どうや?」

「何がです?」

「なんや、怒ってんのか?」

「いえ」

「こうして二人でこんなところへ来たのは久しぶりやから、気分はどうかなと思って聞いただけ
や」

何を考えているのか、暗くなった外に目をやっている、黒く見える湖の向こうには石山の町のネ
オンが見える、高木はしかたなく黙ってビールを飲む、気まずい沈黙が流れた。

「シャワーを浴びるわ」

暫くして京子が口を開いた。

「ああ」

京子がシャワーを浴びている間、高木はそのまま一人でビールを飲んでいた。

動く気もせず、テレビもかけず、時たま外を見るが何処か虚ろだった。

しかし町子にしても京子にしても女は扱いにくい、今更ながら女の難しさを実感する、ホテルの
部屋に行きたいと言ったから来たのである、それならばその時間を楽しく過ごせばいいではな
いかと何度も心の中で繰り返す、なにも喧嘩をしに来た訳じゃない、

それなのにぷいとバスルームに入いる。

日頃従順な京子と思っていただけに少し腹が立つ。

暫くして京子はバスルームから出てきた、相変わらずそのまま黙ってベッドに入る。

高木は入れ替わりにバスルームに入いった。

シャワーの熱いお湯が高木の身体に染み、

一日の疲れがお湯と一緒に流れていくようである。

広いバスルームで髭を剃り、歯を磨いているとこの後どうすればいいのか分からなくなった。

京子が部屋へ行きたいと言ったのはおそらく期待を持って言ったのであろう、ところが部屋に
入って心が虚ろな高木を見て言わなくてもいい言葉を言ってしまった、後悔しているかもしれな
いが、今の状態では彼女をどう扱っていいのかわからない。

「来るんやなかった」

鏡に写った自分の顔を見ながらつい独り言が出る。

バスルームを出ると、目を瞑り寝ている京子の姿が見えた。

ホテル備え付けの浴衣に着替え、ベッドに入ろうと京子の傍まで行くと何故か京子の寝顔に一
筋の涙が流れているのが目に入った。

ベッドに入るのも忘れそのまま暫くその顔を眺めている、京子は彼女なりに辛さを押さえている
のだろうか、それとも悔し涙なのか、いずれにしてもこの涙を流させているのは高木である、胸
に熱いものを感じ愛しさが込み上げて来た。

おそらく眠ってはいないのだろう、高木が傍で顔を見ているのを分かっているのかもしれない
が、まるで寝てしまっているように見えるこの顔、この唇に過っては救われたのだ。

確かに京子には冷たい仕打ちだった、町子と所帯を持つことを一言も言わなかった、無論言え
るようなものでもなかった、彼女の立場からみればある日突然関係を絶たれたのである、それ
なのに会社ではお互い何事も無かったかのように会っている、そのことだけはいつもと同じで
ある、よくも文句も言わず黙ってついて来たものだ。

暫く顔を見ていたが、高木は京子の頬に流れた涙をそっと手で拭き、唇を合わせた。

「責任取ってくださる?」

突然彼女の言葉が耳に入った、予期していなかっただけに驚いた。

「何の責任?」

「分からないの?」

今更結婚を迫っているのではないのだろう、お金を要求するような女ではない、要求している
責任の意味が咄嗟には分からない。

「言ってくれへんかったら、、、」

「あなた、この頃町子さんと上手く行っていないのでしょう」

責任を取れと言っていながら町子のことをいう、益々わからなくなってきた。

「責任を取れといっていながら、町子とうまく行っていないと言う意味が分からんなあ」

「昔良子さんと別れる前、あなた今と同じだったわ」

「、、、」

「あの時あなた私を求めたわね、私あれからずっとあなたを思ってきたわ、でもあなたは町子さ
んと一緒になったわね、すごく悲しかった」

「申し訳ないと思う」

「あなたが良子さんと別れたあと、暫く佳織さんと暮らしていらっしたでしょう、そして私とも関係
していたわ」

「佳織のこと知っていたのか?」

「ええ」

「でも私何も言わなかった」

「、、、」

「悲しかったわ、一人で泣いていたのご存じ? ひどい人」

京子がこのように自分のことをいったのは始めてである、薄々は分かっていたが高木の前で
恨みがましいことをいったことはなかった、今日に限って何故このようなことをいうのか、よく考
えてみれば、町子と所帯を持ってから京子と二人きりになることはなかった、会社で高木の部
屋ではいつも二人になってもそんな話が出来る雰囲気などない、今日は久しぶりに車に同席
し、もしかすればチャンスと思ったのかもしれない。

「あの時は自分がなにをしているのか分かっていなかった」

「私より綺麗な町子さんがよかったのでしょ、佳織さんも可愛そうね」

確かに改めてそのように言われてみると、理想的な女に思えたのかもしれない、着物がよく似
合い、日本的な美人である、男なら誰もが妻にするにはいい女だと思う、だが京子も容姿はい
い方である、町子ほど京都弁を話すわけではないが京女であることにも変わりはない、しかし
どちらかといえばスポーツに長けた活発な女である、それに一度も結婚をせず、子供も生んだ
ことがない、今は四十三だがとてもそんなに見えない、三十三と言っても言いすぎではない、町
子とは正反対の女である。

ところが心はそうではないらしい、活発に見える京子が男に従順で、従順に見える町子がそう
ではない、どちらも京女の芯の強さを持ってはいるが、京子の強さは我慢強いことであり、町
子は京女としての誇りの強さである、高木は妻にする女を選択するのを間違ったのかもしれな
い、しかし高木はそのことにあまり気づいていない。

それにしても責任を取れという意味は何なのか、まさか今度は自分の番という訳でもないとお
もうのだが、町子と別れるのを待っているのだろうかと考えてしまう。

それから暫く二人は無言だったが、京子は自分の言いたいことを言って気が済んだのか高木
に身を寄せて来た。

「ねえ」

高木は何年かぶりに京子を抱いた。

 

高木は何時の間にか眠ってしまっていたが夢を見て眠りが浅くなり目が覚めた。

「嫌な夢を見た」

裁判や町子のことが気になり、あまり深い眠りではなかったようである。

夢は町子の夢だった、眠る前あれだけ町子の話があったのである、見たのは当然かもしれな
い、それにしても町子が分かれて行く夢などあまり寝覚めのいいものではない、

でもぼんやりと夢の内容を思い出してみる、

最初は霧か靄の白い霞んだ風景だったように思う、その霞んだ中を町子が去って行く、高木が
止めようとしても振り返っただけで何も言わず去っていたように思う、去った後の言葉に表すこ
とが出来ない気持ちだけは不思議に鮮明に残っている、気分の悪い夢だった。

頭を振り払うようにそのままベッドから起き出した、暖房がよく効いている、寒さは感じない。

ソファーに座り、グラスに残ったビールを煽ってからタバコに火を着けた。

「今何時だろう?」

われに返りベッドのサイドテーブルの時計を見た、時計は深夜の二時を指している、

見た夢の不安もあり急に家に帰りたくなった。

京子を見るとよく眠っているようだ、どうしたものか、彼女を起こし、帰るとも言いにくい、かとい
って黙って帰る訳にもいかない、迷っていると突然京子が言った。

「帰りたいのでしょう」

眠っているとばかり思っていただけに突然声を掛けられ驚いた。

「なんや、寝てたんやなかったのか」

「あなたがベッドを出る前から起きてたわ」

「人が悪い、起きてたら、起きていると言ってくれればいいのに」

タバコを吸いながら文句をいう、

「誰か呼んでたようね、夢でも見てたの」

「そうか、呼んでたか」

「心配すると夢にまでみるのね」

町子の名前を呼んだのか、それは覚えていない、だが京子はそれらしいことをいった、もしか
すればはっきりと名前を呼んだのかもしれない。

「帰りましょ」

京子は帰ろうと言ってベッドから起きだした。

「ええのか?」

彼女はクロゼットから服を取り出しもう着替えを始めている。

「あなたに可愛そうなことしたわ」

「、、、」

「今なら誰かと飲んでた、と言えば納得されるでしょ」

そう言ってさっさとバスルームに入り髪を梳かしている。

高木も服を着替えることにした、だが全く女は分からない、ことが済めばそれで満足するのだ
ろうか、言いたいことを言ってそちらはそれでいいだろうがこちらはたまったものではない、一
人ごとがつい出てしまう。

したくが出来、京子は乱れたベッドを整え、二人はドアまで行き、高木は忘れ物がなかったかも
う一度部屋を振り向いた。

「困った人」

彼女は憎らしそうに高木の頬を突付いた。

高木は言葉を返すことが出来ずそのまま部屋を出た。

「ご出発でございますか?」

フロントで鍵を返しチェックアウトをするとホテルマンが言った。

こんな夜中に何処へ出発をするというのか、

ホテルマンの言葉までが嫌味っぽくきこえる。

フロントを後にして駐車場まで行こうとすると京子がいった。

「私ここで別れます」

「送っていかんでもええのか?」

「そんなことを、早く帰りたいのでしょう?」

立ち止まったが振り向きもせずそのまま歩いて行く。

京子の言葉に甘えるのも悪い気がしたがそれ以上いわなかった。

彼女の家は伏見の東福寺の近くである、夜の今頃の時間だとタクシーで三十分もあれば帰る
ことができる。

二人はロビーで別れ、高木は車のある地下の駐車場まで行った。




トップへ
トップへ
戻る
戻る



新規ページ007
新規ページ007