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(十) 町子が勤めに出るようになり、ひと月が過ぎた。 琵琶湖の水も温み、寒々としていた景色も、漸く春の兆しが伺えるようになった。 みどりは母が勤めに出るようになり何かを感じているようである、だがそれを口には出さない。 実父の鈴木と町子が別れる時の状況と似ていると思っていたかもしれない、一度高木にそれ らしいことを聞いた。 高木は「お母さんも小遣いが欲しくなったんと違うか」と言ったが、みどりは納得の出来ない顔 をしていた、まだ分別の出来ない子供に、この様な心配をさせたことを心苦しく思った。 いつものように高木は社長室から比良山を眺めていた、やわらかくなった空気の向こうに霞ん で比良山が見える、山頂にまだ少し雪が残っている。 ぼやっと外を眺めていた時、ドアをノックする音が聞こえた。 「はい」 高木が声を掛けると京子が入ってきた。 「銀行の方が来ておられますが」 京子が来訪を告げた。 「誰や」 「中央銀行の坂下さんです」 「めずらしいなあ、支店長自ら?」 「いかが致しましょうか?」 「もちろん通してくれ」 「分かりました」 京子が部屋を出て暫くすると、支店長を伴って来た。 「社長不躾に申し訳ありません」 高木の顔を見るなり、坂下は謝意を言う。 「やあ坂下さんめずらしい」 いつも高木の方が銀行へ行くため、このようにして坂下が来ることは珍しいことである。 「まあこちらにお座り下さい」 「突然申し訳ありません」 坂下は高木が示したソファーまで来た。 「今朝は何もありませんでしたのでそう気にしないで下さい」 二人とも席に着き、高木はタバコに火を付ける。 「今日は暖かくなりましたねぇ、比良山の雪ももうすぐに無くなるでしょう」 突然高木が比良山の話をしたため、坂下は窓の外を見た。 「いつも眺めのいい部屋で、私など社長が羨ましいです」 坂下は窓の外に目をやりながらお愛想を言う。 「ところで今日は何か?」 早速高木が話しを切り替えたため坂下は口ごもった。 その時ドアが開き京子がお茶を持って入ってきた、前に置くまで二人は黙っている。 京子がお茶を置いて出て行ってから、坂下は口を開いた。 「ほかでもないんですが、例の瀬田川の土地の件で」 どうせそんなことだろうと思ったが、こうしてじきじき支店長が尋ねてきたことを考えると、銀行 の内部でそろそろ問題になり初めているのかもしれない。 「暮に社長の証人尋問だったと聞いておりますが、如何なものなんでしょう?」 「そう云えば銀行からは誰も傍聴に来ていませんでしたね」 「いえ、本社の管理部の者が行っていました」 「そうですか、気がつきませんでした」 「聞いていても話が難しく、解らなかったそうですが」 「事情を知らない者がただ傍聴だけしても解らないでしょうね」 「ええ」 「しかし、そちらにも弁護士がいるでしょう」 「そうなんですが、何分例のないことで、判断が出来ないそうです」 さもありなんと思った、そう簡単に解ればこちらも苦労はしない。 「それで、社長の判断を聞いて来るように指示がありまして」 「判断ねえ」 「いかがでしょう」 どこまで説明をしていいものか、余り詳しく説明するのも後のことを考えれば怖い気もする、か と言って、今日はある程度は説明しなければ支店長の立場がないようにも思う。 考えながら高木は重い口を開いた。 「まあ、どうせ勝っても負けても控訴になる訳ですし、まだ時間はかかると考えていますが」 「はあ、、、」 坂下は当然のように控訴を云う高木の考えが理解出来ないようである。 「こちらが勝てば国は控訴するでしょう、負ければこちらがします」 「しかし、裁判と云うのはそんなものなんでしょうか?」 「まあ、坂下さんは経験がないからわからないでしょうが、裁判は時間がかかるものです」 「早く結論が出ると云うようなものじゃないんですねえ」 「そりゃそうです」 当然、坂下の立場では、白黒を早く出したいのは解る、高木自身もそれは同じ気持ちである。 だが、今までの流れを考えれば、必ずしも高木に有利な判決が出るような感じもしない、かと 云って全面的に負けるとも考え難い。 高木にとって妥協できる方法としては、結局は和解しかないのだろうが、果たして国家相手に 和解など出来るものなのだろうか、今回のような場合、通常の民事裁判だと、互いの主張が出 切った頃条件提示のような形で和解の話しが出てくる。 それが相手が国家である、どう考えても和解は考えにくい。 それに、裁判にまで持ち込んだ本当のところの目的がも一つ分からない、僅かな土地を取り上 げたところで、国とすれば痛くも痒くもない、まして、和解などをして国の土地が少々増えたとこ ろで何の益があるのだろう。 いずれにしても、銀行との今後を考えれば、今のところ迂闊なことは言えない。 「それではまだ結論は先になると云うことですか?」 「そう考えたほうがいいと思います」 不明のまま何とか先延ばしの話にしておかなければならない。 「困りましたなあ」 「支店長には気の毒ですが、今日のところはそんな程度しか説明の仕様がありません」 「では大体いつ頃と考えればよろしいでしょうか?」 「まあ、早くて二年以内、遅ければ三、四年というところですかね」 「、、、」 「それと、もし可能であればの話ですが」 「何でしょう?」 「銀行にもこの裁判に参加していただければありがたいのですが」 「それはどう云うことですか?」 「これはよくあることなんですが、抵当権者として補助参加をする訳です、無論弁護士を立てて 通常通り共同で裁判をすることになる訳です」 「ようするに一緒に裁判をすると云うことですか?」 「ええ」 「それはどうでしょう」 高木もそれは出来ないだろうと思っている、国家を相手に銀行が被告の立場で名を連ねると は所詮無理な話である。 「銀行は抵当権者として全くの善意の第三者ですし、むしろ私の立場よりも有利な立場だと思 いますが」 「、、、」 「勝てる確率も上がります」 無理なのは解ってはいるが、銀行に対する一つの牽制になるのではないかと思い、言ってみ た。 「本社はどう云うでしょう?」 「さあ、しかしそうすれば裁判の内容も解りますよ」 坂下は高木が言った言葉に少し興味を抱いたようだ。 しかしよく考えれば、この土地を買った時は坂下が支店長ではなかった、気の毒ではあるが彼 が前任者の責任を被せられたようなものである。 「坂下さん、私の口からこんなことを言うのも何なんですが、本社にはそう言っておけばある程 度あなたの立場も立つでしょう、共同で裁判をすると云うのは筋の通った話ですよ」 「それは解りますが、この頃の銀行の立場を考えれば国を相手に裁判など出来るでしょうか?」 「確かに、監督官庁は国な訳ですから、銀行の経営陣は怖がるかもしれません、でも我々でも 監督官庁は建設省ですよ、原告が国と云っても元々は建設省の問題ですから、私はその監督 官庁を相手に裁判をしているようなものです、小さな吹けば飛ぶような私が監督官庁を相手に している訳ですから、銀行だってやろうと思えば出来ますよ」 坂下はなるほどと思ったのか考えている。 支店長と云えども四十そこそこの坂下にはその深いところの意味は理解し難い。 それから二人は暫く雑談をしていた、銀行の難しい立場や、支店長と雖もいつ頸が飛ぶか解ら ない話を聞いていると、昔と随分変わってしまったことを感じる。 昔は、銀行の支店長と云えば絶対的な存在であった、それが今や高木の立場と変わらない、 無論銀行自身もそうである、京都でも銀行が三行潰れている、潰れた銀行に何人か知人がい たが、話を聞くと潰れた銀行の行員も惨めなものであるらしい、過って支店長をしていた者がタ クシーの運転手をしている、タクシーの運転手が悪い職業とは言わないが、それにしても支店 長までしていたものがする仕事だろうか、坂下の切実な話を聞いていると何かこちらも責任を 感じる、だが、かと云ってそうとばかりは言っておられない、十人そこそこの社員と云っても、そ れはそれなりに責任がある、いずれにしても、お互いに明日はわが身であることにかわりはな い。 暫くして坂下は帰って行った。 高木は少しほっとした気分になり、京子にお茶のお変わりを頼んだ。 「社長銀行大丈夫ですか?」 高木の机の上にお茶を置きながら京子は心配そうに聞いた。 「うーん、どうやろなあ」 高木も実際のところ、この件に関してはこの先どうなるのか見当がつかない。 もし銀行が、融資の引き上げを行った場合大変なことになる、今までに自分が倒産の憂き目 に会うかもしれないと考えたことはあった、経営者であれば誰もその不安を抱えて経営をして いるものである、だが現実にそれが起こるのかは、実際に倒産をしてみなければ分かるもので はない、まさか自分が倒産をして、債権者達に詰め寄られるなどの姿を予測も出来ないし、ま たしたくもない。 「大丈夫、大丈夫」 高木は京子に言ったが、むしろ自分に言い聞かせたようなものである。 京子は不安そうな顔をして部屋を出て行った。 高木はまた窓の外を眺めていたが、京子の寂しげな後姿に改めて愛しさを感じている自分に 気がついた。 午後から高木は取り立てて用事があった訳ではないが車で京都に向かった。 高木は何故か京都の町が好きだった、今まで一度も京都には嫌な思いをしたことがないこと も、好ましく思わせているのかもしれない、それに偶に一人でお寺を廻ることも在ったが、お寺 だけではなく、町そのものも高木の性格に会っているのかもしれない。 琵琶湖の傍に聳え立っている比良山もいいが、京都の古い佇まいも、またいいと思っていた。 山科を過ぎ、三条通りを蹴上げまで来るともう少しで花が咲きそうな桜並木にさしかかる、観光 客が楽しそうに歩いているのが目に入った。 自然に心もほころび、まるで自分までもが観光に来たような気がして楽しくなる。 そんなことを思っていたとき、ふっと町子が勤めている店に行きたくなった。 「そうや、どんな店か一度行ってみよう」 独り言が口を突いて出た。 別にあてが在って来た訳ではなかったためもある、店を訪ねるのにそれ程抵抗を感じなかっ た。 行こうと決めてから車を白川通りに走らせ、丸太町通りから烏丸へ向かった。 御所の森を右に見ながら烏丸の交差点を右折し蛤御門の先を新町通りに入るとすぐに町子の 店のあるホテルが見えた。 ホテルの前で駐車場を探していると、係員が駐車場へ入る通路まで案内をしてくれ、そのまま 車を地下に走らせた。 「確か地下街にある言うてたなあ」 駐車場から地下街に入り、地下にある店を何軒か探しながら歩いていると突然後ろから声を 掛けられた。 「どうしやはったん?」 後ろを振り向くと町子が立っていた。 「なんや誰やと思うた、突然声を掛けるから吃驚してしもうたがな」 「うちの方が驚きました」 そう言いながらも町子は嬉しそうな顔をしている。 「何ですのまた?」 「別に何云うことはないんやけど、ただちょっと暇やったから来てみた」 「まあ、どうぞ」 町子は含み笑いをしながら近くの店に招き入れる。 高木は少し気恥ずかしさもあった、他にもう一人従業員がいるらしく、奥の物入れでごそごそと 音がしている。 「あっ、いらっしゃいませ」 もう一人の従業員が、客が入ってきたと思い、急いで物入れから出てきて言った。 店の中は造りもよく、さすがに一流ホテルの店だけのことはある、壁や窓枠には良質なチーク 材が使われ、床はカラフルな大理石でまとめられている、ショーケースや使われている家具な ども高価な物が置かれ、展示されている商品を引き立てていた。 「うちの主人です」 町子がもう一人の従業員に紹介した。 「家内がいつもお世話になってます」 通り一遍の挨拶をしたが、突然だったため従業員もどぎまぎしているのが高木にも分かった。 「コーヒーでも煎れましょうか?」 「ありがとう、客でもないのに、、、」 町子はもうすっかり、アクセサリーショップの店員になり切っている、家にいる姿とまた違った雰 囲気を持っていた。 「客でもないのにこんなとこで座ってコーヒーよばれててええのか?」 「気にしないで、あまりお客さんはいないんです」 「へえー、そんなに少なくてよくやっていけるなあ」 「だいたい朝か夕方なんです」 町子はコーヒーを煎れながら、店のことを言った。 高木が独立をしたのは若い時である、結構商売をして長い期間を過ごしたが不動産以外の商 売はあまり知らない、この店に並んでいる商品を見ると、こんな物でよく商売が成り立つものだ と思う、二十代の頃から数千万から億単位の金額を扱ってきた、ここに並んでいる商品の値札 を見ると数千円単位のものが殆どである、高くてもせいぜい、二、三万円程度で、よく見てみる と十万円を超えるものはショーケースに鍵を掛けて入れられている、全く単位の違う商売を考 えると、本当にこれで成り立つのか不思議な気がする。 「お客さんが来んときはどうしてんの?」 「暇そうに思うでしょう」 「うん」 「これでも結構することはあるのよ」 ゆったりした動きを見ていると、暇を持て余しているのではないのかと思ったが、そうではない らしい。 「在庫のチェックとか、商品の入荷などが毎日あるの、月の中頃や末には棚卸があって、それ がなかなか合わないの、この前は初めてでしたし、これでも結構大変なのよ」 自宅にいる町子と違い少ししっかりしたように見える。 高木は突然勤めると言い出した真意を伺おうと、注意をして観察したが分からなかった。 町子と所帯を持ち六年程であるが、全く高木とは関係のないところで動いているのを見ると別 人を見ているようである。 六年とは云え、これまで高木の為だけに動いていた町子にこのような姿を見せ付けられ、少し 嫉妬を覚えた。 「この程度の金額の商品でよくやっていけるなあ」 「あなたの仕事とは違うわ、世間は皆こんなものなのよ」 少し勤めに出たからと言って、もう分かったようなことを言っている。 高木はその言葉に少し引っ掛かりを感じた。 案外そんなところに勤めに出た真意が現れていたのかもしれない。 「店は私が見ていますので上のロビーにいらっしゃれば」 町子と雑談をしていると、もう一人の従業員が気を利かせて言った。 「そうね、それじゃお願いしようかしら」 まだ入って間のない町子がそんなことをしていいのかと思ったが、気にする様子もない。 「あなた、それじゃ上へ行きましょ」 地下の店から近くにあるエスカレーターにのり、ホールにあるコーヒーショップに行った。 広いロビーを植木で囲い、すわり心地のいい椅子が置いてある、高木はワインが飲みたくなり 赤ワインをオーダーした。 「あなた車は大丈夫ですか?」 「一杯だけやから、それより仕事中にこんなことしててええのか?」 「いいの、会社の上司が来たときもここで打ち合わせをしたりするから」 「ふーん、のんびりしてるんやなあ」 「それに一応私は責任者ですから、本来の仕事は管理です」 それなら尚更従業員に範を見せなければならないのではと思ったが気にしている様子もない。 「しかし入って間もないのに、うまい話やなあ」 「でもその条件で入りましたから」 「それにしても今まで全然知らん会社やろ、何でそうなるのか解らんわ」 「、、、」 「管理いうてもどんな管理か知らんけど出来るんか?」 「それ程難しくはないわ、従業員の採用とか、売り上げの報告やそれに在庫の管理なんですか ら」 「ようは信用されてる訳や」 「、、、」 「最初からなかなか信用出来ひんで」 「でもそれが条件やから、、、」 「どこでどんな話があったんか知らんけど、俺は不思議な話やと思うわ」 「何かおかしな言い方ね」 「まあええわ、詮索してもしゃーない」 「疑っているんですか?」 「何を疑うんや?」 「いえ、何か奥歯にものの挟まった言い方をしやはるから」 「まあええやないか、ちょっと聞いてみただけや」 何となく気まずい雰囲気だった、言わなくてもいいことを言ってしまったと後悔したが、話の勢い で言ってしまった。 町子も機嫌の悪い顔をしている。 「ところでなあ、お婆ちゃんのことやけど、町子はやっぱり嫌なんか?」 「どういうことですか?」 「舞鶴から家へ呼んだのがあかんかったか?」 「いいえ」 「そやけど、機嫌よう三人で暮らしていたところへ突然来たんやから、やっぱり町子は嫌やった んと違うか思て」 「あなたはいつも突然やから」 「うん、何も相談せんと決めたし、家へ呼ぶ言うた時は結論だけ町子に言うたから、悪かったと は思うとる」 「一言いって欲しかったわ」 「うん」 「あなたはいつもそうね」 「でも弁解する訳やないけど、あの時はそんな時間がなかった、舞鶴だってもう限界やったん やろし、おれが引き受けへんかったらおふくろは行くとこあらへん、可哀相やった」 「あなたは自分の親やからそれでいいでしょうけど、でもやっぱりうちも心の準備があります」 「うん、そりゃそうや、申し訳なかったと思う」 「あなたは仕事に行かはるから、昼間のことはなにも知らないでしょ、うちは毎日お母さんとい っしょですから、それはそれなりに大変なのよ」 「それはそう思う」 「少しはうちの気持ち解ってくれてはるの?」 「、、、」 「でも言っても仕方がないわね」 やはり心の奥では解っているのだろう、ただ現実は別である。 高木は町子が言っていることは理解出来た。 しかしそんなことだけが町子を外に出すことになったようにも思えなかった、それはそれとして、 ほかにも何か理由があるように感じる。 「それやから勤めに出ることにしたんか?」 「いいえ、偶々この話があったんです」 「しかしいつも家にいるのに何処でそんな話があったんや?」 「、、、」 「何か知らんこの話になるとはぐらかされるなあ」 「、、、」 「まあええわ、もう止めよ」 聞けば町子は黙る、母のことはやはり拒んでいることを感じた。 務めに出ることになった本当のことは言わなかったが、何かがあるのは解った。 高木は、母と町子のことはもう諦めなくてはならないのかもしれないと感じた。 坂道を転げ出すと何処までも転げて行くのだろうか、些細なことが徐所に大きくなり、今まで気 にしていなかったことが大きく心の負担になって行く。 それに、もしかすれば京子のこともあったのかもしれない、暮のことを除けばそれまで京子と何 もなかった、町子と所帯を持ってからは特に気をつけていた、それでも女である町子には何か を感じさせていたのかもしれない。 町子が時々会社へ来ていたのもその辺のことがあったのか、会社へ来ても高木の妻としての 扱いをしなかった京子の態度に、女としての誇りが傷つけられたのかもしれない。 そのことは高木にも解らないが、思い返してみるとそんな気もする。 話し込んでいると、先ほどの従業員が町子 を呼びに来た。 「高木さん、お客さんです」 「そう、じゃすぐに降ります」 従業員は一言伝えてすぐに下へ降りていった。 「悪かったなあ、仕事中に」 「いいえ、あなたが来てくれるなんて思ってもみませんでしたので嬉しかったわ」 二人は揃ってコーヒーショップを出た。 「ほな俺はこのまま帰るわ」 「気をつけてね、何処か寄らはるの?」 「そやなあ、今日は暇やし河原町の本屋でも行こ思とんやけど」 「うちは今日七時には帰れますので、出来たら早よう帰ってきて下さい」 「うん、ほなそうするわ」 「じゃ」 「ほな」 町子が勤めに出るようになり、食事は不規則になっていた。 それでも、みどりのために母は食事を作っていた、母親の帰宅が不規則なため、それをみか ねて子供のためだけには作っていたようである。 町子はみどりをお腹を痛めた子供であったためか、それ程気にしている様子はなかった、しか し、ふたりの間でどのような話が出来ていたのか解らないが母には随分勝手な母親のように写 っていたのであろう、時々高木にぼやいていた。 「隆彦、町子はんどない考えてはんのや、子供が可哀想やないか」 やはり母にすればほっておけなかったのである。 確かに、まだ身体がすっきりと治りきっていない母が、みどりのために食事の用意をしている のを見ると、母の言うのも尤もなことである、出来るだけ深く考えないようにしていても、どうして 子供の食事をほっておくことが出来るのか全く理解に苦しむ。 みどりは子供なりに母に気を使って「ありがとう」とか「おいしい」とか言っている。 たまに高木が早く帰って食事を作ろうとした時などは学校の帰りに食べてきた、などと言ってそ れ程食べたいとは言わない、遠慮をしているのがよく分かる。 それだけに町子がみどりに何か言っているのを感じた。
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