消え行く天井川

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1.はじめに:   近江(滋賀県)は山に囲まれた盆地です  比較的馴染みのありそうな名前を挙げてみれば  鈴鹿山脈 比叡山 比良山 賤ガ岳 伊吹山   などが連なっています   盆地の底にある琵琶湖には 周囲の山を水源として100本以上の川が注い  でいます そのいくつかは 川床が周辺の土地よりも高いところを流れる   いわゆる 天井川 となりました   しかし 天井川は今消滅しつつあります     2.草津川:   天井川の代表としては草津川が挙げられます   JRや国道 が市街地の中で川の下を潜り抜けている風景は 他に例がない  に違いありません kusatsu035.jpg  JR琵琶湖線(東海道線)の草津駅の 西(京都寄り)300メートルほどの所 に草津川があります この川の両岸には 桜の木が沢山あって人々の眼を楽しませ てくれます  正面の山は 琵琶湖の対岸にある比叡山 です     桜に包まれた草津川   橋の向こうにコンクリートの川床が見えます  この川床の下はトンネルになっており JRが走っています kusatsu018.jpg  草津駅側から見ると 4本のトンネル が見えます   左から2番目の丸いトンネルは 明治 時代に掘られたもので 現在は使われて いません (架線を使う電車の時代になって 高さ  が足りなくなったためと思われます)   草津川下を通るJR kusatsu028.jpg  草津川を500メートルほど上流(山 側)に行くと 国道1号線があります 国道1号線も草津川の下を通っています       草津川下を通る国道1号線   かつて 草津の宿場が草津川の西側(京都寄り)にありました  JRと国道1号線との間のJR寄りに位置しています  ここは東海道と中山道の追分け(分岐点)として賑わった宿場でした   kusatsu004.jpg ←草津本陣   kusatsu006.jpg 道標: 左中仙道美のぢ 右東海道いせみち                                          草津に二つあった本陣のうち 現在も残っている本陣は草津川から150  メートルほどの至近距離にあります この草津本陣には 吉良上野介 シー  ボルト 皇女和宮 などが宿泊したことがあるそうです  草津川の手前で東海道と中山道が分かれるため 道標が立てられています   ここを直進する中山道は 草津川の下を潜っています  明治19年(1886)にトンネルが開通したそうです   このような天井川に洪水の危険はつきもので 昔から人々が洪水に苦しめら  れてきたことは想像にかたくありません  享和2年(1802)6月には上流で堤防が決壊し 付近一帯が水に浸かった  ところ たまたま通りかかった滝沢馬琴がこの様子を書き留めた文書が残って  いるそうです  kusatsu045A.jpg  ところで このように天井川を代表す る草津川ですが 実は2002年6月に 廃川となっています 2キロほど離れた所に掘り下げた新しい 川に道を譲ったためです  古い草津川はどうするのか  計画はあっても実現が難しい様子が報じ られていました   新草津川 3.家棟川:   道路が川の下のトンネルを抜けている別の例として 家棟(やなむね)川  があります この川をご存知の方は 滋賀に住んでいる人でも少ないに違い  ありません 実は 取材を始めたつい最近まで 私も知りませんでした   どこにあるかと言えば 何と私の住んでいる野洲市にあるのです  yanamune001.jpg 道路は旧中山道です  場所は 銅鐸博物館 に近い位置にあた ります 石積みのトンネルには「家棟墜道 大正 六年十月竣功」と刻まれています すぐ近くを国道8号線が走っているため 現在このトンネルを抜ける人は僅かです   旧中山道の通っている家棟墜道   家棟墜道 の上には川の跡が残っていますが 現在は川としては使われて  いません  昭和16年(1941)6月の集中豪雨で家棟川の堤防が決壊し 流域で大  きな被害がでたことをきっかけに改修され 天井川が解消されて現在の新家  棟川の姿になったのが昭和22年(1947)とのことです  なお 昭和22年に作成された地形図には 現在の川道に付け替えられる前  の旧家棟川の下を 国鉄東海道線や朝鮮人街道 がトンネルをくぐっている  状況が描かれていたそうです   家棟川の水源地はと言えば 県立希望が丘公園のあたり一帯です  希望が丘公園は 家棟墜道からわずか2キロほどの上流にある自然公園です  東西およそ4キロほどある県下随一の広さを誇っています   現在は緑に富んでいますが かつてはハゲ山に近い状態だったようです   現在 家棟墜道付近から上流で家棟川の整備工事が進められています  掘り起こされている土は 赤茶色で花崗岩質の砂に近いような感じがします yanamune006.jpg    家棟墜道の上の水路跡      yanamune015.jpg        家棟墜道付近から下流を見る           yanamune011.jpg            家棟墜道の上から工事中の上流を見る            (正面の山の手前右手に銅鐸博物館              左手奥に希望が丘公園)                kibogaokapark.jpg                  希望が丘公園の一角 4.野洲川: 20040613s003.jpg  野洲川は近江で最も大きな川です 昔 中山道を旅する人は川を渡るのに難渋 したに違いありません  左図で 人々が歩いているのは中山道だ ろうと思われます 現在のJR琵琶湖線 (東海道線)は この絵で人々が歩いてい るあたりになるようです   鈴鹿山系に水源を発する野洲川は 関東 の利根川が坂東太郎と称されることに対応 して 近江太郎 と呼ばれてきたそうです   野洲川(近江名所図会より)     野洲川は琵琶湖に近い下流(上の絵の少し手前)で北流と南流の二つに分  かれていました 二つの川は堤防の高さが数メートルという天井川で 川幅  も狭いものでした    昭和になってから上流に野洲川ダムが建設されたため 洪水による被害が  軽減されるようになりました しかし昭和28年(1953)の台風によっ  て北流の堤防が決壊し 大きな被害が発生したことを契機として 北流と南  流との中間に新放水路が設けられました   昭和46年(1971)に工事着工 昭和54年(1979)に通水開始  川幅400メートル弱 総延長約7キロ 地面より数メートル掘り下げた大  工事でした  現在 古い北流と南流の堤防は大部分がとり払われ 残っているのは一部分  だけです yasu019.jpg ←少しだけ残っている北流の堤防 mikami02.jpg                   現在の野洲川                   (かつての南北流分岐点付近) 5.おわりに:   なぜ近江で天井川ができたのかと言えば 上流の山がハゲ山で 地質は花  崗岩質の砂が多い ということのようです ハゲ山となっていたのは 奈良  や付近の寺院を建立するために木材が伐り出された という人為的な結果に  よるものだそうです   近江の天井川は上に紹介したものだけには限りません  変ったものとしては 湖北にある高時川の下を田川という別の川がくぐり抜  けています(残念ながら 今回は現地取材ができませんでした)    今年(2005)5月1日付けの「やす市議会だより」を見たところ   「家棟川墜道を撤去するのか」との質問に対し 「墜道が近代土木遺産に選  定されたこと...で現地保存方式に至った..」との回答が紹介されてい  ました                   (散策:2005年4月)                   (脱稿:2005年5月2日)    
 消え行く天井川(その2)を追加しました。
 併せてご笑読くださいませ。(06年10月)
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