お田植祭り

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 記載内容は次の通りです    1.はじめに    2.現代のお田植祭り  −−−−−− 2005年の様子    3.悠紀斎田でのお田植  −−−−− 昭和3年当時の様子     4.交通案内など  −−−−−−−− 昭和3年当時の地図など    5.大嘗祭と悠紀斎田について −−− 言葉の意味      6.銅鐸博物館での田植え −−−−− 貫頭衣を着た古代米の田植    7.おわりに 1.はじめに:   近江(滋賀県)は京の都に近い米どころです  古くから 近江米 は都の多くの人々に供されてきたものと思われます  そのせいでしょうか 昭和天皇が即位されたときの悠紀斎田には 近江が選  ばれています   毎年野洲市で行われている 悠紀斎田のお田植祭り(三上山のふもと 御  上神社向かい)の様子を報告します    併せて 貫頭衣を着た古代人(!)が弥生の森で田植えをしている様子も  ご覧ください   2.現代のお田植祭り:             この稿のトップへ戻る 20040523s044.jpg  近江富士 の愛称で呼ばれている三上 山(みかみやま)の近くに 御上神社( みかみじんじゃ)があります その三上山と御上神社の間に 昭和の悠 紀斎田 が設けられました ←三上山(手前右の森が御上神社)  少し右手には野洲川が流れている taue1.jpg  御上神社の近くに悠紀斎田の記念碑が 建てられています この記念碑と御上神社の間には 国道8 号線が走っています   taue2.jpg                   御田植え祭りは 記念碑前でのご祈祷                  から始まります taue4.jpg  taue3.jpg   田植えは昔からの伝統に則って行われます  揃いの衣装に身を包んだ早乙女が苗を植えます 苗の位置に印を付けた紐が  張られ 一列植える毎に紐が次の位置に移動されます   田の周囲には踊り手がならび 歌に合わせて踊ります    一つ 日の本瑞穂の国は 穂に穂栄えて千代八千代   二つ 再び得がたい誉 御世の始めの御田植    三つ 三上の御影の神は 代々に御国を守る神     四つ 夜を日にいそしむ人は 神も守らでおくものか      五つ 五日にやそよ風吹いて 十日十日にや雨が降れ       六つ 百足の巻いたは山よ 御田にや雀も虫もでぬ        七つ 名高い近江の国は 昔からなる悠紀の国         八つ 野洲川国やすかれと 清くそそぐよ悠紀の水          九つ 九重の雲井の空も はれて賑わふ田植歌           十で とうとう御田植終わりや はやも早苗に千代の色   この「悠紀斎田御田植歌」の作詞者は 滋賀県水口町出身の巌谷小波(い  わやさざなみ)さん(「桃太郎」「勝勝山」などを書いた児童文学者)だそ  うです  taue5.jpg  田植えの途中に休憩があり むかで 太鼓 が披露されました 俵藤太のむかで退治の故事に因んだもの です  お田植祭りは5月第4日曜日に行われ ています 今年2005年は5月22日 でした 10−12時の2時間ほどです   3.悠紀斎田でのお田植:            この稿のトップへ戻る   昭和の大嘗祭は 昭和3年に行われました  悠紀斎田に指定されたことは 関係者にとっては大変な栄誉だったようです     悠紀斎田をめぐる当時の状況を記録した写真集があります  「滋賀県 悠紀斎田奉賛会」が編纂した「大嘗祭悠紀斎田記念帖」です  いくつかの写真を抜き出してみましょう taue11.jpg   諸設備完成直後ノ悠紀斎田 taue12.jpg 田植状況ノ展望 (三上山中腹からの俯瞰と推測されます  中央の黒い森は御上神社 その上方に  白く見えるのは野洲川)  taue13.jpg                     御田植状況 taue14.jpg 御田植踊 taue15.jpg                     脱穀作業 taue16.jpg   丸田町通行進(京都御所前の東西の通りです)   現在引き継がれているのは御田植祭りだけのようですが 悠紀斎田で行わ  れたのは田植えばかりではありません  今めくっている記念帖には 大嘗祭についての解説文はありませんが 各写  真についての見出しがついていますので 列挙してみます  この見出しを眺めてみると 滋賀県の大事業として扱われた当時の状況が理  解されることと思います  悠紀斎田地銓衡協議会 斎田予算審議 悠紀斎田地決定書交付式 田区整理  諸設備 斎田標識 斎田祓式 気象観測設備 悠紀斎田県事務所 悠紀斎田  警衛所 奉耕手休憩所 斎田用水浄化設備 斎田奉耕手ノ潔斎 祓式 祓式  後ノ宴席 鍬入式 種子水撰 苗代播種式 苗代害蟲駆除 今村知事苗代視  察 斎田荒代掻 奉仕田田植 本田施肥 牧野内大臣斎田視察 砂田農林参  與官斎田視察 西園寺主馬頭斎田視察 入江御歌所々長斎田視察 御田植式  恩田植式倭舞 御田植踊 除草 施肥 稲生育調査 害蟲駆除 地鎮祭   警備奉仕員ニ対スル知事訓示 警備奉仕員詰所 暴風防除設備 夜警 堀田  知事斎田視察 農林大臣斎田視察 後藤子爵斎田拝観 安部農林次官斎田視  察 三上村入口ニ於ケル奉祝門 三上小学校前奉祝門 雀害防除設備 抜穂  式斎場造営 斎場砂盛青年団奉仕 大祓ノ儀斎場 抜穂使大祓場参進 祓官  野洲ノ清流ニ進ム 参列員大祓場参進 大田主雑色大祓場参進 抜穂式斎場  神殿 同上神饌殿 同上稲實殿 抜穂式 抜穂使斎場参進 抜穂 抜穂使一  行 抜穂使斎館 勅使ノ間 抜穂式参列者 抜穂式後ノ宴席 抜歩式拝観者  拝観者湯茶接待所 抜穂式奉祝提灯行列 稲刈取作業 脱穀作業 稲架乾燥  供納米調製所 農具舎内部 火力乾燥設備 籾摺 精米場 絹磨作業 粒撰  作業 供納式 輸送列車 京都駅前行進 斎庫奉納 丸田町通行進 知事供  納完了後三上村民ニ訓示 御造営用莚藁輸送 悠紀地方各種供納品供納式  典儀用新藁輸送 大礼御用品供納者    4.交通案内など:               この稿のトップへ戻る 20041004 doutaku s001.gif  お田植え祭りの場所は  野洲市の御上神社横(国道 8号線を挟んだ向かい側) です 三上山登山口もすぐ 近くにあります   JR野洲駅から約3キロ ですので 天気がよければ ハイキング気分で歩くのも よろしいかと思います   大嘗祭当時の資料を探したところ 大阪鐵道局大阪運輸事務所・編(昭和  三年五月)の「悠紀斎田案内」という小冊子を見つけました  これは 悠紀斎田の見学者用に 斎田と付近の名所案内を国鉄がまとめたも  のです(昭和3年6月1〜3日の3日間の御田植参観者は約13万人)   この中に当時の地図が折り込まれていました  下の地図は一部を抜粋したものです      tauemap.jpg   この地図を見て気付いたのは 国道8号線が描かれていないことです  上の手書き地図と見比べてみてください    なお 各駅より野洲駅までの 三等運賃 が記載されていました    ・大阪駅より 壱圓拾五銭    ・京都駅より 四拾八銭    ・米原駅より 六拾銭    ・大津駅より 参拾参銭  (現在 野洲−大阪は1,280円 野洲−京都は480円 ですから    およそ1,000倍になっています)    5.大嘗祭と悠紀斎田について:         この稿のトップへ戻る   「大嘗祭」や「悠紀斎田」は 皇位の継承があったときのものです   この語意をご存知の方は少ないかも知れませんので(私も最近まで知りませ  んでした) 概要を整理してみます     まず 皇位継承の儀礼としては 公的に内外に宣言する政治的な行事とし  ての「践祚(せんそ)」「即位(そくい)」と 神事としての「大嘗祭(だ  いじょうさい)」とがあります    ・「践祚」とは  階段を踏む という原義から 位に即(つ)く つまり           「即位」と同様の意味をもっているようです  ・「即位」とは  位に即(つ)く という意味  ・「大嘗祭」とは 天皇が即位した後 最初に挙行する大規模な新嘗(にい           なめ)祭のこと(新嘗祭とは 天皇が新穀を神にすすめ           親しく食する祭儀)      昭和天皇の場合  ・践祚の式 昭和元年12月25−30日(神殿に奉告 改元 など)  ・即位礼    3年11月 6−11日(京都に行幸 神殿に奉告 など)  ・大嘗祭    3年11月12−16日(鎮魂 神宮に奉幣 など)   さて 悠紀斎田(ゆきさいだん/ゆきさいでん) とはどういうものか   ということですが  神に捧げる米・粟を収穫するための 悠基(ゆきのようにきよらかな)斎田  (ととのえた田) という意味のようです  大嘗祭のために耕作・献上する斎田としては 悠紀斎田と併せて 主基斎田  (すきさいでん)が設定されます (主基とは 次 の意)   悠紀斎田 主基斎田 を設定する方法は 古式に則った 亀卜(きぼく)   つまり 亀の甲羅を焼いたときにできる割れ目(亀裂)による占い による  そうです  光仁天皇の大嘗祭(宝亀2年:771年)からは 悠紀斎田は京都よりも東  主基斎田 は京都よりも西 の国から選ばれる慣例ができたそうです     悠紀国・主基国一覧表を眺めてみると   なんと 悠紀にはおよそ千年に亘って近江国が選ばれています  (宇多天皇・仁和4年:888年〜孝明天皇・嘉永元年:1848年)  明治天皇以降は次のとおりです     天皇    大嘗祭       悠基    主基    ・明治天皇  明治4年(1871) 甲斐国   安房国   ・大正天皇  大正4年(1915) 愛知県   香川県   ・昭和天皇  昭和3年(1928) 滋賀県   福岡県   ・今生天皇  平成2年(1990) 秋田県   大分県     悠基・主基の国・県が選定された後 どの地区に決定し どう運営するか  はその国・県にとっての大事業とされたようです     6.銅鐸博物館での田植え:          この稿のトップへ戻る   野洲市の 銅鐸博物館 には 弥生の森歴史公園 があります  ここには 竪穴式住居 があり その近くに水田があります その水田で  古代米(赤米 黒米)を少し栽培しています   古代米の田植えには 希望者は誰でも参加できます  今年(2005年)は5月21日(土)に古代米の田植えが行われました  参加者は 貫頭衣 を着て 弥生時代の雰囲気を味わっていただけます   20040716lotuss033.jpg  taue6.jpg   収穫の秋には 稲刈りと試食会 もあり ご希望者は参加いただけます  去年(2004年) たまたま私は試食させてもらいました 土器で炊いた  赤米と黒米は よく噛みしめると甘みがあっておいしいものでした  「これは肉料理と合いそうだ」 と遠方から来られたフランス料理のシェフ  なる人が感心していました   今年(2005年)の予定は次の通りです      ・稲刈り 10月29日(土)14:00−16:00     ・試食会 11月26日(土)14:00−16:00 7.おわりに:   近江は 京の都にとって要衝の地であったことはいうまでもありません  悠紀斎田の歴史を振り返ってみて 近江は京の都を支えてきた国であるとい  うことを改めて実感しました   昭和の悠紀斎田が設けられた野洲市の三上地区は 悠紀斎田以外にも天保  義民碑などの史蹟があります この地区の コミュニティセンターみかみ  (公民館)では 「楽しい歴史教室」が運営され 多数の人が歴史の勉強を  楽しんでいます     楽しい歴史教室には 市木修 さんという温厚で博識の先生が中心におら  れます この稿はお田植祭りに無関心だった私が 市木先生の講義を拝聴し  たことを契機としてまとめたものであることを記し 謝意を表する次第です                        (散策(お田植え祭り):                       2004年5月23日                       2005年5月22日)                   (脱稿:2005年6月29日) ------------------------------------------------------------------
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