− 蒲生野 額田王 大海人皇子 相聞歌 雪野山 など −

                      妹背の里
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1.はじめに   琵琶湖の東南に竜王町があります。  この竜王町に、「妹背の里」という多目的広場があります。   20060714imose (3).jpg  ここは広い敷地に緑がいっぱい溢れ、宿 泊施設も用意されています。  陶芸仲間とここで遊んだのを機会に、万 葉の世界を振り返ってみました。 20060714imose (13).jpg 20060727manyohmap.jpg  「妹背の里」への アクセスは、自動車 以外はかなり大変で す。  自動車の場合は、 「苗村神社」(なむ らじんじゃ)を目標 にしたら分かり易い でしょう。     苗村神社の創建は大変古く、東本殿と西本殿をもつ大きな神社です。 20060726namura01.jpg ←東本殿       ↓楼門(西本殿)      20060726namura02.jpg 2.相聞歌(そうもんか)   妹背の里の一角に、妹背の像が建っています。  妹背とは、妻(妹)と夫(背)という本来の意味だけでなく、仲睦ましい男  女を指す意味もあるようです。 20060714imose (9).jpg  ここに登場しているのは、額田王(ぬかたの おおきみ)と大海人皇子(おおあまのおうじ) です。     20060714imose(5).jpg   万葉集によく知られている相聞歌があります。  天智天皇が近江大津宮に遷都した翌年(天智天皇7年:668年)のことで  す。天智天皇が近江で狩をした折に、額田王と大海人皇子が詠んだ歌です。  額田王は天智天皇の妃、大海人皇子(後の天武天皇)は天智天皇の実弟です。 20060714imose (4).jpg 「天皇の 蒲生野に遊猟したまひし時に            額田王の作れる歌」 あかねさす 紫野行き 標野行き      野守は見ずや 君が袖振る    (あかねさす むらさきのゆき しめのゆき        のもりはみずや きみがそでふる)  (茜草指 武良前野逝 標野行      野守者不見哉 君之袖布流)  「(人妻の私に)袖を振ったら、番人に見とが められますわよ」というような意味でしょう。               大海人皇子は「あなたが憎ければ、人妻のあな              たをこんなに恋しません」とひるまずに返します。 20060714imose (8).jpg 「皇太子の答へませる御歌」 紫草の にほえる妹を 憎くあらば       人妻ゆえに われ恋ひめやも (むらさきの にほえるいもを にくくあらば       ひとづまゆえに われこひめやも)  (紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者        人嬬故尓 吾戀目八方)      20060726manyoh01.jpg                      ↑むらさき   実は、二人はかつて恋人同士で、十市皇女(とおちのひめみこ)と呼ばれ  ることになる子供をもうけていました。その後、額田王は大海人皇子の兄で  ある天智天皇に嫁いだ、という事情があります。(ということが通説とされ  ているようです)   後年、大海人皇子は壬申の乱を制定し、天武天皇となりました。 3.額田王(ぬかたのおおきみ)   額田王は万葉随一の歌人だったようです。  上の相聞歌は、(通説によれば)いわば酒席での座興でしょうが、しっとり  と女性らしい恋心を詠んだ歌もあります。    君待つと 我が恋ひをれば 我が宿の         簾動かし 秋の風吹く      (きみまつと わがこひをれば わがやどの            すだれうごかし あきのかぜふく)      (君待跡 吾戀居者 我屋戸乃 簾令動 秋之風吹)   額田王が実在したことは確かなようです。  しかし、その実像はあまり知られていません。   額田王は近江の出身で、鏡王を父とし、鏡神社の巫女をしていたことがあ  ったそうです。   鏡神社は、時代が下って義経が元服した所です。(既報の「義経元服の地」  をご参照ください) 20050128yositsune (2).jpg  祭神の天日槍(あめのひぼこ)は、金工 や製陶技術を教えた渡来人を祭っている ものだそうです。  ちなみに、この近く(野洲市)には、 陶芸によく使われる「篠原土」という粘 土の産地があります。   20060714imose (2).jpg   余談ながら、近江は石の豊富な国です。  いずれ、近江で多数見られる石塔について、石塔寺(いしとうじ)も含めて、  報告をまとめてみたいと考えていますが、今回はひとつだけご披露してしま  いましょう。 20060726manyoh04.jpg  鏡神社の近くに、有名な石の塔があります。  場所は、鏡神社に近い道の駅「かがみの里」の 駐車場から100メートルほどです。 ←宝篋印塔(ほうきょういんとう)と、        ↓石灯籠(いしどうろう) です。       20060726manyoh05.jpg 4.蒲生野(がもうの)   天智天皇が遊猟をした「蒲生野」とはどのあたりでしょうか。  結論から言えば、その場所は不明のようです。 20060714imose (19).jpg  そのため、妹背の里のある竜王町以外 にも、このあたりだった、と主張してい る地区があります。   本稿では、妹背の里の近く(雪野山の 麓)に違いない、という白洲正子さんの 説に同調しておくことにします。   ↑妹背の里付近の田園風景   「蒲生」の語が使われていた地名として、蒲生郡蒲生町があります。  竜王町、日野町、安土町も蒲生郡です。このあたりは近江平野の一角で、比  較的平坦な地域です。蒲生町に隣接する八日市市には、かつて八日市飛行場  がありました。びわこ空港の建設が騒がれ、頓挫したのは、蒲生町と日野町  の一部です。        ところで、蒲生町は今年(2006年1月1日)八日市市と合併して東近  江市の一部となり、蒲生町の名がなくなっています。  蒲生の語は、蒲が生い茂っている土地、の意と推測されます。  そこで、現在でも蒲が群生しているのかどうか、旧蒲生町の役場に電話で問  い合わせてみたところ、現在は群生地はない模様、とのことでした。  5.雪野山(ゆきのやま)    妹背の里は、雪野山の麓にあります。  頂上に古墳がある、とパンフレットに紹介されていたので登ってみました。   20060714imose (1).jpg ←平野に座り込んでいる雪野山   ↓日野川に架かる雪野山大橋から 20060714imose (17).jpg      標高309メートルということですから、ハイキングコースです。  真夏に「雪の山」に登るのは楽しいではないか、と思って登り始めました。  歩道は整備されていましたが、真夏の登山は結構きつく、汗でびしょぬれに  なりました。   冬でも雪はあまり多くないこの土地で、なぜ雪野山と呼ばれるようになっ  たのでしょうか。どなたかの著書に、「ユキ」は天皇の行幸(=みゆき)に  あたるかも知れない、という記述があったような気がします。  そんなことを思い返したり、冷たいユキ景色を思い描いたりしながら、よう  やく頂上に辿りつきました。 20060714imose (11).jpg   頂上にあるという古墳を覗くことは できませんでした。  発掘した後で埋め戻されたようです。 ←中腹から鏡山、三上山方面を望む    ↓頂上  20060714imose (10).jpg   雪野山の周囲には、4世紀から7世紀にかけて、200基以上の古墳が築  かれたそうです。   きっと、この山には神が在す、と崇められていたに違いなく、天智天皇は  それを意識してこの付近で薬猟をしたのかも知れません。 6.龍王寺(雪野寺)(りゅうおうじ)    雪野山の登山口の近くに龍王寺があります。  創建は和銅3年(711年)、元明天皇(天智天皇の第4皇女)の時代とい  うことです。当初は雪野寺と呼ばれたそうです。   この寺には、美女と大蛇の伝説がまつわる梵鐘があります。  その伝説に基づき、藤原定家や和泉式部、柿本人麿などが歌を詠んでいます。    暮れにきと 告ぐるぞ待たで 降りはるる            雪野の寺の 入相いの鐘   和泉式部      (くれにきと つぐるぞまたで ふりはるる           ゆきののてらの いりあいのかね) 20060714imose (15).jpg  20060714imose (16).jpg   雪野寺跡からは、童子像や瓦など、沢山の遺物が出土しました。  そのうちのいくつかは、妹背の里の資料館に展示されています。 7.おわりに   この稿をほぼ書き終えたとき、篠笛コンサートを楽しみました。  美人の篠笛奏者・井上真美さんとシンセサイザー・Azumaさんの共演で  した。お二人は、万葉ロマンに想いを馳せたオリジナルアルバムを作ってい  ます。コンサートでは、額田王の「君待つと .. 」の歌が紹介されまし  た。    私は、恥ずかしながら、万葉の世界で遊んだことがありませんでした。  今回、少し書物を開いてみて、いくつかの点について説が分かれていること  を知りました。なにしろ、1,300年余りも昔のことですから、立証する  ための事実が極めて限られているので、やむを得ないでしょう。  その代わり、想像をめぐらせる楽しみを残してくれています。   私の家から妹背の里までは、車で30分足らずです。  万葉の世界を偲ぶ土地がこんなに身近にある、ということを知ったのは嬉し  い発見でした。                     (散策:2006年 7月14日)                   (脱稿:2006年 7月30日) ------------------------------------------------------------------
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