1.はじめに
琵琶湖には「沖島、竹生島、多景島、沖の白石」の4つの島があります。
この中で、人が住んでいるのは沖島だけです。
淡水湖で、人の住んでいる島があるのは世界でも珍しいそうです。
沖島には、万葉の時代以前から人が住んだようですが、本格的に住みつい
たのは、保元・平治の乱(1156−1159年)による源氏の落武者だそ
うです。
.jpg)
私の家から沖島行きの港までは、車で
わずか30分位です。
そんな至近距離に居ながら、これまで訪
ねたことがありませんでした。
←野洲市の湖岸から見た沖島
↓「休暇村近江八幡」から見た沖島
.jpg)
俳句仲間と行くことが決まったときは、海外旅行に出かけるときのように
気持が高まりました。
2.沖島への行き方
近江八幡市の北方の「堀切港」から、「沖島漁港」行き通い船があります。

所要時間は10分弱です。
通い船は毎日9−11往復ありますが、
昼間は2時間に1回です。
値段は片道400円。ただし、島民は
200円ですから、どこかの国がそうだ
ったように、私たちにとって沖島は外国
みたいなものです。
長命寺港からは外国人でも(!)片道
200円ですが、1日1往復だけです。
その上、沖島発7:10、長命寺発11
:25ですから日帰りはできません。
←堀切港から沖島を見る
↓船を待つ人たち
(窪んだところが沖島漁港)
3.島民の生業(なりわい)
沖島の生活は、漁業に負っているようです。
沖島漁港は沢山の漁船で埋め尽くされていました。ざっと数えたところ、
80艘くらいありました。漁に出かけている船もあるでしょうから、もっと
あるでしょう。1軒1艘以上所有しているそうです。
島民人口は、かつては800人位だったこともあるそうですが、現在はお
よそ450人で、家は120戸位だろう、ということでした。
←船で埋め尽くされた漁港
↓沖島漁港会館
.jpg)
漁は網を曳くだけではありません。
エリ漁という伝統的な漁法も採られてい
ます。
(エリの漢字=魚偏+入)
←沖島付近のエリ
島に平地は見当たりません。
野菜はどうしているのか、お年寄りに尋ねたところ、島の裏側(漁港と反対
側)にある畑で野菜を作っているということでした。
かつては船で本土(と呼ぶのかどうか知りませんが)まで畑仕事に出かけ
た時期もあったそうです。
.jpg)
島の裏側に回ってみました。
あまり広くない畑で野菜が育っていまし
た。畑で野菜の面倒を見ているのは女性
ばかりでした。
←小石の敷き詰められた湖岸
↓旧・石切り場に近い野菜畑
.jpg)
浜辺はきれいな白っぽい石で覆われていました。
畑の境界には、あちこちで薄い石が積み上げられていました。どうやら、人
工的に手を加えられた石が使われているようです。
島の案内書を読んでみると、かつて、江戸時代から昭和40年代まで、沖
島は採石場として栄えました。石英班岩と呼ばれる良質の石は、明治時代の
琵琶湖疎水、南郷洗堰、国鉄東海道線などの工事に使われたのだそうです。
4.町の家並
沖島には広い平地がないので、家は軒を接して建てられ、通路は家に挟まれ
た軒下です。
←二人並んで歩くのが困難な通路
↓
.jpg)
懐かしい手押しポンプを見つけました。
現在は上下水道が完備していますが、か
つては琵琶湖の水を汲んでいた家庭が多
かったようです。
←まだ健在なポンプ
.jpg)
露地で小魚を炊いている主婦に出会いました。
「ごり」という小魚を、大きなたらいに一杯洗っ
ていました。
ここでは「うろり」と呼んでいるそうです。
←「うろり」を炊く主婦
↓
.jpg)
島にはお寺がふたつ、神社がひとつありました。
奥津嶋神社は、漁港から歩いて5分足らずの小高い丘の中腹にありました。
石段を登ってみると、町の家並が見下ろせました。
.jpg)
瓦葺きの家は、いずれも切妻作りです。
切妻作りの屋根が、触れ合うばかりに密
集しています。
←漁港方面の家並
↓神社下の家並(上方は湖面)
.jpg)
沖島漁港のある表側の生活用道路は、東西1キロ程度かと思われます。
.jpg)
道幅は車1台がやっと通れる位です。
自動車は走っていません。
唯一の動力車は、(多分)耕運機です。
←ガスボンベの運搬
車の走っていない島で思いついたのは、ベネチアです。
しかし、ベネチアにあっても(多分)沖島にはないものがあります。それは
橋です。
沖島に「ないもの」をいくつか列挙してみましょう。
・自動車用道路 ・自動車 ・交通信号
・橋 ・日本全国を覆っているクモの巣(=電線)
・商業用広告 ・交番(推測) ・医院(推測)
なくて困るものもあるでしょうが、廃棄ガスや交通事故などのように、
なくてよいものの方が多いでしょう。
5.十四の瞳
学校はどうなっているのでしょうか。
近江八幡市立沖島小学校がある、というので足を延ばしてみました。
.jpg)
穏やかな風景を眺めつつ、漁港から5分ほど歩
くと、山の中腹に石垣が見えました。
旧小学校跡だそうです。
鳶(とんび)がゆったりと舞っています。
がけ崩れ防止の工事が行われていました。
←民家のある風景
↓旧小学校跡
.jpg)
そこから3分ほどで小学校に着きました。
予想外に立派な校舎に驚きました。実は、ここへ来る前に郵便局に寄ったと
ころ、小学生の紙細工作品が飾ってあり、小学生は7人だけだということを
聞いていました。それにしては立派な校舎です。
.jpg)
きれいな木造二階建て校舎は山を背に
して建ち、前には琵琶湖が広がっていま
す。学童留学生を受け入れたら喜ばれそ
うです。
←十四の瞳の小学校
↓対岸の休暇村を望む
.jpg)
中学生は本土(?)の中学に船で通っ
ているそうです。
「わかば」という通学用の船が小学校
前に係留されていました。
6.句会
今回、沖島を訪ねたのは、俳句同好会による吟行のためです。
島を歩いて作った句を1人2句提出することになっていました。島内を見学
し、昼食を摂った後、句会が開かれました。昼食は、漁港会館で働いている
女性が調理してくださったお弁当を呼ばれました。「うろり」入りのお汁が
空腹にしみ入りました。作句の時間は昼食を含めて1時間半でした。
.jpg)
場所は沖島漁港の建物内です。
私は30分ほどかけて、何とか2句をひ
ねり出しました。
大鍋にうろりを炊ける島の秋
校舎跡鳶停(とど)めて島の秋
←漁港建物内での句会
うーん、同じ季語では能がないな。
ベネチアを想い起こさせるような、静寂を感じさせるような句を詠みたいも
のだが、うまい言葉が見つからないわい。
うーん、うーん、..無駄な努力はしないで、港でも散歩してこようっと。
句会の後、水産物屋さんでお土産を買って帰りました。
島に渡ったのは堀切港発10:15、帰りは沖島漁港発16:00でした。
7.おわりに
沖島は、観光客の誘致には力を入れていないようです。
例えば、堀切港には観光客用の駐車スペースが用意されていません。
ということは、この島の人々は経済的に裕福な生活をしているのに違いあり
ません。
今回の沖島訪問では、私は吟行以外にふたつ狙いがありました。
ひとつは、ホームページに載せる(この記事を書く)材料を集めること。
ふたつ目は、休暇村主催の写真コンテストに応募するための撮影をすること
です。最優秀賞は、休暇村ぺア無料宿泊券(3万円相当)です。
句会では、全く予想外に、私の「うろり」の句が最多得票でした。
この栄えある1等賞の賞品は、「うろり」の佃煮でした。(¥500?)
写真コンテスト用の撮影は、残念ながら、3万円から限りなく遠ざかったも
のばかりでした。
(散策:2006年10月12日)
(脱稿:2006年10月26日)
参考図書:・
沖島に生きる 小川 四良 淡海文庫
------------------------------------------------------------------
この記事に
感想・質問などを書く・読む ⇒⇒
掲示板
この稿のトップへ 報告書メニューへ トップページへ