日本最古の石造三重塔(伝・阿育王塔)

                     石 塔 寺
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1.はじめに   近江の湖東に「石塔寺」という古いお寺があります。   このお寺の名前は、「せきとうじ」でも「いしとうじ」でもなく、「いし  うじ」が正解です。   「石塔寺」を訪問して写真を掲載して欲しい、という横浜在住の会員様か  らのご要望をお聞きしていましたが、なかなか出かけられませんでした。  ようやく撮影することができましたので、石塔寺の景色をお楽しみください。   2.本堂   旧・蒲生町の「石塔」(いしどう)という交差点から緩やかな坂道を少し  登ると、「石塔寺」の表示がありました。(場所は後述します)  お寺前の道は広く舗装されていました。左手に「百済の館」という建物があ  りましたが、閉まっていました。 20070521ishidoji(0).jpg ←入り口前の道路   ↓入り口  20070521ishidoji (1).jpg          20070521ishidoji (2).jpg  受付に向う通路脇には、きれいな花が            つつましく咲いていました。 20070521ishidoji (4).jpg 20070521ishidoji (3).jpg   受付は、山上に登る長い石段の手前左側にありました。  その受付の向い、石段の右手に、門が建っていました。「阿育王山」と右か  ら左に書かれた額が見えました。(拝観料は大人400円) 20070521ishidoji (5).jpg ←受付前       ↓阿育王山と書かれた門       20070521ishidoji (7).jpg   「阿育王」とはどう読むのですか、と尋ねてみると、インドの「アショカ」  王のことだそうです。あそうかと納得です。  アショカ王は、およそ2250年前、仏法興隆を願って世界中に仏舎利塔を  ばらまいたそうです。そのひとつがここにあるとされているため、このお寺  は「阿育王山 石塔寺」と称するのだそうです。 20070521ishidoji (8).jpg ←入り口付近から見た本堂   ↓本堂  20070521ishidoji (9).jpg   本堂内の黒板に塔の説明図が書いてありましたので、次の項で紹介します。 3.阿育王塔   本堂でお参りをしてから石塔参拝です。  受付前から、長い一直線の石段が天に向って伸びています。 20070521ishidoji (11).jpg  勾配はあまり急ではありませんが、かなりの運 動になりそうです。何段くらいあるのですか、と 尋ねてみると、158段ということでした。  左側の石仏に挨拶したりしながら上を目指しま した。暑い日だったので少し汗ばみました。  石段の上には青空がのぞいています。 行く先には空が広がっている、その空に向って歩 くのだ、という心地よい感動を与えてくれます。   最上段に近づくと、目の前がすっと開けました。  山の上に広い空間が広がっていました。そこは広い平地となっていました。  茂った松や雑木が広場の周りを囲んでいました。その中央に石塔がそびえ立  ち、周囲には小さな無数の石仏が並んでいました。 20070521ishidoji (13).jpg                 ↑阿育王塔     ↓正面(南)                 ↓背面(北) 20070521ishidoji (6).jpg          20070521ishidoji (15).jpg   前後左右から見た形状はほぼ同一のようです。  しかし、横から見ると4面が同一形状でないことが分かります。  それは、初層の軸石がふたつに分かれていることです。そのため、地震に強  いそうです。(黒板の説明)   2、3層目の軸石と3つの笠は、それぞれひとつの石で造られています。    ↓側面(東) 20070521ishidoji (14).jpg  本堂の黒板には、次のようなことが説明されて いました。  ・高さは約8メートル  ・笠の厚みは3層とも70センチ  ・笠の横幅は角度20度の四角錐に沿っている  ・軸石の幅は上の笠の幅の2分の1の正方体      ↓黒板に書かれた説明    20070521ishidoji (10).jpg   阿育王塔の周囲には無数の石塔と石仏が並んでいます。  帰り際にお坊さんに聞いてみたら、全部で1万基以上あるということでした。 20070521ishidoji (16).jpg ←王塔のまわりの石塔   ↓周囲にあふれている石仏  20070521ishidoji (17).jpg 20070521ishidoji (18).jpg  石仏群の奥に、往復200メートルほどの歩 道がありました。  歩道脇には石仏が並んでいました。      20070521ishidoji (19).jpg   暑い日でした。  5月下旬ながら、日中は25℃以上になるという天気予報でした。  頂上に立った時、遠くで蝉の鳴き声らしき音が聞こえたような気がしました。  しばらくすると、あちこちで蝉の鳴き声が大きく響き始めました。今年初め  て聞く蝉の声でした。時刻は午後1時近くになっていました。あたりはすっ  かり夏の熱気に包まれました。参拝者は私一人だけでした。   お釈迦様は、暑いインドで悟りを開きました。  仏教に帰依したアショカ王も、暑いインドの人でした。   私は、蝉の声と熱気に包まれた広場で、しばらく立ちつくしました。 4.韓国の三層石塔   石塔寺の阿育王塔は、渡来人が祖国を偲んで作ったものだそうです。  韓国の忠清南道扶餘郡場岩面(場岩村)に、よく似た塔「長蝦里(チャンハ  リ)三層石塔」が建っているとのことなので、インターネットで調べてみま  した。   地区毎の石塔を列挙したデータベースが見つかりました。  ハングル語で書かれたホームページですが、塔の名前だけ漢字が付記されて  いるのを頼りに追ってみました。扶餘郡とおぼしきところに、「長蝦里三層  石塔」が載っていました。写真とハングル語の説明文がありましたが、説明  文はお手上げです。 20070527chanhari.jpg  石塔寺と比べてみると、軸石がひとつでなく、数個が 合体されていること、屋根は数枚の板が積層されている こと、頭頂部がない(多分、欠落している)ことなどが 相違していますが、全体的にはよく似ています。 ←長蝦里(チャンハリ)三層石塔 (出所:http://user.chollian.net/~mansegmj/            prov/prov8/pro8003.htm)   石塔寺のある蒲生郡蒲生町(現・東近江市)と扶余郡場岩面(場岩村)は、  1992年11月2日に姉妹都市提携協定書を交わし、阿育王塔をめぐる歴  史と文化の交流を進めているそうです。    扶余郡(ぷよぐん)は、百済最後の都があったところです。 5.アクセス   石塔寺へのアクセスは、車で行くのが便利です。  遠方からお越しいただくときは、名神高速の八日市ICから約15分です。  一般道路を走るのであれば、8号線の近江八幡から南東に向かうのがよいで  しょう。 20070527ishidojimap.jpg  電車であれば、JR近江八幡駅で近江 鉄道に乗り換えます。近江鉄道の八日市 駅で貴生川(きぶかわ)行きに乗り換え、 桜川駅で下車、徒歩約30分です。 (石塔寺の案内書より)  近江八幡駅からバスを乗り継ぐ行き方 もあるようです。     既報の「妹背の里」と「太郎坊」とは、直線距離にして約6キロのほぼ正  三角形を作る位置にあります。 6.おわりに   道路表示の「石塔寺」には「いしどうじ」と(アルファベットで)表記さ  れていました。私は恥ずかしながら、今回現地を訪ねるまでは、石塔寺の名  を「いしとうじ」と呼んでいました。   既報の「妹背の里」の文中に、私は「いしとうじ」と書いています。    石塔寺を訪ねるのは、寒い雪の季節にしようと思っていました。  寒い季節の方が石塔の風景にふさわしいだろう、という先入観を抱いていた  ためです。私たち日本人は、寒い冬にこそ無常観を強く感じるのではないで  しょうか。   しかし、仏教を興したお釈迦様も、残虐行為を続けてから仏教に目ざめた  アショカ王も、暑い国のインドの人です。現在も国民の9割以上が仏教徒だ  と言われるタイも暑い国です。   そういう意味では、今回の訪問は時季に適っていたのかも知れません。                   (散策:2007年05月21日)                   (脱稿:2007年05月30日) ------------------------------------------------------------------
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